官僚機構と原子力ムラがこれまで原発推進してきた癒着の実態が明らかになった。

国民に評価を公表する前に、原発を規制する側と原発を推進する側が接触を持ち、原発推進に有利にするため、公表前の文書原案を横流したのである。

これは、原子力規制委員会の敦賀原発の活断層の評価を事前入手して、活断層との評価を覆らせるために官僚機構が原子力ムラに裏工作したということである。

官僚機構と原子力ムラは、福島原発事故があったとしても、原子力規制庁を発足しても、事故前と変わらず安全基準をお座なりに癒着していたのである。

福島原発事故の報告書で、原発推進と原発規制が分離していないことが問題だったが、これでは原発推進と原発規制を分離しても意味がないのである。

結局、原子力規制庁の人材が原発推進した経産省と文科省の出身では、原子力ムラの一員からの脱却は図れず、体質は発足以前と何ら変わらないのだろう。

しかも、この癒着に関する対応も訓告処分と出身省への出戻りだけとは緩すぎる。

職務である原発の安全を図ることに背いて、原子力ムラと癒着していたのである。
国民の原発に対する安全への信頼が失墜した時点で存在価値が無くなるのである。
文書漏洩は、「接待や金品の授受が無かった」だけで済む問題ではないのである。

原子力ムラと完全に決別する規定を設けない限り原子力規制庁の意味は無くなる。
そして、この行為を擁護する読売新聞も原子力ムラから抜け出せず決別できない。

[3日 読売新聞]元審議官「原電の発言準備に配慮」…文書手渡し
原子力規制庁の名雪哲夫元審議官(1日付で更迭)が、日本原子力発電の敦賀原発断層調査に関する公表前の文書を同社に渡した問題で、元審議官が同庁の聞き取り調査に対し、「原電は断層調査に関する評価会合に出席すべきだ、という強い思いがあって渡した」という趣旨の説明をしていることがわかった。

規制庁幹部らによると、元審議官はもともと「原電にも発言の機会を与えるべきだ」という立場で、文書を事前に渡すことで同社が評価会合で発言する準備をしやすいよう配慮したという。だが実際には、原電は評価会合に呼ばれず、出席しなかった。

同原発の断層調査の報告書案は1月28日の評価会合で公表された。名雪元審議官が、規制庁を訪れた原電側に文書を渡したのは1月22日。この時期、電力会社や地元自治体などからは「原子力規制委員会は事業者の意見を聞かず、少人数の専門家で拙速に結論を出そうとしている」と批判の声が上がっていた。

そもそも原子力規制委員会は、原発が安全基準を作成して安全性を審査することに対して、事業者の意見や地元の意見を聞く必要があるのであろうか。

原子力規制委員会を三条委員会と定めて独立性を高めた理由は、政治介入を含めて様々なシガラミを完全に絶ち、原発の安全性のみを審査するためである。

国民が原子力規制委員会に求めることは原発の安全性の確保であって、原発の幅広い意見を集約するとか事業者の発言の機会を与えるとかは求めていない。

このことから、文書を漏えいさせた名雪元審議官の言い分は、「原発の安全性」よりも「日本原電の出席」を優先させるべきとの考えが招いた結果となる。

つまり言い換えれば「原発の安全性」よりも「原子力ムラの意向」が優先なのだ。

2012年9月19日に発足してから4カ月目しか経っていない状況で癒着が発覚したことは、組織に「原発の安全性」より「原子力ムラの意向」という考えが色濃く残っていることを示しているのである。

そして、原子力ムラである日本原電に官僚が便宜を図った行為で処分が甘い結果も、抜本的に体質を見直しには繋がらないことを示しているのである。

事の顛末をみれば、明らかに内部規則を逸脱しており組織ぐるみと言えるだろう。

現状の原子力規制委員会の内部規則では、原発を規制される側との接触は必ず二人以上を伴って行うこと、面談内容も後日に報告することになっている。

しかし、ここに「挨拶を除く」という官僚用語である例外項目を設けていたのだ。

つまり、「挨拶を除く」との官僚用語が入れば、本人が「挨拶」と主張する限りは、原子力ムラと何度でも面談できる抜け道が存在することになるのである。

この結果、文書を漏洩した名雪元審議官が日本原電側と接触したのは、昨年12月以降に5回も日本原電幹部と面会を持ち、どれも1人で面会していたのである。

そして、後日に報告を受けることで組織内で単独5回の面会を共有していたのだ。

これは、原子力ムラと何度単独で接触しようが、本人から「挨拶」と報告されれば、見て見ぬ振りをするという体質が組織にあることを示しているのだろう。

もし文書の漏洩したことを報告しなければ発覚しなかったのではないだろうか。他にも原子力ムラと単独複数回の面会という事案があるのではないだろうか。

「挨拶」の例外項目で単独面会を許せば同じ結果を招くのではないだろうか。例外項目を断ち切れないのは昔のしがらみがあるからなのではないだろうか。

組織関与を否定して個人で処理するのが、原子力規制庁の森本次長の発言である。
下記の発言を聞けば、原子力規制庁の体質が改善されるとは考えられないだろう。

「挨拶が終わり、敦賀原発の話になった時に別の職員を部屋に呼ぶべきで軽率な行為だった。中立性を重視する規制組織の職員として著しく軽率な行為だった。個人の問題である。組織的な関与は無かった。原案に未公表情報はなく修正指示もない。金銭の授受などはない。内規違反だが法律違反はない」

不祥事を名雪元審議官の個人に全て押し付けトカゲのしっぽ切りをするのである。

これ以外の言葉は、「組織的な関与は無い」「修正指示は無い」「金銭の授受は無い」「法律違反は無い」と無い無い尽しの言い訳のオンパレードなのである。

結果的に何ら影響なかったのだから何も文句はないだろうと言わんばかりである。
やはり、根本的に国民の意識とはかなり懸け離れた組織的な体質があるのだろう。

原子力規制庁は、今回の発覚により原子力ムラと官僚機構の癒着を完全に断ち切らなければ、原発の安全を確保できると国民が信頼することはないだろう。

国会で、今回の原子力規制庁と原子力ムラの癒着について徹底追及すべきである。
福島原発事故を冒涜する安全を蔑ろにする国民への背信行為を許してはいけない。



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