釋辰量の芸能・音楽の50!

あっしことデハ712こと釋辰量が主に芸能・音楽についていろいろと書き殴っております。


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2013年はヴェルディとワーグナーの生誕200年ということで、オペラの引越し公演やガラ・コンサートなどが盛んに行われています。

そして、今年節目を迎えた作品が一つある。

1913年に初演されたストラヴィンスキーの「春の祭典」である。


今や世界中のオーケストラのレパートリーとして定着している「ハルサイ」だが、この曲の何がスゴいって、初演から100年、すでに古典曲と言っていいのに今もって世紀の問題作たり得ているところなのだ。


そんな「ハルサイ」の録音はSP時代から行われていたが、1950年代後半にステレオ録音が本格的になってから爆発的に増え、時代を代表する指揮者たちの多くが一度は採り上げるようになった。


そんな中で「ハルサイ」の各種の録音を聴いていくと、この曲ほど解釈が多様な曲も珍しい。

とはいえ、概ね2つの流れに大別されて、それがさらに細分化されているように思う。


まず大きな流れとして「統制派」と「野獣派」に分かれる。

「統制派」などと言うと戦前の日本陸軍みたいだが、要はアンサンブルをコントロールしてストラヴィンスキーの書いた譜面の緻密さを表現する。言わばモダン・ミュージックとして捉えるスタイルである。

統制派演奏はさらに3つに分かれる。「分析型」「スポーツ型」「進深化型」とでも言おうか。

まず「分析型」は、作曲家兼任の指揮者に多い。スコアを徹底的に読み込んで曲の「仕掛け」や「音響構成」を解き明かしていくような演奏である。「ハルサイ録音の黎明期であるアンセルメやモントゥーもここに入るだろう。そんな中で代表はマルケヴィチとブーレーズ。ブーレーズは現代音楽の泰斗として論文も書いているが、3度の録音はいずれもその研究の実践的証明になっている。このあたりは「指揮者」ブーレーズとしても面目躍如になっている。

「スポーツ型」は1970~80年代に爆発的に流行ったスタイルで、早めのテンポでオーケストラのポテンシャルの限界に挑むようなタイプである。この時期の録音のほとんどがこの型に入るといっても過言ではないだろう。ショルティ・アバド・小澤・ムーティ・デュトワetc...あっしもこの辺の録音で「ハルサイ」に親しんだものである。

しかし、90年代に入って音楽の潮流がポストモダンの方向に振れると、スポーツ型は急速に廃れていく。代わって統制派の主流になるのが「進深化型」である。スポーツ型がスピード感とリズムのキレでオーケストラのアンサンブルをまとめていたのに対して、進深化型は分析型との中間を行くというか、クラシック音楽の歴史に照らして、この100年間のオーケストラの「進化」と解釈の「深化」を表現するスタイルである。

この型はなぜかベルリン・フィルに縁が深い。世評は散々だが、カラヤンの演奏もどちらかといえばこの型に属する。ただ、カラヤンの録音が面白くないのは、この世紀の問題作を古典音楽の語法に無理くり当てはめようとしたアプローチの方向違いにあるのだ。

90年代以降になってベルリン・フィルは二人の指揮者によってようやく「ハルサイ」の潮流に乗ることができた。ベルナルト・ハイティンクとサイモン・ラトルである。ハイティンクはベルリンでストラヴィンスキーの「三大バレエ」を全曲録音しているが、この録音があってこそ目下最新のラトル盤は名盤になったと思う。アンサンブルの完成度はどちらもすばらしく、音楽的緊張感も最高である。

レナード・バーンスタインは都合3回「ハルサイ」を録音している。最初の録音はスポーツ型だったが、その後は「進深化型」に転じている。このように指揮者やオーケストラの成長や進化が見えるのも「ハルサイ」の魅力だと思う。


一方、野獣派である。これは演奏の緻密さより、スコア=曲の持つ原初的エネルギーを生々しく提示するスタイル。これも「土俗型」「怪奇型」がある。

「土俗型」は地元ロシアの演奏に多い。とにかくアツい演奏スタイルで、ダイナミクスの振り幅がスゴい。この型の元祖はご存知スヴェトラーノフ。確かゾビエト(当時)初の「ハルサイ」録音だったと思うが、それが「問題作中の問題作」になったわけで、あっしもLP時代に初めて聴いたときには腰を抜かさんばかりに驚いたものである。

その正統的な後継者として今や世界一忙しい指揮者になったゲルギエフの演奏も衝撃的だ。こちらは野獣派でありながら進深化型的要素も加わっていて、「野獣も進化する」という証明になっている。


「怪奇型」はいささか特殊な型で、これはオーケストラのほうが主役になる。個性的で特異なサウンドを持つオーケストラが「ハルサイ」を手がけると、譜面の内容とオケのサウンドが相俟って一種「古怪」といえる不思議な演奏になる。

この代表は何と言ってもマゼール/ヴィーン・フィルである。勿論初にして目下唯一の録音である。マゼールは後年クリーヴランドで再録音しているが、こちらはスポーツ型に近いあっさりした演奏なので、このウィーンでの録音がウィーン・フィル主導の「ハルサイ」であったことがよくわかる。この録音のおかげで「マゼール=曲者」というイメージが定着してしまったのだからげにウィーン・フィルは恐ろしいオーケストラである。

もう一つ、怪奇型をご紹介しましょう。カレル・アンチェル指揮のチェコ・フィルの演奏です。アンチェル時代までのチェコ・フィルのサウンドは非常に個性的で、ベルリンやヴィーンに勝るとも劣らないオーケストラだったのです。アンチェルはそのサウンドはそのままに、プロコフィエフやストラヴィンスキーなどを積極的に録音して、名盤を多く世に出していますが、「ハルサイ」もその呪術てきな面を強調したアプローチと相俟って古怪な面白さにあふれています。


<おすすめCD>

「統制派分析型」

ピエール・ブーレーズ/クリーヴランド管弦楽団

ブーレーズの書いた論文が手に入るようなら読みながら聴くのも一興です。


「統制派スポーツ型」

リッカルド・ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団

スポーツ型のなかで多分「最速」の演奏。ここまでやってくれると爽快。オーケストラも驚異的に上手いです。


「統制派進深化型」

サイモン・ラトル/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

目下最新の「ハルサイ」。これのベースになったハイティンク盤もオススメ。


「野獣派土俗型」

エフゲニー・スヴェトラーノフ/ソビエト国立交響楽団

すべてはここから始まった。

ヴァレリー・ゲルギエフ/キーロフ管弦楽団

そして野獣も進化する。


「野獣派怪奇型」

ロリン・マゼール/ヴィーン・フィルハーモニー管弦楽団

とにかく一聴を。面白いよ。

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カラヤンの心技体がもっとも充実していたのが1960年代後半から1970年代前半であることは以前にも触れましたが、中でも次々に名演を輩出した「奇跡の年が1971年です。


この年にはまずチャイコフスキーの後期交響曲(4・5・6番)があります。SP時代から前後6回も録音した「悲愴」のなかで最も優れた演奏と今も定評があり、4・5番も非常に引き締まった名演だ(ちなみにこれは4回目にあたる)。

「悲愴」を例に採れば、まず弦の一分の隙もないアンサンブルがすばらしい。チャイコフスキー独特の掛け合いで見せる管と弦との丁々発止の渡り合い。そしてティンパニの雷鳴のような気合のこもった一撃…第4楽章のこの異様なまでの気合の乗りはなんと表現したらいいのだろう。そう、百聞は一聴に如かず。一度聴いてみてほしい。

とにかく3曲まとめて「カラヤンの美学」の頂点だと言っても過言ではないだろう。CD化初期にはイマイチといわれた音質もリマスターされてかなり改善された。カラヤンの全録音の中でも屈指の出来と言ってよく「初めてのカラヤン」としてもオススメの逸品です。


そして弊ブログでも何度かご紹介しているメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」とシューマンの交響曲第3番「ライン」もこの年の録音。ほほ同時に録音された両者の第4番も非常にいい演奏で、本当にこの年は充実していたのだろう。


シャルル・ミュンシュの急逝で空席となったパリ管弦楽団を、EMIと縁の深かったカラヤンが面倒を見ていた。そこで何曲か録音を残している。そして1971年、カラヤン唯一の録音となったラヴェルの管弦楽曲がつくられた。

「ボレロ」と「ダフニスとクロエ第2組曲」は60年代にベルリンで録音していたが、他の曲はさすがにベルリンでは無理と思ったのか録音していなかった。そこへパリのオーケストラを振る機会を得て「道化師のアルボラーダ」「スペイン狂詩曲」「クープラン氏のトンボー(クープランの墓)」そして「ラ・ヴァルス」を一気に録音した。これも好調な録音だ。

多種多様な20世紀音楽の中で、カラヤンと最もウマが会ったのは新古典主義であった。ストラィンスキー「春の祭典」よりは「ミューズの神を率いるアポロ」や「詩篇交響曲」の方が出来がよかったりする。

新古典主義の代表者であるラヴェルの曲はもともとカラヤンに合っていたというわけで、名演といっていい。また心技体充実したカラヤンに若いパリ管もよく応えている。

4曲の中では新古典色が最も色濃い「クープラン氏のトンポー」と、カラヤン得意のヴィンナ・ワルツ、わけてもヨーゼフ・シュトラウスへのオマージュであることがよくわかる「ラ・ヴァルス」が圧倒的にすばらしい。アンセルメやデュトワのような「録音の魔術師」たちでは出せない味わいがある。ヴィンナ・ワルツの心得のあるカラヤンだからこそ「ラ・ヴァルス」からヨーゼフ・シュトラウスの姿が浮かび上がるのだ。


奇跡の1971年、それがヘルベルト・フォン・カラヤンの絶頂であった。

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カラヤンの再評価を始めて以来、さまざまな録音を聴いてきました。


カラヤンのレパートリーの軸はドイツ・オーストリアのロマン主義音楽です。しかし、「ヤボ」と「イキ」をうまくつかみながら幅広く演奏・録音してきたのもまたカラヤンの特徴です。


古楽全盛の今、モダン楽器でしかもロマン主義者が造った録音など今時流行らない、人によっては「クズ」扱いされるようですが、そうした時代のトレンドだとか様式や奏法などの理屈を取り去って、文字通りの「音の楽しみ」として聴くと、カラヤンのバロックは意外に面白いのです。


その特徴が最もよく出ているのがヴィヴァルディの「四季」でしょう。

「和声と創意の試み」と題された協奏曲集の一部である「四季」。カラヤンはこれをソロ・ヴァイオリン主導ではなく、コンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)としてとらえています。外部ソリストを招かず、子飼いのコンサートマスター、シュヴァルベにソロを弾かせて、弦楽アンサンブルの中に取り込んでいるのです。

この結果、バロック音楽の一つの魅力である「疾走感」、緩徐楽章での「歌心」が強調されています。


そうしたアプローチを徹底させて、ベルリン・フィルの強固でしなやかなアンサンブルが機能して、様式やトレンドを超えた面白く聴かせてくれます。そう、これはカラヤンの「四季」なのです。


バッハの「管弦楽組曲」や「ブランデンブルク協奏曲」も意外に面白いです。「四季」でもそうですが、バロックのもう一つの魅力「ゴージャス」をこれほど実現した演奏もほかにありません。しかも「疾走感」と「歌心」もバツグンです。


他にもコレッリ「クリスマス協奏曲」も「四季」と同じアプローチでじっくり聴かせ、ます。これらバロック期の作品はほとんどがカラヤンの別荘があったスイスのサン・モリッツの教会で録音されました。このサン・、モリッツ・セッションはほかにも名作が多いです。

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膨大なカラヤンの録音、さあ、何から聴く?


前回、あっしは1960年代録音からと書きました。

今回は、その中でカラヤンのレパートリーを読み解いてみたい。

キーワードは「イキ」と「ヤボ」である。


誤解していただきたくないのは、ここでいう「イキ」と「ヤボ」とは、作品の質を論じたものではない、ということをご了承いただきたい。


カラヤンのレパートリーの中心は出身から言ってもやはり「ドイツ・オーストリアのロマン主義音楽」ということになろう。ロマン主義的解釈が可能なベートーヴェンからリヒャルト・シュトラウスに至るドイツ・オーストリアのロマン主義音楽をこれほど系統的・網羅的に録音したのはカラヤンくらいだろう。

これに次ぐのが音楽の透明度の高い北欧の音楽、グリーグとシベリウス、そしてロシアのロマン主義音楽の頂点であるチャイコフスキー。


ロマン主義音楽はその多様性が特徴とも言える。だからカラヤンもある基準をもってレパートリーを組み上げていった。それが「イキ」と「ヤボ」である。

基本カラヤン音楽の特徴は「エロス」だが、もう一方の柱として「イキ」がある。だから「イキ」な作曲家の作品は出来がいい。反面「ヤボ」な作曲家の作品はイマイチ出来がよくない、というか面白くないのだ。


鬼門はスラブ?そしてアメリカ?

なのでカラヤンは何でもやっているように見えて実は「ヤボ」に感じた作曲家や曲は巧妙に避けている。

そうして見ていくと、カラヤンが苦手、というか避けた作品は「ヤボ」な曲ばかりということがわかってくる。

ここまで大衆的に受けた指揮者なら当然やっていておかしくないロシア五人組やラフマニノフ、ロシアン・シンフォニズムの最後の後継者ショスタコーヴィチ…要はロマン主義音楽でも民族色の濃いものはダメ。ということでしょう。だからドヴォルジャークの「新世界」は面白くない。

ただ、ドヴォルジャークでもあまりスラヴ色の強くない交響曲第8番のウィーン・フィルとの録音はいいし、スメタナの「わが祖国」では60年代に第1曲「高い城」と「モルダウ」だけ録音しているが、これは語り口が合っているので面白い。

チャイコフスキーはロシアの作曲家の仲で民族色よりむしろ汎ヨーロッパ的な作風であったために「イキ」の方に引き寄せた解釈が充分可能で、カラヤンは後期のシンフォニーや三大バレエ組曲。弦楽セレナードなどでは大いに成功している。しかしまだ「ヤボ」だった頃の前期のシンフォニーはあまり…というかさっぱり面白くない。

もう一つカラヤンガ鬼門にしていたのが「アメリカ」である。ガーシュイン、コープランドは勿論、ヨーロッパ系の指揮者に好まれたバーバー(有名な「弦楽のためのアダージョ」はトスカニーニの委嘱で弦楽四重奏から書き替えたもの)ですら洟もひっかけなかった。カラヤンの「アメリカ・アレルギー」はかなり深刻で、アメリカの印象をまとめた「新世界」が面白くないように、アメリカにちなんだ曲もダメだった。たぶん「アメリカのイキ」がカラヤンには「ヤボ」としか映らなかったのだろう。


まずはこの二人から

鬼門を長々と書いてしまったが、そろそろいい方、すなわち「イキ」な方を挙げていこう。まずはメンデルスゾーンシューマンだろう。

この二人は19世紀ロマン主義交響音楽の草分けであり、その後100年の管弦楽の基礎的なフォーマットである「2管編成」を確立した立役者である。メンデルスゾーンの5曲、シューマンの4曲、この中にカラヤンの美学の全てがあると言っても過言ではない。まずはメンデルスゾーンの第3番「スコットランド」とシューマンの第3番「ライン」を聴いていただきたい。これぞロマン主義音楽の極致といえる演奏である。特にシューマンの方はあふれんばかりの想いがこもっていて、聴いて元気が出ること請け合いだ。この二人の交響曲は全集買ってもご損はないです。


「イキ」と「ヤボ」の狭間で…マーラーとブルックナー

カラヤンは「イキ」と「ヤボ」を巧妙に仕分けていたが、ロマン主義音楽の極北に位置する二人の作曲家…マーラーとブルックナーはカラヤンのレパートリーの中では微妙な位置にいる。

二人とも長大な交響曲の中にありったけの想いを詰め込んでいる。したがって曲の中に「イキ」と「ヤボ」が同居しているのだ。

こういう曲をカラヤンはどうさばいたのか。

まずブルックナーから言えば、交響曲全集を作っているが、作品による出来の差はチャイコフスキー以上に激しい。全集では第5番が一番いいが、その他はあまり面白くない。むしろ最晩年になってウィーン・フィルと入れた7番と8番、74年にウィーンと歴史的和解を果たした直後のライヴの9番がいい。要は思い入れが強いウェイトを占める曲が合っていたということ。

それはマーラーに対しても同様で、宗教曲に独自の冴えを見せるカラヤンなのに、なぜか2番「復活」や第3番には見向きもせず、4・5・6・9番と「大地の歌」しかやっていない。ただ、歌入り大作はカラヤン美学からはイメージしにくいことは確かで、作曲家と作品への過剰なまでの思い入れを必要とする作品はダメで、ロマン主義音楽の流れのなかで客観的に解釈できる曲の方が合っていたということか。だから「大地の歌」はバーンスタインやヴァルターとは対照的ながら、歌とのバランスとオーケストラの緊密なアンサンブルで「聴かせる」演奏に仕上がっている。特に同じコロとルートヴィヒを起用したバーンスタイン盤との聴き比べも面白い。私はカラヤンの方が歌い手の生理に逆らわない分好きである。バーンスタインなら1965年にジェイムズ・キングとフィッシャー=ディースカウにウィーン・フィルという破格の組み合わせの方を採る。


次回につづく。

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今朝の文化放送ラジオ「吉田照美のソコダイジナトコ」の中で、おすぎ氏が昨日密葬だった十二世市川團十郎の思い出を語っていた。


おすぎ氏はかつて歌舞伎座テレビ室でスタッフとして働いていた経験があり、そのころちょうど花形として売り出していたのが現菊五郎(当時菊之助)、初代辰之助、十二世團十郎(当時新之助)のいわゆる「昭和の三之助」だったという。


その話題の最後におすぎ氏は、

「歌舞伎座が新しくなるのに芝翫、雀右衛門、富十郎、勘三郎、團十郎といい役者が次々亡くなるのがなんだかイヤねぇ」

というような一言で結んでいた。


確かに、歌舞伎座の建替え期間中のこの2年の間に歌舞伎界では不幸が続いた。成駒屋、京屋、天王寺屋は80歳を越えていたので「非業の死でも御歳の上」とも言えるが、中村屋とこの度の成田屋は役者としては働き盛りの時期だけに影響は大きい。


思えば歌舞伎座は明治の設立以来二度焼失、一度(今回)取り壊されている。そしてその度に復興しているが、その喪失→復興が奇しくも歌舞伎界の大きな節目と一致しているのだ。


ます設立の経緯は、明治になって九代目團十郎、五代目菊五郎、初代左團次による演劇改良運動によって、劇場空間も近代的なもの-「芝居小屋から劇場へ」という声に応えて造られた。

九代目團十郎、五代目菊五郎は明治36年に、初代左團次はその翌年に相次いで没し、三人の活動の牙城であった初代歌舞伎座は大正10年に漏電であっけなく焼失する。2年後の関東大震災ではなく、演劇改良運動の象徴だった電気照明が原因というところに不思議な因縁を感じる。


焼失から震災をはさんで4年後、歌舞伎座は帝都復興の象徴として復活した。その新しい歌舞伎座の主役となったのが九代目・五代目の後継者たち…七代目松本幸四郎、十五代目市村羽左衛門、そして全盛期を迎えた二人の役者-六代目尾上菊五郎と初代中村吉右衛門であった。


その2代目歌舞伎座は昭和20年3月10日に東京大空襲で焼失する。それと時を同じくして、2代目歌舞伎座の主役たちが次々に世を去っていく。

焼失直後の20年5月に十五代目市村羽左衛門が疎開先で没したのを皮切りに、戦後の混乱もまだ収まらぬ昭和24年に七代目幸四郎と六代目菊五郎が相次いで没した。この年には江戸の古風を色濃く残した名女形七代目澤村宗十郎も没している。そして最大のライバルにして盟友だった初代吉右衛門と二代目猿之助(現猿之助の曽祖父)が歌舞伎の牙城を守った。幸四郎と宗十郎はやはり「非業の死でも御歳の上」の口だが、六代目は64歳…今回で言うと十二世團十郎より若くしての死であった。


戦後東京の、というより日本復興の象徴として3代目歌舞伎座は昭和26年に復活したとき、初代吉右衛門はまだ健在だったが、3年後の昭和29年に没し、「戦後の歌舞伎座」の主役になったのは七代目幸四郎、六代目菊五郎と初代吉右衛門の後継者たち、十一代目團十郎、八代目幸四郎、二代目松緑、三代目左團次、十七代目勘三郎、七代目梅幸、六代目歌右衛門、そして芝翫、雀右衛門、富十郎…戦後歌舞伎の立役者たちだった。

これらの人々からその子たち…現菊五郎、幸四郎、吉右衛門、梅玉、魁春、福助…今円熟期を迎えている役者たちの成長を見届けるかのように、3代目歌舞伎座は閉場、そして取り壊された。そして…


2年の空白の間に戦後歌舞伎の立役者と、当代歌舞伎の二人の牽引者が3代目歌舞伎座と「運命を共にした」。まるで人柱のように。


そして4代目の歌舞伎座がいよいよ杮落としを迎える。そう、新しい劇場が誕生するとき、その主役も変わるのだ。そして古い劇場はそこでの主役と共に思い出の彼方へと旅立つのだ。


それにしても、歌舞伎座という劇場にはそういうような「荒ぶる芝居の神」がいるのかもしれない。そういえば劇場の「劇」は劇薬の「劇」でもある。芝居の神というものは劇薬という意味での「劇神」なのかもしれない。


3代目歌舞伎座のロビーには、七代目宗十郎以下、戦後に没した幹部俳優たちの写真が飾られたコーナーがあった。それはまるで「劇神」を祀り鎮めるための神殿のようでもあった。とすれば、歌舞伎座そのものが神殿なのかもしれない。

新しい歌舞伎座にもそのコーナーを置くことを切に希望する。というより必ずや置かれなければ鳴らない。でなければ「劇神」は決して歌舞伎と歌舞伎座を守ってはくれないだろう。


鎮魂と祝祭…これが新しい歌舞伎座の存在意義ではないかと思えてならない。


劇神と歌舞伎の神になった名優たちに、合掌。

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太陽のような役者だった。


揚幕が鳴って花道に現れただけで、そこに光と華が射す。


そんな役者だった。


それはまさに「江戸の守護神」。


口跡やら何やら楽屋雀はさえずるが、そんなことはどうでもいい。


團十郎、という存在そのものが江戸のシンボルなのだ。


父、十一世はその光は青白く、例えれば「月」。それも満月ではなく冴えた三日月。


そして三日月の忘れ形見は太陽になった。


思えば團十郎は代々この「月と太陽」を交互に生み出してきた。


劇聖とよばれた九世…太陽。


江戸後期随一の二枚目だった八世…月


歌舞伎十八番を確定し、千両役者と呼ばれた七世…太陽


となれば十二世は太陽になることが運命付けられていたのかもしれない。


海老蔵時代にテレビで演じた宮本武蔵が初めての出会いだった。


ああ、武蔵というのはこういう人だったんだなと子供心に思わせるような武蔵だった。


私が春風亭小朝を認めないのは、團十郎の口跡を悪意をこめて真似することでウケを取ったのが許せないからである。


それは江戸に生きる芸人ならば絶対やってはいけないこと。


高座に上がれば何をやってもいい噺家が弁えるべき最低限のマナーだと思う。


型がどうとか、ニンがどうとかいうことはどうでもいい。


團十郎としてそこにいることが最大の価値なのだ。


忘れ形見の当代海老蔵はどうやら「月」になりそうだ。


江戸歌舞伎はしばらく「月の時代」になるだろう。


太陽から月へ…その変わり目に私たちは立っている。


勘三郎と團十郎を失って、新しい歌舞伎座は「月夜」の中で杮落としを迎えることになった。


奇しくも命日は節分…厄払いの日に逝った十二世團十郎。


あたかも世の災厄をあの世へ背負っていったかのように…


一句。


節 分 会 升 な く な り て 涙 か な


合掌。

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カラヤンを聴け!


少なくとも、一般教養の範囲内のオーケストラ音楽のほぼ大半をカラヤンの録音で聴けてしまう。所謂「名曲コンサート」で演奏されるような曲のほとんどはカラヤンの録音で追体験できるのであります。


ことほど左様に膨大な録音があるカラヤンだが、では、何を、何から聴いたらいいのか?


どんな音楽家にも、全盛期というかピークがある。80歳以上の長寿を誇ったような巨匠でも、よく相撲で言う「心・技・体」の充実が頂点の時期が存在する。


カラヤンは1907年生まれ。万年青年のようではあったがベルリン・フィルの常任になったのが1955年だから48歳のとき。意外と歳がいってからなのだ。すなわち、ステレオ時代の膨大な録音はほぼすべてカラヤン50歳以後のもの。ということになる。


実はカラヤンの全盛期はベルリンのシェフになって数年後、彼が50代から60代半ば、厳密に言うと1957年に50歳になってから、1975年に椎間板ヘルニアの大手術を受ける68歳までがカラヤンの全盛期樋っていい。


というわけで、カラヤンの録音の「キモ」は1960年代。ということになる。もっと絞るために1つの「場所」と2人の「奏者」を挙げておきたい。


1.イエス・キリスト教会という「場所」

第2次世界大戦中に定期演奏会上を爆撃で破壊されて以来、ベルリン・フィルは市内の劇場などを借りて演奏会と録音を行っていた。有名なのはティタニア・パラストという劇場だろう。

カラヤン時代に入り、1963年にフィルハーモニー(ホール)が完成して、演奏会はそこで開かれるようになったが、録音セッションは1975年ごろまでベルリン市内のイエス・キリスト教会で行われていた。

多分カラヤン自身がここの音響を気に入っていたのだろう。のちのフィルハーモニーでの録音と比較して全体に響きが自然で潤いがある。比較的乾いた感じの録音が多いEMI録音でも、イエス・キリスト教会での録音は他の会場での録音に比べスケール感や響きの質感が違うのだ。

それに加えてカラヤンの気力が非常に充実していて、ベルリン・フィルのアンサンブルが引き締まっている。それを余すところなく捉えることができたのはイエス・キリスト教会という場所の力が大きいと思う。また、宗教の場ということで、宗教曲の録音での音響が非常にすばらしいことを特筆しておきたい。バッハ「ミサ曲ロ短調」、モーツァルト「レクィエム」、ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」、ブラームス「ドイツ・レクィエム」、ヴェルディ「レクィエム」など、この時期、この場所で生まれた宗教音楽の録音は「神の御許」ということをよく顕していると思う。


2.ベルリン・フィルの二人のキーパーソン:ミシェル・シュヴァルベとラオター・コッホ

カラヤン時代のベルリン・フィルには子飼いというべき名手たちが活躍していたが、60年代からの全盛期に奏者としてのピークを迎えていた二人の奏者の存在がオーケストラの充実に大きな影響を与えていたと思う。

ミシェル・シュヴァルベは、スイス・ロマンド管からカラヤンに請われてベルリンにやってきた。カラヤンの意をよく汲んでベルリン・フィルの引き締まったアンサンブルをまとめ上げた。シュヴァルベ時代と後の時代を聴き比べると、ことにベートーヴェンやモーツァルトなどでの音楽的緊張感が格段に違う。

またソリストとしてもカラヤンの芸風に合ったシャープな美音と歌心でベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」、リムスキー・コルサコフ「シェヘラザード」、リヒャルト・シュトラウス「ツァラトゥストラ」「英雄の生涯」などの作品を彩っている。

オーケストラの中で一番最初に音を出すのが首席オーボエ奏者である。この人がAの音を出さないことには何も始まらないのだ。そのためか、首席オーボエ奏者がうまいオーケストラは全体もうまいということが言えよう。ベルリン・フィルに限らず、世界中のオーケストラはコンサートマスターと同じくらいに首席オーボエ奏者を大事にする。

ラオター・コッホはオケマンとしてのキャリアのほぼすべてをカラヤン全盛期のベルリン・フィルに「捧げた」。彼の存在がなかったら、60年代のベルリンフィルはあんなに輝かしい音を出すことはできなかっただろう。

オーボエという楽器は100人奏者が100のいれば音色が存在するほど奏者の個性がはっきり出る楽器である。コッホの音はその中でも非常に個性的であった。芯が太く密度が濃く、陰影に富んだやや暗めの音は、聴けば一発でわかり。そして忘れられない。オーボエというより、リリコ・スピントのテナーの声のような響きである。

これだけ個性的な音でありながら。他のパートとの相性が非常によいのだ。「四天王」といわれる木管楽器のトップ奏者と、またシュヴァルベ率いる弦とのアンサンブルに一際花を添えるだけでなく、一本芯を通すような力強さ、そしてソロでのあふれる歌心…ベートヴェン「英雄」の第2楽章。リヒャルト・シュトラウス「ドン・ファン」でのソロを聴けばコッホの「オケマン一代」のすべてがわかるだろう。


勿論、この二人のほかにもカールハインツ・ツェラー(フルート)やカール・ライスター(クラリネット)、ヴェルナー・テーリヒェン(ティンパニ)など枚挙に暇がないほどの名手たちが「よってたかって」作り上げていたのがカラヤン時代のベルリン・フィルだったわけだが、シュヴァルベとコッホの二人が果たした役割が飛びぬけて大きい。


1960年代のカラヤン全盛期は、カラヤン自身の充実の上にイエス・キリスト教会という「場所」とシュヴァルベとコッホに代表される名手たちの支えがあったのだと今改めて思う。


次回では今回や前回で述べてきた要因を踏まえての「カラヤン・ザ・ベスト」です。60年代ベルリン。フィルだけでなくウィーン・フィルとの録音やオペラについても考えます。

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ついこの間と思っていたけれど、ヘルベルト・フォン・カラヤンがこの世を去って20年以上経ってしまった。


20世紀の指揮者の中で、この人ほど毀誉褒貶が激しかった人もいますまい。華やかなスポットライトを浴びる一方で、やれナチスとの関係だの、オーストリアの文化省と大喧嘩しただの、音楽と関係のないところでの陰口が常について回っていました。没後20年以上たった今でも新事実だのと言って音楽雑誌の誌面をにぎわせる…


そんなカラヤンを一度「きちんと」聴いてみようと思う。スキャンダルをはじめとする余計なものを取り除いて、遺された「音」だけを聴く。そのことで浮かび上がってきた「ヘルベルト・フォン・カラヤンとは何か?」を考えてみよう。


1.ヘルベルト・フォン・カラヤンは「エンターティナー」である。

クラシックであろうとジャズであろうとロックであろうと演歌であろうと、音楽である以上「エンターテインメント」であることに違いはない。とかく日本では、このことが忘れられがちである。「クラシック=高尚な芸術」というような形ですぐに哲学だの文学と結び付けたがる。挙句の果てには日本人の大好きな「道」だ。

「エンターテインメント」というファクターからカラヤンを聴いた場合、カラヤンという指揮者がいかに上等なエンターティナーであることがわかる。それは「こっちのイメージを裏切らない」「豊饒な響きづくり」ということ。そしてもう一つ「どんな曲でもクォリティを落とさない」という誠実なサービス精神。

たとえば、ビゼーの「アルルの女」とか、シベリウスの「フィンランディア」、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲、こういう曲をあれだけのクォリティの高さで演奏した指揮者が他にいたでしょうか?

カラヤンの演奏を「外面的」だの「上滑り」だのと言っては批判する「道」派批評家たちは結局自分がエンターティナーに徹することが逆立ちしてもできないことへの「やっかみ」にしか聴こえない。カラヤンの「エンターテインメント」力の前では。


2.ヘルベルト・フォン・カラヤンは「スケベ」である。

カラヤン本人がスケベであったかどうか、ということじゃありません。カラヤンガ造り出したオーケストラの響きが限りなく聴くものの「官能」を刺激する。ということなのです。

たとえばシェーンベルクの「浄夜」。のちに12音音楽なんてものを発明しちゃったがためにやたらと分析的な解釈が正統とされがちなこの曲を、ここまで曲本来の持ち味を引き出した演奏はないと思うのです。そしてベルリンフィルの鉄壁の弦アンサンブル。

ただ、弦のアンサンブルがうまいだけではこの曲は面白くも何ともないんで、特に懊悩と煩悶の霧が晴れ、希望の朝日が射す後半部はカタブツの指揮者だとつまらないことおびただしいのは小澤/サイトウ・キネンを聴くとよくわかる。

カラヤンのはその後半部まで面白く、そしてその官能美に酔える。こんな演奏スケベしゃなけりゃ絶対にできません。

お堅い日本の評論家諸氏は、というより日本のクラシック愛好家諸氏は、「教養」として音楽に出会った人が圧倒的に多かった。だから「エンタメ」とか「官能」とかいうファクターを持ち込むのを良しとしない。曰く「そんな品のないファクターでクラシック音楽様を論じるなど下司の極み!」というわけです。

でも、音楽ってそんな桐の箱にしまって置いとくようなもんでしょうか?本場であるヨーロッパではもっと気軽に生活の中に入り込んで日々の生活の安らぎとなっているのではないでしょうか?

そういう意味でカラヤンはクラシック音楽を教養主義や高尚趣味から解き放って我々庶民の手にくれた人なのだと思います。エンターテイナーのどこが悪い。音楽家がスケベだっていいじゃないか。


というわけで、カラヤンとは「何だったのか」ということを踏まえた上で膨大な録音の楽しみ方とカラヤン音楽のキモについては次回「カラヤンを聴け!」のココロまでェ~っ。

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訃報:小沢昭一さん死去83歳…映画、ラジオ、幅広く活動

http://mainichi.jp/select/news/20121210k0000e040104000c.html

あっしの人生に大きな影響を与えた方々が、ここ数年の間に次々世を去って、年々歳々心寂しくなる中、また一人この世を去ってしまった。

小学生のころ、夕方のラジオから聴こえてくる面白いおはなし。「小沢昭一の小沢昭一的こころ」。1万回以上というラジオ史上に残る長寿番組のほとんど初期からその話芸に親しんで30有余年…


麻布中学(旧制)-早稲田大学というインテリでありながら、それとは裏腹な人々を演じ続けてきた。早い話が「ダメ人間」を演じさせたら右に出る人はいなかった。俳優小沢昭一を一言で表すなら「アンチヒーロー役者」とでも言おうか。

以前、阿部寿美子さんにお話を伺ったとき、小沢さんについて、

「昭ちゃんはどんなときでも人を観察していた。お酒が飲めないのに酔っ払いの芝居があんなにうまいのは酔っ払いを介抱しながらじっと観察していたからなのよ。」

こすっからい人物や下世話な小悪党、いわゆる「ダメ人間」を演じる裏には、鋭い観察眼と徹底した分析があったのだ…やっぱりインテリだったんだなあ…


それよりなによりあっしにとっての小沢さんは「芸能の語り部」、そして「昭和の語り部」であった。昭和4年生まれだから父と同世代。歌謡曲、落語をはじめとした諸々の演芸、映画、相撲、野球…ほぼ父と同じような空気を吸ってきた人だ、共感しないわけがない。

そして、「放浪芸」の研究とフィールドワーク。万歳や瞽女(ごぜ)といった門付け芸からストリップやトルコ嬢という、通常芸能のフィールドでは扱わないものまでも「芸能」という視点から光を当てた。これこそ小沢さんの最大の功績である。あっしがここまで諸々の芸能に興味を持つようになったのは、実に小学生の頃から小沢さんと盟友である永六輔さんの著作を読み漁っていたのがきっかけだった。そして普通なら子供に読ませるべきではないような表現・描写が出てくる本を読むのを止めなかった両親のおかげでもある。

これだけでも小沢さんには文化勲章に値する。森光子にあげるくらいならなんで小沢さんにあげなかったんだろう。だから文化勲章だの国民栄誉章なんて結局政治の道具なんだ。


昭和芸能史、特に歌謡曲史の語り部としての盟友でもあった立川談志師は、小沢さんの芸を高く評価していて、小沢さんが「もし私が噺家になっていたら談志や志ん朝が「アニさん」と呼んでいただろう」と語ったのを嬉しそうにあちこちで語っていた。晩年になって句友でもある柳家小三治師の誘いで「随談」として新宿末広亭の高座に上がった。多分噺家になっていたら東京四天王(五代目柳朝・談志・五代目円楽・志ん朝)の一世代上の存在として一家を成したことだろう。泥臭い役が得意ではあったが、ラジオをはじめとする「語り」では滋味と粋が横溢した見事な話芸だったと思う。


去年の今頃、母と同世代の談志師が亡くなったとき、このブログで「母を二度亡くしたようだ」と書いた。そして今年、今度は父を二度亡くしたような寂しさと悲しさをかみしめながらこの文章を書いている。


しかしそれにしても内藤陳さんから始まってついこの間の中村屋そして小沢さんまで、談志師に縁の深い方々が次々に世を去っている(そういえば金正日なんてのもいたな…)…永さんや高田文夫さんのように世を去りかけた人もいる。祟り?いやいやそうではない。人一倍寂しがりやだった談志師のことだ、飲み友達や遊び仲間や話し相手が欲しくて呼んでいるんだ。そうに違いない。きっと今頃談志師と一緒に大好きだった志ん生師や八代目文楽師に芸談を聞いていることだろう。さて、次に呼ばれるのは誰だろう…吉川潮かな?


そこで一句。


小 沢 さ ん ま た あ の 唄 を 歌 お う よ


というわけで来世のココロまでェーッ


合掌。

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音楽と鉄道が私の趣味の柱であることは間違いありませんが、その二つに接点があるのか?というと数少ないながらあるのです

鉄道を描いた音楽というものがいくつかあります。

19世紀に発明された鉄道は、20世紀初頭には世界各国で交通の主役として興隆します。日本でも明治5年(1872年)に新橋-横浜間が開通して以来、明治後期(1901年~12年)にはほぼ全国に鉄道路線が敷設されていました。

その後第1次世界大戦によって、軍用としての鉄道が重用され、蒸気機関車の性能は大幅に向上、長大な貨車を牽引する強力機関車や、都市間を短時間で結ぶための高速機関車の開発競争が激化しました。
時はあたかも新世紀。鉄道に限らず機械文明に対する人々の関心は高く、巨大な鉄の塊が轟音と共に疾走する姿は驚異と畏怖の対象となったのです。

そんな中、フランス育ちのスイス人作曲家アルチュール・オネゲル(1892-1955)が、やはり近代文明の象徴である映画のために書いた音楽がありました。
映画のタイトルは「鉄路の白薔薇」といい、蒸気機関車が牽引する急行列車が疾走する場面が数多く登場するため、列車の走行を描写した音楽を書いたのです。当時はまだ映画はサイレントの時代で、音楽も映画館で生演奏するために小編成で、しかも効果音も兼ねた描写的な音楽が数多く作られたのです。

その後、オネゲルはこの音楽を元にして、当時最も速かった蒸気機関車の名をとった「パシフィック231」というタイトルの作品を作りました。「交響的運動(断章)第1番」というサブタイトルが付けられています。編成は3管の大編成に拡大され、より力強い音楽になりました。

ボイラーからの蒸気を全身に漲らせて動輪がゆっくりと回り始め、列車が駅を離れ、次第にスピードを上げていきます。速いストロークで軽快に飛ばし、田園地帯を疾走。やがてスピードはMAXに達し、すさまじい音をたて、駅の構内で轟音とともにブレーキをかけ、動きを止める。
文章だけではなんとも伝えようがないのがもどかしいところですが、音楽は描写的であると当時に美しく、蒸気機関車という機械の「騒音」を美しい「音楽」に変換することに成功しています。

「パシフィック231」というのは蒸気機関車の形式で、前輪2、動輪3、後輪1の配置になっているものです。英国式の愛称名で「パシフィック」と呼ばれ、また「2-C-1」とも表現されます。高速運転に適しており、急行用として各国で作られました。日本でも初代「つばめ」の牽引機だったC51、優美なフォルムから「貴婦人」と呼ばれ愛されたC57など、急行用蒸気機関車として活躍しました。


ジョージ・スチーブンソンが蒸気機関車を発明し、鉄道発祥の地であるイギリスにも素晴らしい作品があります。
生粋のロンドンっ子であるフィリップ・スパーク(1951-)は、英国式金管バンド(ブラスバンド)と吹奏楽を中心に数多くの作品を生み出していますが、その中に「オリエント急行」という作品があります。
全体の流れは「パシフィック231」とほぼ同じで、輝かしい序奏のあと、機関車が動き出し、楽しい汽車の旅が始まります。田園や町を走りぬけ、華やかな大都会の駅に滑り込み、機関車が停まって旅は終わる。というストーリー的な作品ですが、オネゲルの作品に比べ明るく楽しい音楽になっています。

私はこの曲は何度も聴き、また演奏したこともありますが、技術的な難しさが気にならない楽しい曲で、吹くたびに心の中で「汽車の旅」を楽しんでいたものです。「オリエント急行」というタイトルではありますが、私はイギリス各地の保存鉄道に乗っているような素朴でのどかな音楽に感じます。また、この曲を聴いていると、巨大で無骨な、というより「きかんしゃトーマス」のような愛らしい「汽車」のイメージが湧いてくるのです。


<おすすめCD>

アルチュール・オネゲル:交響的運動第1番「パシフィック231」

フランス国立管弦楽団/ジャン・マルティノン(指揮)

ニューヨーク・フィルハーモニック/レナード・バーンスタイン(指揮)

スイス・ロマンド管弦楽団/エルネスト・アンセルメ(指揮)


フィリップ・スパーク:オリエント急行

東京佼成ウィンド・オーケストラ/ダグラス・ボストック(指揮)

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