では、どの様な技術を学べば良いのでしょうか?


まず、日本には数多くの優れた武道、格闘技があります。

そして、どのスタイルに於いても優れた指導者、つまり「達人」と呼ばれる人がいらっしゃいます。

こうした達人の妙技などは、テレビやインターネットでも見ることが多くなりました。

ですが、その達人の人たちの行っている技は、毎日毎日、長年の練習の末に体得したものであり、素人が真似をしようとしても、そう簡単にできるものではありません。

もちろん、これを会得するために道場へ通うのは効果的な方法の一つとも言えます。


しかしここでお考え戴きたいのは、護身とは、身を護るだけでなく、生活を護るということも含まれるということです。

人々の生活の中には、色々な場面があります。

仕事にしても、趣味にしても、その人それぞれの都合というものもあるのですから、何年、何十年もかけてやっと憶えられるような技術は、護身術には使えないとも言えます。

突然襲われた時に、「練習中だから待って」などという訳にはいきません。

何が言いたいのかというと、

確かに実戦的でない武道など存在しません。

しかし、

「帯の色を変えるための、昇級審査のための練習。」

「試合に勝つための、ルール主導の練習。」

これで良いのでしょうか?

いえ、これらを否定するつもりは毛頭ありません。
色帯の段階制はモチベーションの維持に役立ちますし、ルールを守って努力するという事は社会人としての自覚を促す大切な要因です。

また、段位が上がるに従って護身の技術も向上しますし、トーナメントを戦い切る体力と技術があれば、たいがいの難局は切り抜けられるでしょう。


なのですが、それらが護身という目的とは必ずしも一致しないということなのです。

さらに付け加えれば、空手や柔道などのような破壊力を持つ技は、武器を持った相手や殺人も厭わないような凶悪犯などでしたらまだしも、逆に相手に怪我を負わせた場合、こちらが傷害罪で訴えられてしまうこともあるからです。

自分は絡まれた側なのに、法的に罰せられ、慰謝料を払わされる・・・。こんなばかばかしいことはありませんし、またこれを狙って挑発的に絡んでくる「計画的被害者」とも言うべき卑劣な輩が居るのも事実です。


しかし、だからと言って、全く練習しないのでは何もできません。


私たちはこう提案します。

護身として効果的なイメージトレーニング。
シンプルな技の反復練習。
初歩的な技術の、実戦への適応を研究する。
安全に脱出する(逃げる)ことが最優先で、戦いに付き合おうなどと考えるべきではない。

ですので、護身術の練習は、なるべく相手にも怪我を負わせないようにしながら自分を護る、一つの「避難訓練」とお考えください。

まずは万が一の場合に備え、自分の身を護るための避難訓練をしておくのです。

達人やチャンピオンへの道を望むなら、その後から積み重ねれば良いでしょう。




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さて、あなたが街を歩いていて、ちょっと人気のない所で絡まれたとします。

その1でもお話したとおり、逃げることが出来れば何も問題はありません。

ですが、運悪く逃げることが出来なかったら。

或いは、誰かを連れていて、その人が捕まってしまいそうになったら。

こういうシチュエーションで、初めて格闘技としての護身術が役にたちます。

そもそも、人を襲おうとしている人間というのは、

攻撃しやすい相手だと思うから絡んで来るのであって、

絡んだら逆に厄介かもしれない相手には、無闇に手を出さないものです。

格闘技の心得があると、目の配り方は言うに及ばず、

立ち方や歩き方まで変わってきますので、

あくまでも普段は優しい紳士淑女でありながら、

その時の自信に満ちた仕草から発するオーラによって、

邪心を持った者は、おいそれとは近づけなくなるものなのです。



ただし、相手が刃物のような武器を持っていたり、

格闘技の経験者だったりした場合は話が変わってきます。

また、最近では携帯電話の普及から、

事前に仲間を呼ばれる事だって考えられます。

これらは、数ある可能性の中でも最悪の部類と見て良いでしょう。


そんな時のために、是非ともお近くの格闘技道場やジムに通うことをお勧めしますが、

相手の中にも同じ格闘技を遣っている人間がいたとしたなら、

これは手の内を読まれてしまうことにも繋がります。


こうした局面のために、何かの格闘技をベースにした、

総合的な護身術が必要になるのです。

ベースはどんな格闘技でも結構だと思います。

それがある程度まで実力が付いた時に、

応用として、同時に他の技術も研究してゆくのです。

今、私たちが行っているのはこれです。


思いもよらない反撃。

それは、時に卑怯な手を使うことにもなるでしょう。

しかし、これはやむを得ないというよりは、むしろ当然の行動なのであって、

いち早く身の安全を確保するための緊急事態と言っても差し支えありません。


暴力とは、暴れる力と書きます。

暴れる・・・。つまり無秩序な力のことです。

ですから、そこに理知的な秩序と、道徳的な配慮が備わっている限り、

これに対する反撃は「暴力」とは呼ばないはずです。


護身術にルールは存在しません。

しかし、人間としての精神性は必要不可欠です。

最終目的は「生存」。

生きる力を身につけるのです。


                                     護身術に対する考え方、その3へ。


一般に、護身術と聞くと、近付いてきた相手を蹴飛ばしたり、掴まれた手を捻って倒したりと、そういう場面を想像する人は多いと思います。

ですが、最も効果的な護身術とは、危険な相手から逃げ去ることです。
そしてまた、危険と思われる場所には近付かないことです。

ですから、まず最初に意識するべきことは、危険から遠く離れることなのです。


しかしながら、仕事の用事や大切な約束で、そういう場所を通らなければならなかったり、或いは偶然にも通りかかってしまったり、また良からぬ事を考えている人間が向こうからこちらに近付いてくるという可能性もあります。

こうして不幸にも、危害を加えられるような状況に陥ってしまった場合、相手はそれが悪事だと判った上で襲ってくるのですから、躊躇している暇はありません。

ところが、やはり、そういう時に限って身体が動かずに竦んでしまったりするものです。

そういう時に、自分の身に特定の回避能力を備えておくと、危険を脱出できるばかりではなく、思いの他、襲われにくかったりするのも確かです。

「身体の備え」が「心の備え」として、卑怯にも弱者を狙う犯罪者に対し、襲う気持ちを削ぐことにつながるのです。

つまり、護身術とは、まず「負けない意識」から始まるのです。

そしてその、自分の負けないオーラを、相手に叩き込むほどの存在感を目指しましょう。



                                      護身術に対する考え方、その2


ようこそ、水戸護身術研究所のブログへ。

まず、このブログについて少しお話させて頂きます。

ある時、私の友人が飲食店で暴漢に連れ去られ、
襲われて大ケガを負わされました。
犯人は逮捕されましたが、友人は重傷でした。
私はこの事件を機に、この活動を始めたのです。

競技としての勝敗ではなく、
純粋に、身を護るための技術。

そのために、古今東西の護身術を研究・実践し、
一人でも多くの人に、ご紹介していきたいと考えています。

現在のところ参加は無料。

格闘技の経験・未経験は問いません。

楽しみながら出来ることが最良ですが、
真剣に、真摯に取り組むことが基本です。

経験者の方は、技術交流会とお考え下さい。

自分と、大切な人を護るために。

               ごあいさつにかえて。  SDAL@MITO   代表 シャーク☆無糖(ないとう)

                                  護身術に対する考え方、その①へ。