大曲を振り満都の喝采を浴びる大指揮者。「巨匠」などと呼ばれる人々は、それぞれ得意な曲があります。ある者はベートーヴェン、ある者はブルックナー、またある者はマーラー…
しかし、そんな偉大な音楽家にも、意外なネタ、というか「ウラ十八番」が存在します。メインのレパートリーが大曲であればあるほどそのギャップが大きく、聴くものを驚かせます。
そんな巨匠たちの「ウラ十八番」をいくつかご紹介しましょう。
レパートリーが非常に広くほとんどが「表十八番」の感があるヘルベルト・フォン・カラヤン。ベートーヴェンやブラームス、ブルックナーやチャイコフスキーの大曲に混じって、ドイツの軍楽隊に伝わる分列行進曲のアルバムをつくっています。ドイツの行進曲は高く脚を上げて重々しく歩く歩様に合わせてかなりゆっくりしたテンポと「ズシン」という肌合いの重いリズムが特徴ですが、カラヤンはその伝統に則って普段の流麗な芸風を封印。実に重厚な行進曲に仕上げていてかなりサマになっています。これがもとでクロード・ルルーシュに映画「愛と哀しみのボレロ」でカラヤンをモデルにした指揮者に軍楽隊を振らせて皮肉られています。
コンサート・レパートリーとしては以前ご紹介したヨーゼフ・シュトラウスの「うわごと」が「ウラ十八番」としてつとに有名です。1987年にたった一度だけウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを指揮したときにも勿論「うわごと」を演奏しています。
マーラーを中心にドイツ音楽や近代音楽に独特の芸風を展開した巨匠オットー・クレンペラー。当時のドイツ系の指揮者の多くがそうであったように、作曲も能くしたのですが、その中に「メリー・ワルツ」という作品があります。しかめっ面が似合う謹厳そうな風貌のクレンペラーからは想像もつかない愛らしいワルツで、晩年まで愛奏していました。録音も残っています。
カラヤンと同い年の我らが御大朝比奈隆。晩年はブルックナーとブラームスとベートーヴェンばっか振ってた印象がありますが、御大にもウラ十八番があります。
それはロシアの作曲家リャードフの「八つのロシア民謡」。中でも第3曲の「悲歌」は、アンコールとして最晩年まで愛奏していました。
朝比奈御大は京大のオーケストラで当時革命を避けて日本に亡命していたロシアの指揮者メッテルから指揮の手ほどきを受けました。そのときレッスンの「教材」として使われたのが「八つのロシア民謡」だったのです。恩師メッテル直伝のこの曲を御大は生涯にわたって大事にしたのですね。
今日ご紹介する中で唯一ご健在な小澤征爾。トロント、サンフランシスコ、ボストンと北米での活躍が長かったこの人のウラ十八番はなんとルロイ・アンダーソンの「フィドル・ファドル」。あっしも生で何度か聴いていますが、まさか小澤で「フィドル・ファドル」を聴くとは思わず、大いにびっくりしたおぼえがあります。ガーシュインやバーンスタインをレパートリーにしていた小澤だけに、とてもノリが良くてかっこいいアンダーソンでした。
その小澤と「セイジ」「スラヴァ」と呼び合う仲だったムスティスラフ・ロストロポーヴィチ御大。ロシア-ソビエト音楽を中心に指揮者としても活躍しましたが、アンコールでよくやっていたのがヴィンセント・ユーマンスが書いたスタンダード・ナンバー「二人でお茶を」。
「え?なんで?」と思うかもしれませんが、実はこの曲を何とショスタコーヴィチがオーケストラにアレンジした「タヒチ・トロット」とい曲なんです。作ったのは1928年。日本で言うと昭和3年。革命から10年ほどたったころです。スターリンの圧制が始まる直前で、まだ革命による開放感が残っていたころでした。この数年後に例の「プラウダ批判」であわや「粛清」の憂き目に追い込まれることになるショスタコーヴィチですが、この頃はまだ20代。ソビエト・モダニズムの旗手として伸び伸びと曲を書いていた時代の最後の輝きでした。
ロストロポーヴィチ御大が「体制派」だったらこんな曲は絶対やらなかったはずで「祝典序曲」とかやっていたことでしょう。しかし平和を愛し、体制を嫌ってついには亡命した御大は、この時代の「タヒチ・トロット」を各地でアンコールとして演奏しました。それはエンターテインメントというより、御大一流の平和へのアピールであったのではないか…これも何度か生で聴いたあっしはそう思っています。


