Aではとても深い傷を負いました。

ある意味、その後の私の生き方を変えたと

言っても過言ではありません。


毎晩 毎晩 まいばん泣いていました。

朝、腫れた目を冷やす蒸しタオルから一日が始まる。

ほんとに辛かった。


だから、泣きはらした後の腫れぼったい顔の映像を見る

のは今だに怖いのです。よく写る訳がありません。

いろいろ思い出すのも怖い。


それでも私は夕子さんを最後までやるつもりでいました。

あたりまえです、新人ですもの。

だからこそ、現場ではどんな事があっても絶対弱音は吐かなかった。

現場で涙を見せた事は一度もありません。

ほんとにいろんな事が沢山ありました。


勿論、まさか降ろされるなんて想像もしていませんでした。

しかもあれ程までに乱暴な形で。


視聴率の取れない番組がもがき苦しみ暴走してしまった結果

と言う事なのででしょうか。

みんなが必死になればなるほど、空回りしてしまったと

言う事なのかもしれません。

ちょっとした集団ヒステリー。


なりもの入りでスタートした番組でしたから尚更です。

力入ってましたもの。

それだけに、うまく行かない苛立ちと言うものが、

制作にも現場にもあったのは確かだと思います。


私には制作側で起きていた事は、想像する事

は出来ても、知る事は出来ません。

30年前も今も、私の降板の理由を説明して頂いていないのです。


やはり魔物の仕業だったと言う事なのでしょう。

視聴率と言う名の魔物。


30年以上経った今だに、あれは一体なんだったんだろう

と不思議に思う事が一杯あります。

おそらく、私がそれを知る事は生涯ないでしょう。


ただ、時を経て私が知った事は、30年以上昔の子供達が

あの28話を見て、私と全く同じ傷付き方をしたと言う事。


唐突に飛び込んできた別れの映像、

なんの前触れもなく渡されたて読んだ台本。

その時に受けた衝撃が同じだったと。


そして、この長い歳月その時の子供達が、

ずっとその寂しさを胸に秘めていて下さった事。

更にその感情が、私が無意識に胸の奥底に仕舞い込んでいた

感情と全く同じ質のものだったと言う事を感じて、

魔物がくれた最大の贈り物と思わずにいられません。


悲しかったのは私だけではなかったのです。


私はこの事を生涯の宝として大切にしていきたいと思っています。


皆様本当に有難うございました。


DVDが見れる日が近いのかな、と言う気がしています。

雪解け・・・?




☆ 娘のブログを見てビックリして飛んで来て、思わず書かずに

いられない衝動にかられ、勢いで書いてしまいました。

後悔するかな。


☆ 実は書きながら少々涙目(笑)


☆ 明日、目が覚めた紫子に怒られちゃうかも。

ってこれ、ブログジャックでしょ?