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よきかなのブログ

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先日、爆弾テロで革命を目指す過激派だった男が、「本当の自分」を隠して、「他の人」として「その後」を生きてきて、高齢者となって末期の胃がんが発見された。死ぬ間際に、偽名ではなくて、本当の自分として死にたいと叫んで間なしに亡くなった、と、報道された。

50年前、よきかな は、中央官庁に転職していて、Mビル爆破事件を、割と近くで「目撃」しています。

 

その日、銀座にあった「並木座」という映画館で放映が予定されていた、日活のB級アクション映画(渡哲也主演の「東京流れ者」を見るために仕事がはねた後、徒歩で銀座に向かって速足で歩いていました。

 

夕暮れの丸の内あたりで、街の辻々に立っている機動隊の姿が多いなあとは思っていました。あ、そうか、昼間に爆弾テロがあったんだっけと思い出して、ああ、私は今、「事件の現場にいるんだな」と、ぼんやりと考えていました。それと、ああ、私は、東京に住んでいる人なんだなあとも思いました。

 

そのころの爆弾闘争は、なんだか何を目指しているのかわからない、何か大事な要素が飛んでしまった「破綻している論理」だなと、私は思っていました。

 

そのころに、新聞に載っていたある記事のことがずっと心に残っています。書いたのは、あの、「赤頭巾ちゃん気をつけて」を書いた庄司薫です。(なつかしいでしょう) 詳細は忘れましたが、要約すれば、「強いて、悪い夢をたくさんバクに食べさせて、バクが消化不良をおこしたような」とか書いてあったと記憶している。浅間山荘事件から、大量内ゲバ殺人事件を経て、学生運動の行き着く果てを、見せつけられたような、「残念な気分」を持っている人がたくさんいた時代だと思います。

 

偽名で人生のほとんどを生きて、「本当の自分」で死にたいと叫んで死んでいった男の人生を考えると、僭越ながら、「なんという人生なんだろう」とか考えてしまう。

 

あの頃(若いころ)は、この男がからめとられてしまった「理屈」に自分もつかまらないようにしないといけないと、本気で考えていました。

 

それとね、だれもが、「現実の自分」と「本当の自分」の乖離を感じながら老境を迎えているのではないかという事を考えます。