小春の旅立ち
ちょうど一ヶ月前、12月24日のお昼頃にお父さんとお母さん、お兄ちゃんの三人は旅立った。
そしてその同じ日の同じ頃に、自宅で留守番していた小春も旅立った。
お父さん達が向かったヨーロッパよりもずっとずっと遠い処へ。
二度と戻って来られない遠い処へ・・・
数日経ってお父さん達が帰国した日、成田空港からお姉ちゃんに「着いたよ」とメールしたら、お姉ちゃんからの長い返信メールに
「小春が死んだ」という事が書いてあって、お父さんは驚いてお母さんにもそのメールを見せたらしい。
お母さんは内容の事を聞いても、メールの文章を見ても、それが何を意味するのか、どうしてあの元気な小春が突然死んだのか、頭が真っ白になって全然理解できなかった。
でも何度も何度も読み返して、やっぱり「小春が死んでしまった」という事実だけが、お母さんの心に突き刺さって、羽田空港までのリムジンバスの中でも、羽田からの飛行機の中でもお母さんはずっと涙が止まらず、ハンカチで顔を覆いながら黙って泣き続けた。
飛行機が到着してすぐに、お父さん達は小春を預かってもらっていた、NPOのMさん宅に直行して小春に対面したらしい。
少しだけ眼を開けて眠っているような小春。でも冷たくて硬くなっていた身体が、死という現実を思い知らせた。
動物の火葬も手がけているMさんに、その二日後の火葬をお願いして、お母さんは小春を家に連れて帰ったんだ。
火葬の日はとても天気が荒れていて、まるで皆の悲しい気持ちみたいだった。
ボクも茶太郎も家の窓から小春を見送った。
間もなくお正月がきて短い冬休みの後、お父さんもお母さんも仕事で、再び忙しい毎日。
お兄ちゃんも少ししてから学校へ戻って行ったし、お姉ちゃんの学校も始まり、皆がいつも通りの生活に戻ったように見える。
でもお母さんは「心に蓋をして」仕事をするのが結構こたえるって言ってる。
お風呂に入ると小春がつかまり立ちした時の脚の傷が、少しずつ消えるのを見て泣いているみたいだし、まだ小春のベッドや小物なんかはそのまま片づける事ができないみたいなんだ。
ボクも茶太郎もあの元気でウルサイ小春が急にいなくなったもんだから、最初はとまどってしまった。
お母さんやお姉ちゃんが泣くのを見て、何となく小春がもう帰って来ないんだって、だんだん分かってきたし、もっと優しくしてやれば良かったって思うこの頃。
ただお母さんが元気がないと皆が心配するし、もう自分を責めるのはやめて、小春は家で7ヶ月間幸せだったと思うようにしようよ。
きっと小春は向こうでは他の猫のように、普通に走ったりジャンプしてるんじゃないかな?そしていつか、お母さんが向こうに行くまで待っていると思うよ