原発全廃の願い再び(梅原猛) | 親爺のブログ

原発全廃の願い再び(梅原猛)

哲学者の梅原猛氏のエッセーにぶれない姿勢を見た。以下、全文引用する。

(尚、文中の"(中略)"は梅原氏による)



「思うままに 大震災を考える(三) 原発全廃の願い再び」
梅原猛(哲学者)


私はこの「思うままに」という連載エッセーを1992年1月から続けているが、
これまで三度にわたって原発について論じている。
一度目は1996年8月、二度目は1999年10月、三度目は2002年10月である。
この三つのエッセーにおける主張はほぼ同じであるが、
ここでは一度目のエッセーの一部を引用することにしよう。


(以下、引用始め)
原発は段階的に廃止されるべきものであると思う。
なぜかといえば、それは危険であるばかりか、その廃棄物は少なくとも今の科学の発展段階では、
現在及び未来の人類の生存に対して脅威を与えるからである。
(中略)代替エネルギーの問題が起こってくるが、一つは消費を抑え、
一つは原発に代わるエネルギー源を開発すべきであると思う。


私は、大量生産、大量消費のこの文明の性格を改めないかぎり、人類の末永い繁栄はあり得ないと思う。
それにはまずエネルギー消費を抑えることが先決問題である。
今はむしろエネルギー消費が資本主義経済を活発にするものであるとして奨励されているが、
それでは人間は自ら自分の首を絞めているようなものであろう。


エネルギーの節約はまず電力から行わねばならない。
今の日本には無用と思われるような電力消費が多くある。
東京の街の夜の明るさは今の五分の一であっても、街の品位と安全は保たれると思う。
かつて石油危機のときに、国も、地方自治体も、企業も、
エネルギーの無駄遣いをなくそうと努力して効果を上げたが、
そういう倹約の風習はバブル経済謳歌の時代にすっかり失われてしまった。


このように消費をできるだけ減らすとともに、原発に代わるエネルギーを開発しなければならないが、
石炭は環境破壊がひどく、石油もあと五十年しかもたないとしたら、残るところは太陽熱の利用である。
太陽熱はまだ無限であり、しかも何らの産業廃棄物も伴わない。
このエネルギーを開発すべきであると思うが、今のところはその技術はコストが高く実益が少なく、
あまり相手にされない。
しかしこれは必要が乏しいゆえに、まだその技術が十分に開発されていないというのが実態であろう。
しかし二十一世紀になると、もう石油はほとんどなくなり、原子力も危険となると、
太陽熱に頼るより仕方がなくなる。


必要は発明の母というように、私はこの太陽熱のエネルギー化に偉大な技術革命が起こるにちがいないと思う。
この研究を続け、そして今の電力のいくらかを太陽熱発電に置き換えることによって原発を徐々に減らし、
三十年後には全廃できればと願う。
(以上、引用終わり)


福島原発の大事故が起こった現在においても、私の主張はまったく変わっていない。
もしもこのとき、30年かけて原発を漸次的に廃止するという私の提案が採用されていたならば、
あるいは福島原発が廃止され、今回の原発事故は起こらなかったのではないかと思う。


東京新聞2011年4月25日(月)