食べないのも 又 恵み
先週は 大阪で 3日間の断食聖会があった
食べる事が大好きな 私にとって 年一回ある
この聖会は 体的には あまり乗り気ではないが
体験してみたら 良いもんだな~ と 感じられて
毎年夏のこの時期 参加している
体の健康維持には やはり 食べ物が 大事
と云う 考えを持っている
特に 2月に骨折したから 骨の為にカルシウム
筋肉のためには タンパク質
脳のためには オメガ3 や DHA ・ EPA が必要
野菜からの カリウム や ビタミン類 等々
日々 バランス良い 食事を 心掛けているつもり
だけれど 足りてない物も 多分にある
マア 一つ言える事は
何十年と 苦しんで来た 鼻炎アレルギー が
2019年 1月に 対処法を聞いてから
ズーっと 食べ続けた マイタケ・ゴボウの金平
アレを食べ始めてから 長年苦しんで来た
鼻炎アレルギーが ピタッ と なくなった
ひどい時は 病院で薬を もらい続けても
収まれなかった
春だけでなく 秋にも 苦しんでいた アレルギー
それが マイタケ・ゴボウの金平 を食べて
収まった事は 紛れもない事実
やっぱり 食べ物の 威力は すごいなーと感じた
一日の 摂取量で 60パーセントが 基礎代謝で
消費されると 聞いていたので
食事は 毎日 きちんと 食べないと と思っていた
食べる事に こだわりを持っている私は
主人にも つい口うるさく 言ってしまう
体は 食べ物によって 造られる
免疫力も 食べる事から 蓄えられる って
それほど 食べる事に 執着している 私が
3日間の断食をする ただし 年一回のみ
身体的には 勇気が いるが
毎年 楽しみにしている 聖会でもある
何故 楽しみに出来るのか
食事や 日常の時間に 囚われないで 祈りや賛美
聖書のメッセージに 集中できる
又 クリスチャン達との 心を開いた 交わり
体の肉が満たされるより 心 ・ 霊が満たされる
そんな時が 過ごせるのは 日常のザワザワした
生活から 離れなければ なかなか出来ない
礼拝堂の中で ゆったりとした時間を
過ごしていると
お腹が 空いている事も 苦にならない
むしろ 神様の存在が 身近に感じられる
聖 書 ローマ人への手紙 14章 17節
神の国は 飲食ではなく 義と 平和と
聖霊における 喜びとである
家で 日常バタバタした 生活の中に居て
買い物に行って あの料理をして
体の維持に 勤めなくっちゃ と
思っている自分を 少し距離を持って見る事が出来
そうなんだ 神様が 生かしてくださっている
思い煩う 必要なんてないんだ ~
今年の 断食聖会も 恵みが沢山あった
帰って体重を計ったが 全く 減っていなかった
心身ともに 軽くなった気がする
思うようにならなくても
暑い 梅雨明け宣言がないのに 酷暑が毎日
まだ 日本はマシなのかもしれないが
この夏も ゴーヤときゅうりの 苗を植えて
楽しみにしていたが きゅうりは
早くに枯れてしまった
ゴーヤには 毎日水をやり 葉が育ち ツルが伸びて
窓には 緑のカーテンとして 大きくなってくれた
黄色い可愛い花が咲き これが実になるのか
と期待をもって 見ていたが
翌日には 落ちていた エッ
それから 毎日 実を探したが 何日経っても
実は 見つからない
2年前の写真を 見たら 7月に入ったら
大きく育った ゴーヤが 収穫出来ていた
ゴーヤチャンプル や ゴーヤジュースにして
楽しんでいた
人におすそ分け 出来るまでだった
ア~ それなのに 今年は 、、、
雨が降るとなると ザ~どころか
ゴオ~ と降り続け
翌日には カッ~とした 炎天下
この大きな変化に デリケートな 植物たちは
対応が 難しかったのか
太陽を浴びて 実を結ぼうとしたら 又 雨が降る
自然界の 変化に対応できなかったのか
人間も同じだな と感じた
自分に 都合よい事は 喜び
思いもよらない アクシデントがあれば
ショボンと なる
聖書の言葉を 思い出した
聖 書 ペテロ第一の手紙 Ⅰ章 24・25節
人はみな 草のごとく
その栄華は みな草の花に似ている
草は枯れ 花は散る
しかし 主の言葉は とこしえに 残る
どんなに 自分の人生 自分でやっている
と 思っても その栄華は 草の花
しばらくの間だけであって ショボクレてしまう
聖書は まことの いのちの源は
主の言葉で 生かされるのである と言っている
人間は 霊的な 存在
その霊が 神のいのちで 生かされる時
本当の意味で 「生かされている 」 と云えるのでは
ゴーヤの成長が 思うようにならない事を 通して
私の生き方も 自分中心ではなく
神の 言葉によって 生かされるのだ と
学ぶことが 出来た事を 感謝する
幸福度ランキング
最近は どこへ行っても 外国人観光客が多い
コロナ禍が 完全に終息した わけではないが
今までの制限が解放されると 多くの方々が
日本を 目指してやってきた
今は 円安 と云う事で 日本は良質の物が
安く手に入り 食べ物もおいしいし
四季折々に 美しい風景が 楽しめるから
多くのあこがれを 持ってくる
また 治安も良く 安心 ・ 安全な国
と云う印象も 持っている様だ
今回の 天皇・皇后方の イギリス訪問も
終始 にこやかな ご夫婦円満な 表情に
イギリス国民はじめ 世界中の人々が 心ほぐされた
この様に 外国の方々から 見た日本は
素晴らしく 憧れのようであり 住みたい と
思っている人も 多いと思うが、、、
23年度の 「世界幸福度ランキング」 では
1位 フィンランド 2位 デンマーク
3位 アイスランド 4位 イスラエル
5位 オランダ 6位 スウェーデン 7位 ノルウェー
なんと 北欧が 上位7ヵ国の内 5カ国入っている
驚くことに イスラエルが 4番目に 入っている
日本は と云えば 137 カ国中 47番目
前回の 54番から 40番台に入った と
喜んではいられない
外国からの旅行者が 日本を体験するのと
日本に住んでいる 国民が 感じる幸福度の差は
日本人気質にあるように思う
社会的格差があっても 我慢をするのが常識ある人
心の奥にある問題を 出す事が 出来ず 抱えてしまう
政府に対する 信頼度の無さ 人間不信
いろんな事を 抱えていても 心を開く事が 出来ない
最近でこそ 他者に目を向ける ボランティアも
進められてきたが まだまだ 人に気を使い過ぎて
何もしないで 終わっていく
そんな日本の状態が 世界ランキング 47位
納得し 認めざるを得ない
上位 7位の中で 北欧が 5カ国も 入っている
何故 興味深くて 考えてみた
宗教改革した マルチン・ルター派の 教えに生きている
人間の罪を 背負い 身代わりとして 十字架の刑を
受けられた イエス・キリスト の救い ・ 神の愛
生活の様々な中で 神に祈り
神の御心を 尋ね求めながら 生きる
この様な 神に対する 畏れの念 を持って 生活する
たとえ 周りに問題が 起ころうとも
お互い 神の愛で 支え合う
それが生まれた時から その国で感じて来たのでは
ないか
聖 書 ヨハネ第一の手紙 4章 18節、19節
愛には 恐れがない
完全な愛は 恐れを とり除く
恐れには 懲らしめが伴い かつ恐れる者には
愛が全うされていないからである
わたしたちが 愛し合うのは 神がまずわたしたちを
愛して下さったからである
この神との基本的な 関係が 幼い時から
家庭の中で はぐくまれ 培わされていたなら
大人になり 社会に出た時に 「幸福感」 を
持つことが 出来るのでは と 思った
オリーブの木
雨が降り 地がうるおされ 翌日は 太陽が照る
植物にとっては 絶好の成長の時
我が家に オリーブの木が 2本ある
10数年前 一日バス旅行で 小豆島に行った
小豆島には オリーブの木が 至る所にあった
聖書的な木 と云う事で 主人は 2鉢買った
レジ袋に2鉢が 余裕で入るぐらいの 小さな物だった
何年間か 鉢のままで 育てていた
緑が濃くて 一年中 生き生きとした葉を 付けていた
夏はもちろんの事 冬でも外に出したままでも
弱ることなく 常緑樹としての 風格を持っていた
聖書 ノアの箱舟 のところで オリーブの葉っぱが
出てくることを考えると 天地創造の時から
今に至るまで 廃ることなく 生き続けている植物
鉢植えから 何年かした頃 背丈も伸び
枝を伸ばし 葉っぱも 成長して来たので
毎年は 南に面した 部屋の外に
よしずのたてすを 日除けとして 設置していたが
そこに 少しの土があるので
オリーブの木を 植えたら 日除けになるのでは
と思った主人が 鉢から取り出し 直植えにした
直植えにしてからの 成長には
目を 見張るばかりで グングン 伸びた
もうその夏は しっかりと日除けの役割が 成された
ある年は オリーブの実もなり
少しばかりの 収穫も得た
(適切な使い方が わからなかった)
ここ 2,3年前から 益々 成長し
大きくなり過ぎた枝を 切らなければ ならなかった
木というのは 切れば 又その所から 倍になって
枝が伸び 葉が茂っていく と聞いて
スゴイ生命力を 感じた
今年に入って 部屋の日除けどころか
横にある ガレージにまで 枝を伸ばし
葉を茂らせ
車の出し入れに 擦るようになって来た
その都度 枝を切っていくが 根っこ部分も
大きく 太くなってきた
12年前に イスラエルに行った時
ゲッセマネの園の オリーブの木を 見たことがあった
大きな根っこが 盛り上がり
2、000年前から あったのか
ここで 受難前に イエス様が祈られたのか
と感慨深い思いになった事が 思い出された
又 オリーブは 聖書にも度々出てきて
いろんな メッセージが 語られている
オリーブは神の民 イスラエル に例えられている
選民 イスラエルが 神の祝福を受け
終わりの時代に
神の民となる事を 神は願っておられる
しかし いまのイスラエルには 心痛めている人は多い
我が家の オリーブの木が 大きく育った事は
感謝な事であり 神の恵みを
身近に感じられているが
現代の 世界が 神が創造された 真の人間の姿
から ほど遠く離れている事を 思う時
オリーブに 接ぎ木された 私たち 異邦人にも
神に立ちかえる 機会が与えられて 感謝だ
この終わりの時代に 一人でも多くの人々が
主の救いに 立ち帰れるようにと
祈っていきたい
自然は神の御手の中
梅雨入りが来るかな~ と思いながらも
毎日 カッ と 太陽の照り返しが きつい日々
そんな中でも 昨日は 夕方になると
急に辺りは 暗くなり 目の前にある山々が
雲で覆われて来た アレ と思っていると
雨のにおいを 感じて 開けていた窓を
急いで閉めた
2階にいたから すぐに下に降りて 窓を閉めた
その時 突然 パラパラ と 大粒の雨が落ちて来た
黒くどんよりした雲を 感じてから
数分も経っていなかった
この変化の大きさに びっくりした
10分少々すると 雨の音は静まり 外に出ると
道はビッショリ 濡れていたが 雨は上がっていた
この変化の大きさ スゴイな~ と 感じた
このところ 毎日 花や植木の水やりに
朝に 夕に 「 腰が痛いけどな~ 」 と思いながら
していたが この日の夕方の雨には
「主よ 感謝します 天から恵みの雨を ありがとう 」
と 労をしなくても 土が潤った事に 感謝した
自分って つくづく 勝手な者だな~ と思った
天と地を創られた神は 人間に必要な物は
すべて 与えて下さって これらを 「治めよ」
と 言われた にも拘らず
自分は余りにも 目先だけしか見ず
一喜一憂 しかしていないな~ と 反省した
梅雨が いつ始まるか 日照りが何日 続くか
一日の天気の変化 や 自然現象などは
主が 成しておられる 事柄であり
すべて 感謝を持って 受け止め
それらを 納めて行くのが
人間に与えられた 働きであると 感じた
今日は 朝から太陽が 照っている
今年も 窓の下の 猫の額ほどの ところに
5月 ゴーヤの苗を 2本 植えた
水と太陽が 与えられ 苗は日に日に 育った
ツルが ネットを伝い 日ごとに成長してきた
数日前から 黄色い花が 咲き出した
夏の収穫の時期が 楽しみになって来た
自分では 何も出来ないが 神が 備えて下さり
生かして 実らしてくださる
神のなされる恵みに 感謝しつつ
歩む事が 人に与えられた 道だと教えられた
聖 書 Ⅰコリント人への手紙 3章 6節 ・7節
わたしは植え アポロは水を 注いだ
しかし 成長させて下さるのは 神である だから
植える者も 水をそそぐ者も ともに取るに足りない
大事なのは 成長させて下さる 神のみである
自然界で 起こる様々な 出来事に於いても
神のご配慮 がある事を 覚えて
感謝 と 喜びの中で 日々 過ごして行きたい