よきかなのブログ

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ご無沙汰いたしております。

どうも72歳を過ぎたあたりから急速に進んだ「老化」現象。

こんなに急に来るとは思っていなかった

というか、気か付かなかったというべきか。

 

とくに年初に起きたアクシデント、路上で転倒してろっ骨を骨折したことで、

数日間寝付いた時に、一気に太ももの筋肉が落ちてしまい、自分の歩き方が小股のちょこちょこ歩きになってしまった。数年前から老化が気になっていた6歳上の姉と同じ歩き方になってしまった。

 

ちょこちょこと小股に歩いていることに気が付くと、意識的に歩幅を大きくして、速足で歩くようにしています。速足なのに歩幅を大きくすると、しっかりと地面を踏みしめられて、余裕を持って歩けます。姿勢もよくなるし。

 

外面的なこともありますが、「老化」が問題なのは、気持ちが萎えてしまうこと。

 

意識的に外出することにしています。

 

そんな時に、学生時代にとても印象的だった人の訃報が入りました。

 

何人かの友人から電話が入って、そのことを知りました。

よきかな の胃がんの時に、彼はその数年前に大腸がんの手術をしていて、ステージはずっと進んでいたのですが生還していました。

遅く結婚したので、其のころはま二人のお子さんも就学年齢だったこともあり「死んでたまるか」という思いもあったと思います。

 

もう、15年以上時間がたつので、大腸がんの再発といえるのかどうか。先に亡くなっている、よきかな の夫となぜかうまがあい、仲良くしてもらっていました。

 

学生時代、閉鎖されていた学生会館の一室に陣取り「クラスの部屋」を作って、何かと集まっていろんな話をしました。閉鎖されていた建物なので、途中から電気も止められ空調もなくなり、冬はとても寒くて暗くて、それでも、何かに惹かれるようにその部屋に集まり、様々な、今考えれば青臭くて恥ずかしくなるようなことも、まじめに語らっていました。どうにか、電気だけは通してもらって、ストーブ代わりの電熱器で冷えた手先の指を温めたりしていました。時折、見ず知らずの「大人の男の人」が建物の中をうろついていて、「あれは官憲の犬だ」とか、耳打ちされて、驚いたこともありました。その部屋に集まっていた人の中で中心的な人として、その人はいたような気がします。

たまたま、よきかな が部屋にいた時に、官憲の手入れがあるらしいという情報が入り、その人と私しかいなかったので、手でもてる限りの「ガリ版刷りのアジびら」とか、「黒いヘルメット」とかをもって、建物から逃げたこともありました。結局手入れはなかったんですけどね。

数年後、その建物の封鎖は本格的になり、出入り口をコンクリートで固めて、誰も中に入れなくなって、さらに数年後に、建物自体が壊されて無くなってしまいました。跡地には、銀行がたちましたっけ。出入り口がコンクリで封鎖された時は、私の中の「なにごとか」が終わった時でもありました。でも、10年間くらいは夢に見たものです。

 

彼は、卒業を待たずに大学を辞めて郷里の高知県に帰ってゆきました。時々上京した時にみんなで彼を囲んで会うこともありました。何度か誘われたのですが、結局高知にはゆかないうちに彼の訃報を聞いたのです。今でも目を閉じれば、あの学館の自分たちの部屋の内部のありさまが目に浮かびます。壁紙として張ったクラフト紙に、誰かがあがた森魚の「赤色エレジー」の歌詞を書いていました。彼の筆跡だっように記憶しています。

 

彼は遅く結婚しましたが、お子さんの一人に子供が生まれて、孫を抱いていたとのこと。なぜが、ほっとしました。

 

自分の体が動くうちに、一度高知に行ってみようと思います。