古代の天文図、宿星図は北緯34度14分が基準か!? | 日本の歴史と日本人のルーツ

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キトラ古墳の宿星図や関連する天文図は北極星あたりの地球の自転軸を中心とし、南の空にぎりぎり見えるカノープス(老人とか寿とも呼ばれる)やシリウス(狼とも呼ばれる)が記載されている。

アジアだけでなくヨーロッパについても、例えばプトレマイオスの48星座もキトラ古墳の宿星図と同じ範囲の天球の中にあった。

しかし、カノープスはイタリア以北、中国の北京以北、北朝鮮以北そして日本の東北地方以北では見えない星である。すなわち、世界の東西に関わらず、みな同じ緯度から観測した天文図となっているようだ。つまり、みな北緯34度14分の沖ノ島、神津島、中国の長安、レバノンのカディーシャ渓谷と神の杉の森、ロサンゼルス近郊のシミバレー市(参考)で見た星空と同じであったと考えられる!


注意:
地球には地軸の歳差運動があり、正確には時代により天球の恒星の位置が揃って変動する。従って、南の水平線に際どく現れる恒星は時代により見え隠れする。しかし、ここで示した天文図では全てカノープスが存在し、天球の星の位置もそんなに違わないので、観測時期も数百年以内と大きく違わないと思われる。


参考

① 天象列次分野之図(参考)、、、老人(カノープス)が見える。

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キトラ古墳に描かれた天文図は朝鮮半島と密接な関係があり、最も近いとされるのが、李氏朝鮮(朝鮮王朝)の時代に作られた「天象列次分野之図」であるとする説がある。同図に付記された銘文から、原図となった石刻星図が高句麗の都・平壌にあり、高句麗が滅ぼされた668年ごろのに戦乱で大同江に沈んだとされている。しかし、後になってこの星図の印本が見つかり、洪武28(1395)年に修正・復元されたという。これが「天象列次分野之図」として現代に伝わっている。橋本敬造・関西大学教授(科学技術史)は、沈んだ石刻星図の拓本か、それをもとにした星図が日本に伝わり、キトラ古墳の原図になったと考えておられる。


② 蘇州天文図、、、老人(カノープス)が見える。
 
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原案:兼山黄(黄裳:こうしょう)  石刻:王致遠(おうちえん)  復元図(183.5 × 101.0cm)  淳祐7 年(1247)

通名「淳祐(じゅんゆう)天文圖」。宋代に作られた最も重要な中国星図の1 つ。原図は蘇州の石碑に彫られているため「蘇州石刻天文圖」とも言う。中国皇帝の侍講(じこう:天子の先生)だったこ黄裳が1190 年頃に製作した星図を基礎に、王致遠が石刻したと記される。天の北極を中心にした円図で,く二十八宿星座の境界を示す経度線が放射状に示され、偏心した黄道の円と,天の川の輪郭も描かれている。薮内清によれば,黄裳の描いた原図は元豊年間(1078- 1085) の観測を元に作られた。


③-1 キトラ古墳の宿星図(参考)、、、老人(カノープス)が見える。

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1247年蘇州天文図では星が全て同じ大きさに描かれているが、1395年朝鮮の天象列次分野之図ではカノープスやシリウスなど大きく描かれている星がキトラ古墳の天文図と同様、見受けられる。400年ごろの北緯34度・洛陽や長安では、ふたつの星官の位置が一致する(参考)。

この天文図は紀元前の星の位置を記録したとされる古代中国の「石氏星経(せきしせいきょう)」とも整合したという(参考)。

長安の北緯34度14分から見た星空で、また同緯度の沖ノ島の星空と同じ(参考)。


③-2 石氏星経(コトバンクより)

現在〈石氏星経〉の名で呼ばれる星表には、赤道座標による星の位置があたえられており、しかもその位置は前4世紀ころに観測されたと考えられる。しかしこのような観測が行われたとすれば、相当な観測器械が必要であり、同時に日月および惑星に関する研究もかなり数量的になっていたはずであるが、現存の記録だけではこうした随伴的な事実を立証するものがない。


④ 沖ノ島からは、冬に南天のカノープスがギリギリ見える。この時、シリウスも同時に見える。

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沖ノ島の南天、2017.1.2午前0時

赤緯マイナス52度40分に位置するため、南半球では容易に観測できるが、日本では東北地方南部より南の地域でしか見ることはできない。見える地域であっても北緯36度の東京の地表では南の地平線近く2度程度、北緯35度の京都でも3度程度の高さにしか上らず、光害や大気の影響も相まって見ることは困難である。本州より南に位置する九州・沖縄では本州よりは高い位置に観測でき、九州南部の鹿児島では6度程度、沖縄の那覇では10度程度の高さまでのぼる。オーストラリアのメルボルンでは年中沈まない周極星になる(wikiより)。


⑤ 南極老人(なんきょくろうじん、カノープス、wikiより)、、、滅多に見ることのできない星として神格化された。秦の都の咸陽や漢の都(北緯34度14分)ではぎりぎり見える!

南極老人星(カノープス:りゅうこつ座α星)を神格化した道教の神。南極仙翁、寿星とも。『西遊記』『封神演義』『白蛇伝』など小説や戯曲に神仙として登場することも多く、日本では七福神の福禄寿と寿老人のモデルだと言われる。

古くから、南極老人星は戦乱の際には隠れ、天下泰平のときにしか姿を見せないという信仰が存在し、『史記』天官書や『晋書』天文志、『漢書』などには、皇帝たちが秋分の日に都の南で観測する慣わしがあったことが記されている。この南極老人星が宋代以降に南極老人として神格化され、長寿と幸福を司るものとされた。『事玄要言集』や『風俗記』には、北宋仁宗皇帝の前に現れて大酒を飲んだ説話が記されており、長頭短身の老人だったという。


⑥ 夏の南天からは天の川が湧き上がるように見える(参考)

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沖ノ島の南天、2016.8.1午後9時


⑦ カノープスの見える緯度(参考)

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⑧ プトレマイオスの48星座(参考)

★天文学事典「アルマゲスト」に基本48星座デビュー

古代バビロニアの羊飼いが作った星座は、フェニキア人によってギリシャへと伝えられ、ギリシャに古くから語り継がれていた伝説や昔話と融合し、星座のギリシャ神話が誕生した。

そして西暦200年エジプトのアレキサンドリアの天文学者プトレマイオスは、自ら書いた世界初の天文学の事典「アルマゲスト」に、48個の星座を紹介した。それ以後星座が天文学の世界にも登場し着実に世界へと広がってゆくことになる。この48星座が、現在の星座の基となり、「プトレマイオスの古典星座」と呼ばれている。

★西暦1600年代星座新設ブーム到来

1600年代に入り大航海時代が始まると、それまで星座がなかった南半球の星空に、フランスのバイエルが新しい星座を作った。ところが、これがきっかけとなって、新しい星座を作ることが一大ブームとなり、星座の数はあっという間に100を超えてしまった。

なかには自分の愛する猫を記念して「ねこ座」を作ったり、仕えている王様に献上するために星座を作ったり、オリオン座を「ナポレオン座」にしようとする動きもあった。当時は星座を作るための規則も許可も何もなかったのだ。まさに星座乱立時代だったのである。


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プトレマイオスの48星座、下端に見えるアルゴ座とカノープス、真冬の南にギリギリ見える。

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アルゴ座(参考)、右上にシリウス、右下にカノープス

アルゴ座は、『アルマゲスト』に見えるプトレマイオス星座の一つだが、それ以前のアラートスの『ファイノメナ』にも詩われている歴史の古い星座である。ギリシアの詩人たちによれば、星座となっているアルゴー船は、船首部分を欠いた不完全な形であるという。

プトレマイオスが定義したアルゴ座は、現在の「らしんばん座」と「とも座」の大部分、それに「ほ座」の西半分ほどの領域であった。カノープスは現在「りゅうこつ座」の北西端にあるが、プトレマイオスの定めたアルゴ座では南西端だった(wikiより)。


⑨ ヨーロッパの天文図(星座図、参考)

カノープスを含むアルゴ座が下部の左に全て描かれているが、イタリア以北ではアルゴ座は欠けて見えなくなる。

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Map of the constellations of disputed origin, 9th or 11th-century, Northwestern Europe (Northern France? Low Countries? St Augustine’s, Canterbury?), Harley MS 647, f. 21v