三木助の姉の戯言 | 小林茂子オフィシャルブログ「生きてみよ、ツマラナイと思うけど」Powered by Ameba

三木助の姉の戯言

今回は姉!

三木助は『成田離婚』という言葉を作った奴だった。

私も三木助も普通の家庭への憧れは強かった。

しかし、それ以上に強かったのが姉弟の絆だったのかもしれない。


私は今もあの世で三木助が不自由していないかを心配している。

私の異性への気持ちの基準は弟だった。
盛夫(三木助本名)なら、こうするだろうだった。


また同じ事を盛夫もしていた。
付き合った彼女達の何人かに『盛夫さんの口癖は姉貴だったら~こうする』とよく言われたそうだ。


それは噺家の家に生まれ、父を幼い頃亡くした姉弟が父を神格化するあまり理想が一体化してしまった故だろう。


ともに伴侶に恵まれなかったが跡取りはいた。


この跡取りは盛夫の子供ではないか…と母に聞かれたほどそっくりだった。


これもまた災いしていた。

『俺に子供が出来ても康浩(三木男)より俺に似ている…この確率は低い!あいつは俺のコピーみたいだから~だから俺は子供は欲しくない』と言っていた。

また息子は息子で『お父さんよりオジ(盛夫)が好き』と言って父なる人から疎まれていた。


三木助が生きていたら三木男は噺家になっていたかどうかわからない。


しかし、自分の着物を着て、自分の帯を締め、自分の扇子を持ち高座に上がる甥を天国からどのような気持ちで見ているのだろうか?

着物着た後ろ姿、家での何気ない所作に鳥肌が立つほど弟に似てきた息子…小さんおじちゃんが四代目の高座に『あいつは兄貴の高座知らないのに驚くほど似ている(姿と所作だけだろう)』と言っていた。


最近かのカリスマに『あいつは驚くほど三代目に似ている。三代目に追い付くのも間もなくだ(こちらは思い込み)茂子心配するな!』と言われたが、あからさまな、えこひいきだから心配だ。


はてさて、そっくりな父、弟、息子…小林家、桂三木?(まだ一人、助になれないので)どうなりますやら…