日本の心、ここにあり。仕事に役立つ「武家の礼法」


鎌倉の世から受け継がれてきたサムライの礼法。
“実用・省略・美”を掲げ日々心身を鍛えるその教えは、「和の心」で世界と闘うビジネスマンの無上の糧である。一子相伝750年、小笠原流宗家が語る。




礼法の本質は「鍛錬」にあり

礼法と聞くと、決められた動作を覚えるだけの堅苦しい行儀作法だと思われるかもしれません。しかし、武家を中心に伝えられてきた小笠原流礼法の本質は、日常生活の中で行う心と体の「鍛錬」です。

現在、私は礼法の教室をいくつも持っており、大学でも教えていますが、初めて参加される方は一様に戸惑います。話を聞くお勉強ではなく、体を使う鍛錬から始まるからです。基本である歩き方の練習だけでも、始めて5分もすると汗だくになります。筋肉痛にもなるし、思惑違いからすぐにやめてしまう方もおられます。

その半面、10年以上通われている方も少なくありません。こういう正しい体の使い方、物の扱い方が大切だと思ってくださっているのでしょう。

小笠原流礼法は、源頼朝に糾方(きゅうほう)<弓馬術礼法>の師範として招かれた初代・小笠原長清が、源氏の兵法と公家の礼法をまとめ、鎌倉幕府という新組織にふさわしい形式に仕上げたのが始まりで、室町時代に確立。各時代の将軍家師範を務めてきました。





(上)3月に福岡・飯盛神社で奉納された草鹿(くさじし)式。

(下)射手たちが鹿の形の的に矢を放ち、当たり所を問答。弓馬術礼法として継承されている。

一子相伝で受け継がれてきたその真髄は「実用・省略・美」。日常の行動として役に立ち、無駄なく、ほかから見て美しくあるということです。小笠原家には流鏑馬(やぶさめ)・笠懸(かさがけ)など馬上から弓を引く騎射や、大的(おおまと)式・草鹿(くさじし)式など地上で弓を引く歩射という「式法」が今に伝わっていますが、その基本は常に「礼法」にあります。

もう少し具体的に説明しましょう。礼法とは「身を修める」ことです。身を修めるとは、「心正しく、体直(たいなお)くする」こと。心正しくとは、文字通り常に心を正しく保つこと。体直くするとは、常に体を真っ直ぐにしなさいということです。

小笠原流礼法では立つ、歩く、座るという日常の姿勢や動作が最も重要な作法の基本とされていますが、そのときに大切なのがこの「体直く」、すなわち体を真っ直ぐにすることなのです。


言葉にすると簡単ですが「体直く」は、現代人にはかなりきつい姿勢・動作です。試してみてください。たとえば、椅子に座った状態で胸を張り、背筋を伸ばした姿勢を何分続けられるでしょうか。あるいは、その座った姿勢から、上体を真っ直ぐにしたまま立ってみてください。現代では、椅子から立ち上がるとき、上体を前傾させ、弾みをつけて尻を持ち上げるのが一般的な動作です。それに対して礼法では、前傾姿勢をとらず、上体を直立させたまま「風のない日に煙が空に立ち上るように」立ち上がります。大腿筋、腹筋と背筋もしっかり使わないと立てないことがわかると思います。

礼法は諸大名や上級武士たちに殿中でのふるまいを指導するものですが、基本は前述の通り、日常生活の中での足腰の鍛錬。幼いころから礼法に則った生活が当たり前だった武士たちは、現代人とは比較にならぬほど強い筋力、体力を持っていたと思います。




気品と思いやりを感じた旧厚生官僚



小笠原夫妻が指導する礼法の教室。立つ、歩く、座るという基本動作から座布団の進撤、扉・障子・襖の開閉、硯箱の扱いなど多岐にわたる。「気がついたら、道端で“行き逢いの礼”をやっていました」(教室の男性)。



礼法の所作は、武道でいう「型」と同じです。筋肉の動きに反しない、無理や無駄のない自然な体の使い方や物の扱い方を体得することが基本です。

たとえば、お辞儀の仕方にもきちんとした呼吸法があり、動作に呼吸を合わせるのではなく、呼吸に動作を合わせると滑らかで美しいお辞儀になります。また、相手の呼吸に合わせてお辞儀することが大切で、それが「心を通わせる」ことに通じ、敬意として相手に伝わります。

これに対して現代の作法やマナーは、体の使い方よりも、手順が重視されています。お辞儀の仕方も、上体を傾ける角度が何度、頭を下げているのは何秒間という具合に数字で教えられます。しかし、手順だけを身につけても、基本の体の使い方ができていなければ様になりません。相手を敬う心も伝わらない。そこが伝統的な礼法と現代の作法の大きな違いです。

そのように、立ち居振る舞いはその人の品格を表し、相手への誠意を示すもの。立ち居振る舞いを見れば、その人の誠実さや、己を厳しく律して鍛錬してきた人かどうかがわかります。



その意味で、これまでお会いした方で印象深いのは、旧厚生省の官僚であった山口正義さんです。もう亡くなられましたが戦後、公衆衛生局長、労働省労働衛生研究所長を歴任し、最後は結核予防会の会長を務めた方です。

男性ですが「あそばせ言葉」を使われる方でした。語尾に「あそばせ」をつける「あそばせ言葉」は、女性の言葉づかいと思われていますが、もとは江戸時代の上級武士の言葉づかいです。山口さんはいつも毅然としており、所作のひとつひとつに気品と、相手に対する深い思いやりが感じられました。




融資相手が誠実かどうかを見分ける

逆の場合もあります。「家業を生業にしない」という家訓に従い、私は政府系の金融機関に定年まで勤めましたが、業務畑が長かった。融資の窓口を担当したときには、融資の申し込みに様々な方が来られて平身低頭されますが、その立ち居振る舞いを見ていると、誠意のある方かどうか、仕事を離れてもつきあえる方かどうかが私にはわかりました。よく同僚に「なぜわかったの?」と驚かれたものです。

つまり、礼法による作法を体得することで、多くの言葉を弄さずとも、相手に対する誠意や相手を敬う心を伝えられると同時に、相手の自分に対する気持ちや思いを汲み取ることができるようになるのです。

正しい姿勢をとることを基本とするのは、武家の礼法に特有のものではありません。ヨーロッパの騎士道に由来する貴族の作法にも、同じ考え方があります。それは乗馬とダンスに象徴的に見られます。いずれも貴族の嗜みとして、必ず身につけなければいけないものですが、正しい姿勢を取れないとできません。

流鏑馬でもそうですが、乗馬は足腰の筋肉をしっかり使って正しい乗馬姿勢をとらなければ、馬から振り落とされてしまいます。ダンスも体幹がぶれたら踊りになりませんし、相手に迷惑をかけてしまいます。

「体直く」を基本とする生活は、洋の東西を問わず、上流階級の作法として重視されていたものと思われます。







小笠原流礼法三十一世宗家 小笠原清忠氏


日本の場合、武家の世が終わった明治以降、伝統的な作法からこの「鍛錬」の部分が欠け落ちていきました。小笠原流礼法を継承する立場から言えば、それは決して生活が洋風化したからではなく、作法が楽なほうへ、楽なほうへと流れていった結果、現在のように手順優先になったといえます。

グローバル化が言われ、東京五輪の2020年開催が決まって「おもてなし」という言葉もよく使われます。なのに、小笠原流礼法の稽古を見た日本人は「今どき、誰がこんなことをやるの?」と怪訝な顔をします。けれど、外国人が見ると「こんないいものがあるのに、なぜ日本人はやろうとしないのか」と言います。

礼節は、その外見こそ国や社会によって異なるものですが、大もとにあるのは、いずれも人を思いやる心です。そして、自国の伝統に根ざした作法は、どの国へ行っても通用するもの。ですから、国際化が進む現代にこそ伝統的な作法を学ぶことが必要ですし、それが日本という国を世界にアピールすることにもなると私は思います。

では、ある程度の年齢を重ねた今、仕事の合間に一から礼法を学ぶことは可能でしょうか。先にも述べましたが、武士は子供のころから礼法に則った生活をしますから、自然と作法が身につきます。しかし、そのような生活習慣のない現代人が、大人になってから礼法を学ぶのは、少々大変かもしれません。一度だけ、1~2時間やって終わりでは意味はありませんし、そうですね……2年から3年続けて、少し格好がつくかなといったところです。

しかし、決して難しいものではありません。普段の生活の中に少しずつ取り入れていけば、疲れにくい体づくりに繋がります。ほかとはちょっと違う美容体操だと思えば、始める際の抵抗感も小さいのではないでしょうか。



(ネット引用)

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一度習ってみたいです。



かなり、きつい様子ですが・・・




研修と言えば接偶ばかりで、




「武家の礼法」なるものを




受けてみとうござる。