思えば、最後のライブは2020年2月のスキマスイッチの宮崎公演。

 

4月には秦基博君の福岡ライブも参加が決まっていたんだけども、

 

2度の延期を経て結局は中止となった。

 

いい席だったのになぁ~。

 

まさかこんなに長引くとは・・・。

 

ということで、急きょアメブロ前ページに別ブログの去年の記事を転載して

 

話の流れを作ってみました。

 

 

そしていよいよ本題の『秦基博 GREEN MIND 2021』@熊本城ホールになるわけです。

 

以下、ネタバレとなっております。閲覧注意しておきます。

 

 

1年3ヵ月ぶりのライブ。

 

同行者以外の席は一つ空けての配席。

 

COCOAアプリのインストールの推奨。

(政府が言っても入れないけれど秦君の言う事は素直に受け入れるのです)

 

入場の際の検温。

 

ライブにおいてはコール&レスポンスの禁止。

 

声を出すことも禁止。スタンダップ禁止。

 

もちろんマスク着用は必至。

 

オーディエンスとしてできることは精一杯の拍手のみ。

 

否応なしに目に入るだろう空席(規制してるのだから当然だけど)と

 

反応が読めない観客で、果たして秦君のボルテージは上がってくれるのだろうか?

 

と要らぬ心配をよそに、いやだからこそ静まり返った会場に突き抜ける秦君の声。

 

「堪能」って言葉が一番ピッタリとくるかもしれない今回のライブでした。

 

1曲目の「僕らをつなぐもの」 最後のギターの余韻が消えるまで水をうったような静けさ、

 

からの満員分の音量を出すぞとばかりの拍手。

 

秦君の声とギターの音色をまさに「鑑賞」するには、

 

熊本城ホールという素晴らしい環境も相まって絶好のライブかも知れません。

 

今回のGREEN MINDは、秦君のライフワークともいうべきギター1本での弾き語りで、

 

と言っても相棒としてルーパーとリズムボックスを駆使して、

 

1人で5役ぐらい演って厚みのある楽曲もありました。

 

特に「Raspberry Lover」では曲の途中でコーラスまで録音上書きして

 

それをループさせるという高度技術?(笑)まで披露してました。

 

秦君と言えば、普段はあまり曲については語らない印象で、

 

「言いたいことは曲に込めているいるから、後は聴いた人がそれぞれの感性で

 

受け取ってくれればいい」みたいなスタンスなのかなぁと。

 

さらにその言いたいことってのが直接的な言葉じゃなかったりするんです。

 

例えば、東北大震災での原発事故の直後、TVで事実をひた隠しする大企業や

 

原子力養護派の学者の発する言葉を見ていて、

 

僕らにも沸き起こった感情が表現されている(と思ってる)「水無月」

 

世界のあちこちで今も起こっている紛争や弾圧、戦争のニュース。

 

そんな地域で「70億のピース」を聴いて欲しい。

 

前にとある掲示板で、たぶん学生さんだと思うけど、「朝が来る前に」って

 

ヤリ逃げの話ですか?って質問があって(笑)

 

世の中には朝が迎えられない人もいる、不本意であっても朝を迎えられず旅立って

 

しまう人がいるって事が言いたいんだと思うよ。って答えましたけど・・・。

 

前置きが長くなってしまったけど、今回の秦君、曲説っていうか、

 

曲の成り立ちみたいな話もしてくました。

 

「さよならくちびる」は映画の中の主人公が作ったという設定なので

 

自分では歌わないと宣言したのに、最新の『evergreen2』に収録して

 

更に堂々とライブで歌ってると。どんな顔していいのやらと。

 

トークでは「緑の窓口コーナー」で事前にファンから募集した質問に答えると。

 

で選ばれたのが8歳の女の子の質問で

 

「もっちゃんと呼ばれて恥ずかしくないですか?」

 

それに対する秦君の答えが

 

「今まで恥ずかしいなんて思ったことなかったけど、〇〇ちゃんに言われて

 

初めて恥ずかしくなりました。」

 

会場の〇〇ちゃんと直接のやり取りだったけど、8歳の女の子がもちろんご両親に

 

連れられてなんだろうけど、秦君のライブに来てるってことだけで、嬉しく愛おしかった~。

 

後は君らに任せた!って感じ。

 

「泣き笑いのエピソード」は毎朝TVから流れてくるのとはちょっと違った印象で

 

優しさが倍増してる気がした。

 

定番の「鱗(うろこ)」もパワフルでライブバージョンのイントロですでに鳥肌。

 

前回会えなかった分も含めてたっぷり堪能しました。

 

秦君のツアーまだまだ続きます。

 

まだまだ行きたいけれど、こんなご時世でこれ以上の遠征はやはり自粛すべきかな。

 

近い将来、堂々とライブ行ける(笑)日が戻ってきますように。

 

 

セットリスト(順不同、抜けあり)

僕らをつなぐもの

Sally

Tell me,Tell me

FA FA FA

漂流

さよならくちびる

告白

五月の天の河(日替わり曲)

恋の奴隷

70億のピース

Raspberry Lover

スミレ

鱗(うろこ)

泣き笑いのエピソード

ひまわりの約束

 

en1アイ

en2風景

以下、2020年2月27日にコブクロのファンサイトで書いたブログの転記になります。

 

 

 

コロナウィルスの影響で次々と報じられるイベント自粛や中止のニュース。

 

Perfumeなんて今日のライブの中止を今日発表って?

 

前日から前のりで来てた人の足代とかホテル代とかどうするの?

 

と要らぬお世話を焼いたりして。

 

しかし、政府が自粛を求めるってどうなんだろう?なんか違和感。

 

そもそもあなた方の初期対応がまずかっ・・・

 

いや、やめとこう(笑)

 

 

 

さて、そんな自粛ムード真っ只中で、本日!!

 

スキマスイッチTOUR POPMAN’S  CARNIVAL @メディキット県民文化センター

 

に行ってきました。以下、ネタバレありますんで閲覧注意です。

 

 

 

中止とか延期とか微塵も考えてなかったんで、普通に確認もせず向かったんだけども

 

帰宅してニュース見たら、今日開催のコンサートがいくつも中止だったようで、

 

開催決行するには紆余曲折あったんだろうなぁと、今更ながら思うところです。

 

僕的にはやってもらってありがたかったけどなぁ。

 

ライブは3時間を越える熱演で大橋君の声も素晴らしく伸びやかで気持ち良かった。

 

スキマスイッチのライブは通算3度目。

 

スキマスイッチ初めての宮崎公演以来 10年ぶりでした。

 

あんまり宮崎に来てもらえないからファンクラブも止めちゃったんだけど(^^;)

 

今回はローチケで普通に取れました。

 

ファンクラブと言えば、

 

一昨日が常田君(昔アフロでキーボードの人)の誕生日だったって話から

 

42歳になって心境の変化はあるのかと大橋君に振られ、

 

常田「特に感慨深いものは無い」って返事から、

 

大橋「日記に書いたりとかないの?」

 

常田・大橋「あっ!・・・」

 

常田・大橋「日記と言えばファンクラブの日記全然更新してないわ(^^;)」

 

そこから他のアーティストのファンクラブってどうなんだろうって話の流れから

 

大橋「スキマスイッチ以外のファンクラブに入ってる人いる~?」と会場に振る。

 

いくつも手が挙がる中で、もちろん僕も挙手。

 

大橋「え、だれ?だれ?」

 

会場「はた~」「???」「???」

 

大橋「はた?秦基博?ファミリーはいいから、そのほかは?あなた!あなた誰?」

 

女性「髭男(ヒゲダン)」

 

大橋「おーっ!髭男ね。髭男ってどうなの?」

 

女性「毎週水曜日にラブレターがきます」

 

大橋「ラブレターが送られてくるの?え!?本人から?」

 

他のアーティストのファンクラブの内容に興味津々の様子♪

 

ひとしきり聞いたところで

 

大橋「その他は?」

 

会場「コブクロ~」  僕以外にもいた(笑)

 

大橋「コブクロはいいよ。40超えたおっさんのじゃなくて若い人たちの」

 

あら(*_ _) もしも指されたら答え用意しといたんだけどなぁ。

 

州「小渕君はマメにブログアップしてくれますが、黒田君はさっぱりです!」

 

会場「King Gnu~(キングヌー)」←読めない人もいるかと思いフリガナうってみました(^^)/

 

大橋「King Gnuね、彼らはどうなの?」

 

女性「サイト内でゲームができます」

 

大橋「ゲーム?いいね♪俺らもやってみようか。で課金制にしよっか」

 

常田「どんどん悪い顔になってますよ」

 

そんなこんなで20分以上話し続けたんじゃないかな。

 

大橋「別に話だけで時間稼ごうって思ってないですよ(^^;) 歌もちゃんとやりますから」

 

とギターを担いで演奏に入るかと思いきや、

 

大橋「コブクロも話長いでしょ?特に黒ちゃんがふざけてばっかで」

 

常田「そうそう!で小渕君がまともな話でまとめるんだよね」

 

なんかコブクロ話題で僕はウキウキ♪

 

セトリは、正直最近のスキマスイッチのアルバムを買ってなくて

 

3分の1ぐらいは知らない曲でした(^^;)

 

でも彼らを好きになるきっかけになった曲。

 

社用車で仕事中、FMから流れてきた「雨待ち風」にビビッときて

 

そのまんまCDショップに行ってアルバムを購入というパターンでした。

 

そうそう、MCで話題に上がった髭男。

 

髭男もFMから流れてきた曲に惹かれて、この時はネットで検索して

 

いくつか楽曲を聴いて「こりゃ好みだわ」ってんでインディーズ時代のアルバムを

 

大人買いしたことを、2018年12月にコブクログに書いたんだけども、

 

その後の彼らの躍進ぶりはすごいね。

 

閑話休題。

 

大橋「今日がスキマスイッチライブが初めだという人も大勢いるみたですが、

 

これまでの曲全部知ってる人~? じゃあ半分ぐらい知らないって人~?」

 

大橋「それじゃ、1曲も知らないって人~?」

 

約1名いたようです(笑)

 

大橋「ありがとう~♪来てくれてほんとに嬉しいです。

 

でも次の曲は聴いたことあるんじゃないかなぁ」

 

からの「全力少年」

 

演奏が終わると再び先ほどのお客さんに向かって

 

大橋「今の曲知ってました?」

 

お客さん、(たぶん)うなづく

 

大橋「良かった~」

 

アンコール最後は「奏(かなで)」

 

もし僕が女の子を授かったらこの名前をつけようって思ったぐらい好きな曲。

 

・・・そんな機会は訪れなかったけど (*_ _)ドテッ

 

他の会場では違う曲だったみたいだけど、曲前のMCで

 

大橋「色々と楽しいこと、辛いこともあるけれど、また会う時までみんな元気で、

 

元気で生きてください。僕らも曲を作って元気で生きていきます」

 

だいぶ端折ってるけど「生きてください」って言葉が生々しくもあり妙に耳に残った。

 

帰宅してHPを見たら、あさっての熊本ライブは延期って記事が出てました。

 

そんなこともあって、昨今の人命を脅かすような天災もあったりするから

 

そんな言葉が出てきたのかなぁと。

 

元気でいなくちゃね。元気でいてまたライブに行かなくちゃね。

 

大大満足のライブでした。

 

 

さてさてお次はと言うと、

 

4月3日に福岡サンパレスで秦基博君のライブです。

 

 

 

では、皆さんもご自愛を。

 

僕も帰宅してすぐにうがいと手洗いしました。

 

 

 

備忘録としてセトリも書いておこうっと。

ふれて未来を

ガラナ

Revival

アイスクリームシンドローム

時間の止め方

青春

雨待ち風

光る

きみがいいなら

星のうつわ

キレイだ

夏のコスモスナウト

パーリー!パーリー!

全力少年

Ah Yeah!!

アンコール~メロドラマ

パラボラヴァ

奏(かなで)

9月21日(土) 

 

3年半ぶりに宮崎市民文化ホールで行われた”山下達郎 PERFOMANCE 2019”

 

に行ってまいりました。

 

ここからネタバレになります

 

山下達郎の存在を初めて知った時期と好きになった時期は同一なんだけども、

 

それから40年余り。

 

40年経っても今でもご本人のライブを観れること。

 

それだけでも十分に幸せなことなのに、

 

その完成度たるや他者を寄せ付けないほどに圧倒的なこと。

 

もう1曲目から感動しっ放しでした。

 

11年変わらないバンドメンバーは、ドラム、ベース、ギター(佐橋佳幸*松たか子さんのご主人)

 

キーボード×2人、サックス、コーラス(男1人、女2人)、

 

そしてボーカル・ギター・ピアノをこなす山下達郎の10人編成。

 

超・超・超一流の面々の集合体が奏でる音は言うまでもなく極上の音色。

 

それからを最終的にアウトプットするPAの技術力にも目(耳?)を見張るものがある。

 

ありがちな爆音で非日常を演出するのではなく、

 

一つ一つの音が際立ちクリアでボーカルの歌詞もしっかり聴きとれる。

 

本当に心地よい音のシャワーでした。

 

やはりそこには達郎さんのこだわりによるものなのかも。

 

MCでこんなこと言ってました。

 

「東京ドームと今日の2000人規模の会場とでは経済効果は20倍ぐらい違うけれど、

 

僕はドームでは演らないし、ダンサーを侍らすこともしない(笑)

 

説得力が違うんだよね。」

 

これには僕も激しく同意♪

 

盟友大瀧詠一さんの話もありました。

 

シュガーベイブを解散し、大瀧さんに誘われて彼のサポートをしていた頃、

 

大瀧さんに連れられて行ったスタジオに細野晴臣さんがいてひと言。

 

「あれ?大瀧君に弟がいたんだ!」

 

確かに似てるかも(笑)

 

何でも大瀧さんは岩手県のとある地方の出身で、達郎さんのお母さんも同じ場所の生まれだとか。

 

もしかしたら遠い遠い遠戚だったのかもって。

 

これまで話すことはなかったけど、(亡くなって)6年経ってやっと話せるようになりました、と。

 

懐かしく愛おしく語る達郎さんが印象的でした。

 

・・・なんか泣けてきた。

 

続けてこんなエピソードも。

 

ある時、大瀧さんらみんなとカラオケに行って(へぇ~カラオケとか行くんだ~)

 

大瀧さんの持ち歌を歌ったら、「その曲あげるよ」って言われたと。

 

「なのでこの曲は僕にしか歌えません!」と始まった曲は『君は天然色』

 

・・・更に泣けてきた。

 

青春真っ只中、車の中で何度も何度もリピート演奏されてた曲だもんね。

 

それに大瀧さんと達郎さんと伊藤銀二さん3人で出したアルバム「ナイアガラトライアングル」

 

これが昼食時間中の校内放送で流れたのが、僕と達郎さんの最初の出会いだから。

 

知れっと曲バレしたんで、覚えてる限りのセットリストを。

 

SPARKLE

 

甘く危険な香り

 

ドーナツ・ソング

 

土曜日の恋人

 

FUTARI

 

REBORN 

*映画『なみや雑貨店の奇蹟』をTVで観たばかりでした。

 

セールスマンズ・ロンリネス 

*娘さんとモスバーガーに行った時、窓際のカウンターに座るセールスマンらしき若者の

背中を見てできた曲だと説明あり。

 

クリスマス・イブ

 

蒼茫

 

希望という名の光

 

Get Back In Love 

 

BOMBER 

*中古レコード屋さんに行ったら外国人が達郎さんのLP『GO AHEAD』を持ってサインをねだってきた。

何でも日本の80年代の曲がシティポップと呼ばれ海外で人気らしい。

さらにライブはやるのかと聞かれ「やる」と答えると

絶対に行くから、その時はこの曲をやってくれと言われた。

今日ここに来てるかわからないけど(笑)やりますって。

昔はライブでは再現できなかった曲だったそうで、今回2度目の披露です。

 

アトムの子

 

プラスティック・ラブ

 

Let's Dance Baby

*曲が始まる前、隣のおじさんがかばんをごそごそと。やおら取り出したのはクラッカー。

そして周りの人達に配り始めた。僕ももらって、曲のお決まりのところでクラッカー発射~!

楽しかった♪きっと常連さんだね。

ありがとう~♪おじさん(おそらく同年代)

 

Ride On Time

 

Down Town

 

YOUR EYES

 

その他にもハイティーン・ブギ硝子の少年アンパンマンのマーチ、

 

竹内まりやメドレーコーナーあり、アカペラコーナーありの盛りだくさん。

 

「歳取るとタンが切れなくてね。最初の曲でからんで声が出てなかったんで、もう1回演ります」

 

って歌い直しもあったり。

 

えっ!?その曲の最中、変わらぬ達郎さんの声に感動しきりだった僕は?

 

実際、全然問題なかったよ。

 

たぶんだけど、もう1回歌うのに言い訳?が欲しかったんだろうと僕は理解したけどね。

 

 

アンコールも終わって、バンド全員でステージ上で手繋ぎお辞儀してメンバーがひいた後も

 

 

一人残って演奏を続ける達郎さん。

 

 

時間にして3時間、曲は30曲近く演ったんじゃないかな。

 

冒頭で「年金をもらえる歳になりました」なんて自虐ネタもあったけど、

 

衰えなんて微塵もない。いやむしろマイクオフのパフォーマンスにしても

 

「今」が絶頂期と言えるじゃないだろうか。

 

山下達郎のツアーはまだまだ続きます。

 

だけど来年ツアーはやらないそうです。(オリンピックがあるかってことらしい(^^;))

 

なので今年行けるチャンスがある方は是非是非行ってみてください。

(僕もイープラスでチケット取りました)

 

https://www.tatsuro.co.jp/live/

 

年金と言えば、12月のスターダスト☆レビューのコンサートは、

 

ツアータイトルもずばり!『還暦少年』

 

年上がこんなに頑張ってるんだもん。僕もガンバラなくちゃと思える。

 

あ、その前に今月は

 

秦基博『日南市合併10周年記念 “HATA EXPO” in 飫肥城下町』

 

ゲストは森山直太朗さんとレキシ。

 

それから角松敏生さんの鹿児島公演(10/25)も参加です。

長く長く僕の食生活を支えてくれた相棒。

夕べ、惣菜を温めてる最中に、

「チンッ♪」の音が鳴る前に「ボンッ💢」と

一言鳴って、昇天されました。

独身の頃に、「食べるもんに困るやろ?」って

母親が買ってくれて、それから結婚してからも、

独身に戻ってからも(笑) ずっと温もりを与え続けてくれた相棒でした。

25年間、ありがとうございました。

製造年:92年(笑)