サービス業界ではわりと有名なお話。

世の中の「いい話」の中でも最高峰じゃないか?と思える実話。ほんとうに涙が出るいい話です。(文中の病院は東京・築地のS病院、店員さんのいる百貨店は東京・日本橋の老舗、T百貨店です。)

《ある病院に不治の病の少女がいました》


不治の病にかかり1歳から入退院を繰り返している少女がいました。ようやく5歳になったものの、治療の甲斐もなく、ついに安らかに死を迎えさせる終末看護「ターミナルケア」(終末医療)に入ることになってしまいました。
《ある日医師がその子の父親に言いました》


病気のため、食事制限もかなりあったのでしょう。食べたいものもガマンしていた少女でしたが、医師は最後になんでも好きなものを食べさせて上げて下さい、と少女の父親に言いました。

《「言ってごらん。何か食べたいものがあるかい?」》


少女はいいました。「お父さん、ぶどうが食べたいよ」「よしわかった!」と言ったものの、季節は冬です。ぶどうなどはどこにも売っていません。

《お父さんは東京中のお店を探し回りました》


いまでこそ、1年中売っている果物もありますが、何十年も前の話です。季節はずれの「ぶどう」など売っている店はなかったのです。お父さんは困り果てました。

《すがる思いで訪ねたこの百貨店の地下青果売り場》


すがる思いでこの百貨店の地下、青果売り場を訪ねたお父さん。最後の望みをかけて、店員さんに「ぶどうはありますか?」と尋ねました。

《「はい、ございます」と店員さんが指差した先には「巨峰」が。》




お父さんが「ぶどうはありますか?」と店員さんに尋ねるとなんと「はい、ございます」との答え。でも店員さんが指差した先には「一箱3万円」の巨峰がありました。

《「3万円かあ・・・」困惑するお父さん》


実は娘の入院費がかさみ、お金がなかったお父さん。とても3万円のぶどうを買える余裕などありません。いちかばちかで店員さんに頼んでみました。

《「そのぶどうを一粒でいいのですが、売ってくれませんか?」》


娘の入院費がかさんでとても1箱3万円の巨峰なんて買えない。言ってみなくてはわからない。事情を店員さんに話し、いちかばちか頼んでみたお父さん。「そのぶどうを1粒でいいのですが、売ってくれませんか?」店員さんはいとも自然な対応で「いいですよ」と答えました。

《こんな「神対応」の店員さんがいるのか?!》




店員さんは何かを確認するかのように黙ってうなづき、売り場の「1箱3万円」の巨峰の数粒をもぎ、キレイな箱に入れて綺麗に包装してくれました。そして言ったのです。「2000円でございます」

《ぶどうをもって娘のもとへ走るお父さん》

「ぶどうを買ってきたよ。お前の食べたがっていたぶどうだ」そういうとお父さんは買ってきた巨峰を差し出しました。娘はやせ細った手でぶどうを受け取ると一粒口に運び、「お父さん、ありがとう。美味しい。。ほんとうに美味しいね」と言いました。

それからまもなくして、娘は息を引き取ってしまいました。

《マニュアルなんて入る隙間が無い!人が人のためにした行動!》


「売り場の商品をばらして売るなんて!」そう文句を言うマネージャーもきっといたに違いありません。あるいはこの店員さんはマネージャークラスの偉い人だったのか?などと考えてしまいます。マニュアルに従わないのはいけないことですが、時として「人が人のためにできる当たり前のこと」はマニュアル通りではない場合だってあります。このお話は何十年も前の話ですが、現代でもこのような「当たり前のこと」がとっさにできる店員さんがいるとしたら、ステキだなと思います。


(ネット引用)