ジョギングコースに、七曲りの史跡があります。

ちょこっと調べてみました。



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国道196号線(旧今治街道)は、江戸時代には堀江街道と呼ばれていたそうです。
この堀江街道は、山越から鴨川辺りまではウネウネと曲がっていて、急なカーブが七つあったことから「伊予の七曲り」と呼ばれていました。
現在の場所で言うと、姫原バス停あたりから鴨川交差点までのおよそ700mの間で、現在でもその道形が残っているところがあるそうです。
これは宇和島の七曲りのような地形的な制約による物ではなく、松山城を北方から攻める敵の進入を遅らせ、また敵兵の数を知るために、多数の鉤型の道を造ったらしいと言われています。
このような意図的に造られた交通の障害が近年の自動車交通時代には受け入れられず、昭和40年頃に七曲りは直線化されていますが、旧版地形図を見ると確かに七回曲がっているのが確認できます。





現在の地図上での推定では、赤線が消失した部分、青線が現存する部分だそうです。





松山城から見た「伊予の七曲り」です。






七曲りの石碑