・そして19世紀初頭以前、大砲の威力がいまだにそんな圧倒的でもなく(圧倒的になりつつはあったのですが)、軍服というのが兵士の姿を見えづらくさせるための物では無く、そのカラフルさで敵を威圧するための物であった時代。定色という概念は最高峰に達しました。画像は陸上自衛隊の定色の一例です。奥の兵隊達の首に巻かれているスカーフの色が統一されてますよね。これが兵科ごとの定色です。
・それ以前に於いて中世ヨーロッパのいわゆる騎士達の時代が過ぎ去り、百年戦争や薔薇戦争における重装兵による戦争、いわゆる全身を甲冑に包んだ兵士による戦争が行なわれた時代。この時代にも軍服のカラフルさで敵を威圧する。そして味方に対してはカラフルさで自身の存在をアピールする。と言う概念は存在しましたし、その役割を果たしたのは兜の上に飾られた前立、身に着けた盾、そして鎧の上から羽織る陣羽織。こう言った部分に描かれた各々の家紋でした。そう言った点では日本の戦国時代とよく似ています。画像はテンプル騎士団の陣羽織です。黒地に白の十字架というのがテンプル騎士団のマークなんですね。これを鎧の上から羽織るわけです。
・その後、銃器が発展すると鎧の重装化は限界に達し、かえって身を軽くして、素早く動き回れるようにする方向へと軍装は変更していきます。そうなると戦場にはより通常の服装に似たスタイルで出て行くこととなり、その身軽さで動作を簡単にすることの方が戦場に於いて重視されるようになっていきます。となるとより個人個人を目立たせるための奇抜なデザインが可能と成りました。この時代の典型的な軍装には今と通じる物があります。それはわざと服をずたずたにして下に着た服の色を見えるようにする。と言う物で。これには俺はこんなにも勇敢に戦ってきたんだぜとアピールすると同時に、ほれほれ俺はこんなに傷付いているんだぜと見せることで敵を油断させるという意味合いがありました。又、帽子を大きくハデにしていくのもこの時代の傾向でした。画像は三〇年戦争初期まで戦場の主役だったドイツ傭兵達です。服をわざと切ったり、膨らませたり、帽子をハデにしたりしているわけです。
・こうして個人個人の存在を大きくアピールする必要性が頂点に達したのは傭兵自身が国家の君主となる程までに全盛を極めたイタリア・ルネッサンス時代を経て、ヴァレンシュタインやティリー伯のような前代未聞の大傭兵隊長が活躍した三〇年戦争の時代でした。と同時にこの頃、近代における定色の概念へと道を開く。即ち個人の武功を目立たせるためではなく、部隊の見分けを付けるための定色。と言う概念へと進むための重大な転機が訪れます。
・それはそれまでの個人の武勇に頼って来た戦争から、ローマ末期の時代、ヨーロッパ中世の幕が開いて組織的な戦闘というのが廃れて久しかったヨーロッパにスイス戦闘団方式を端緒としてある種の隊形を構成して部隊としての戦功を上げる。と言う概念の重大さが再認識されるようになっていったことでした。この事を象徴する物に三〇年戦争で多くの傭兵隊長が愛用したテルシオと呼ばれる陣形が存在します。画像はテルシオを描いた当時の細密画です。中央に槍を持った人達が集まり、その周囲を銃を取った歩兵が固めています。兵士達の服のカラフルさも判ると思います。
・更に三〇年戦争初期と時を同じくして発生したオランダ独立戦争に置いて、近代軍隊にとって不可欠の存在となる概念が誕生しました。それは国土をいくつかの管区に分けて、各々の管区で徴兵(と言っても当時は志願兵を金で吊るという物で、いわゆる徴兵制度のイメージとは多少異なります)を行なって「俺たち、同じ土地の出身だよねー」という連帯感を持って部隊としての統一性を高める。と言う国民軍の誕生と、それを支える連隊と言う制度の誕生でした。そんな近代軍隊の端緒を開いた軍制や隊形について、俗にマウリッツスタイルと呼びますが、これはオランダ独立戦争の指導者だったマウリッツの名にちなんだ物です。
・このマウリッツスタイルを更に押し進めた制度に基づく軍隊を率いて活躍したのが三〇年戦争に参加し、短期間の間に北方の小国をバルト海沿岸を抑える一大大国に育て上げた英雄グスタフ・アドルフでした。より正確にはグスタフ・アドルフは父が創案した貧しい小国だからこそ可能だった国民軍の創設。と言う遺産をより大規模に組織化したに過ぎなかったのですが。この時、連隊ごとに制服の色を統一するという定色の概念が初めて誕生したと言っても良いでしょう。故にこの時、存在した連隊ごとに軍服の色を統一した部隊。彼等のことをその軍服の色に従って黄色連隊、赤色連隊、青色連隊、黒色連隊と呼びます。画像は赤色連隊の兵士達です。制服が赤に統一されていて、後は装備が違うだけな訳ですね。
・時は更に進んで三〇年戦争末期、三銃士の悪役でおなじみのリシュリュー枢機卿の指導下、大陸軍国としての地位を益々揺るがない物としていたフランスでは遂に軍服の基本的な色をナショナルカラー、即ち国旗の色に統一して、その上で各部隊の見分けを付けるため、連隊ごとの印を付与するというますます近代的な意味での定色が登場することになります。ちなみにこの当時のフランスのナショナルカラーは白で、これはブルボン朝フランス王軍を通じて使われ続けました。画像は三〇年戦争時代以後、ナポレオン戦争時代まで世界最強を誇ったフランス騎兵達です。部隊ごとに何となく制服が同じなのが判りますかね。
・さてここまでが実は前振りです。私は今度、と言うか以前から18世紀中盤。プロイセンと神聖ローマ帝国、今のオーストリアとが軸となってドイツ文化圏の支配権を巡って争っていた時代を出発点にして、歴史を改編して七百万年後を舞台にした作品を書こうと思っていたのですが、当然、当時は定色というシステムがある種の最高潮に達していた時代でした。まず国軍全体で共通の定色があり、兵科(歩兵や砲兵とか)ごとに定色があり、更に部隊単位で定色が決まっているという具合でした。画像は18世紀中期の神聖ローマ帝国軍教皇騎兵達です。三人ともジャケットは白、左の人物は袖とズボン、裾の折り返しが黒、シャツが白、肩のストラップは白。真ん中の人と左の人は袖、裾の折り返しは赤、シャツとズボンがわら色というのは共通だけど真ん中の人物は肩のストラップが赤で、シャツの縁に赤のライン。右の人物は肩のストラップが白。と言う風に部隊によって少しずつ違うわけです。これがいわゆる定色というやつなんです。
・そんな色取り取り、文字通りに戦場がカラフルだった時代背景を前提としている以上、イメージを広げるために部隊ごとの定色を見てイメージできるような資料を作りたいな。とは思っていたのです。所が私は殺人的にて塗りで色を塗るのがへたくそなので、なんとか一から十までペイントを使って資料を作れないのか。と思っていたんですねー。
・そうして思いついたのが今回、作った資料な訳です。これは以前、某書の挿図で見た例の18世紀中盤の神聖ローマ帝国軍の軍服に用いられていた定色を判りやすく図示した物で、これは使える。と思ってそのスタイルを借りて自分なりにちまちまと作ってみた物です。
・ええと、具体的に触れていきます。左上の物は人民自由評議会のナショナル・カラーの濃い青のジャケット、前襟と袖の赤い縁取りは甲板兵(いわゆる水兵)、砲兵、輜重兵(補給を担当する兵隊)に共通、ボタンは金、襟と前襟、裾の折り返しは赤、ズボンは白、黒の布ゲートル。その右隣は襟と前襟は黄色、裾の折り返しは濃い青、わら色のシャツ、ボタンは金。と言った調子です。
・これだけでも十分マニアックで濃い世界ですが、更にこれに加えてマニアックな作品世界を構築するため、あと二つほど作業を並行して進めています。