レバノン | LIVESTOCK STYLE

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風琴工房詩森ろばのブログです。

そして、あいだ30分を置いて
「レバノン」を拝見しました。



「レバノン」は
1982年のイスラエルのレバノン侵攻の
その一日目を描いた映画です。



イスラエルの「レバノン侵攻」は、
ユダヤ・パレスチナ問題が解決しえないイスラエルが
宗教的・政治的に複雑な背景を持つレバノンの内戦に乗じ、
レバノンをイスラエル親派にすべく侵攻した、
というのがわたしの理解ですが、
そういった複雑な背景は映画のなかではなにも語られません。
知らずともこの映画の価値は損なわれませんが、
自分も戦士としてレバノンに赴いたという
イスラエル人の監督が
20年の年月を経て作った映画、
つまりイスラエル側の人間が作った映画だということの
価値は計り知れない、とわたしは思います。



映画は、
4人の戦士が戦車に乗り組んだところから始まります。
カメラはこの戦車のなかから一歩も出ることはありません。
内戦とテロにあえぐレバノンの街は
戦車のスコープを通して目線の及ぶ範囲のみが
映し出されます。




この仕掛けが秀逸です。
妙な現実感のなさは、
テレビカメラ越し、
「安全に」戦争を享受するわたしたちそのもの。
しかし、
撃たれれば戦車は破壊され、
人の血は流れる。
そう。
じつはここ、いまいる「ここ」もひとつも
安全地帯なんかではないってことを
指し示しているとはいえないか。




この構造の中で、
舞台作品にしても成立するであろうという
素晴らしいテキストで
映画は進行します。




戦士たちは勇敢でも
愛国心に満ちているわけでもなく、
恐怖のあまり砲撃ができなかったり、
その次は焦るあまりに民間人を射殺してしまったり、
上官には刃向い、
パートナーシップは取れず、
情報からも遮断され、
ほんとうの戦争とはかくや、
という
なにかいままで見てきた戦争映画とは
一線を画したリアルさです。



じっさい、
いま日本の若者が兵役にとられ
戦車のなかに放り込まれたら
あのような行動をとるのではないか、
そう思いながら見ていました。




そしてドキュメンタリと言われても
信じてしまうかもしれない
俳優たちの演技が素晴らしい。




ネット上には、
それぞれの役の背景が示されないため
感情移入できない、
という意見もありましたが、
戦車の中、
極限で知りうる
わずかな人物たちのコンテキストが
関係を醸成していくリアルさこそ
見るべきものではないか、
と思います。



そして、
ユダヤ・パレスチナ問題や
レバノン内戦のことを知らないから楽しめない、
などと
平然とのたまう阿呆は、
劇場で売ってた新書や関連書籍を読んで
いますぐ勉強しろ、
とわたしは言いたい。
いま世界で起こっている問題の多くは、
そこを原発にしていて、
わたしたちがもしもまた戦争に赴くことがあるとしたら
火だねは明らかにそこにあるし、
それはもう足元にまで来ているのだから。
知らない、では済まない。
お前やわたしの無知が世界を滅ぼすのだ。
その自覚をせめて持てよ。と言いたい。




戦車が向かう
ホテルの住所は
9-11、でした。
レバノン侵攻が、
そしてユダヤ・パレスチナ問題が
9.11へとまっすぐにつながっている地続きの道であった、
というそのメタファ。



今までに見たどんな戦争映画とも違う、
凄まじい作品でした。
あんなガラガラにしておくのは、
恥だと思います。



ベルリン映画祭で金獅子賞を取った映画です。
シアターNという勇敢な映画館がかけてくれていることに
感謝して
この年末年始に
ぜったい見るべき映画はコレ、と書いておきます。