12/26のブログに「振り返ってみれば、40~50年前の国立大付属中学受験、県立高校受験、国立大学受験などをクリアし、自分は受験勉強のベテランだったんだ。」といったことを書いたが、国立大付属中は、一次選考(筆記試験)は合格したものの二次選考の抽選で外れ入学することはできなかった。くじ引きで合格・不合格を決めるなど今では考えられないことだが‥‥。分厚い全国中学入試問題集の本を買って、試験の2ヵ月ほど前から毎晩勉強していたのに、くじで決まるとは拍子抜けだった。その問題集には、灘中の入試問題も載っていて、世の中にはよくこんな難しい問題を解ける小学生がいるもんだなあと感じたことを記憶している。

その次のブログから放送大学に関したことを書いてきたが、半世紀前の受験勉強でも、自分なりに放送を利用するための『最新兵器』を駆使していた。『最新兵器』と言っても、一般庶民の中学生が当時手に入るものであったり、利用できるものだ。昭和30年代は、昭和34年の皇太子ご成婚を機にテレビの普及にはずみがつき、昭和39年の東京オリンピックの前には全国の家庭にテレビが行き渡った頃だったと思う。しかし、当時テレビは茶の間で家族が囲んで団欒を過ごすためのもの。もちろん家に1台しかなく、自分が学習のために使えるのはゲルマニウム・ダイオードを使った自作の鉱石ラジオだった。

そのラジオでNHK第二放送でやっていた「英語会話」とか「基礎英語」を聞いていた時期があった。「英語会話」は内容が実用的な英会話なので小中学生には難しく、挫折したが、文法の解説が多く学校で習う内容に近い「基礎英語」はよく聞いた。とはいえ、ノイズが多く混信しやすい中波ラジオ放送を鉱石ラジオからイヤホンで聞くのだから、語学学習には適さない。自分はもともと理科や工作好きだったので、鉱石ラジオの次のステップとして、真空管を使った並3ラジオを自作し、ラジオ放送の学習に使用した。並3というのは、100Vの交流を直流にする電源部分とラジオの電波を受信して聞きたい放送を検波する部分とその信号を増幅する部分の3カ所に真空管を使っているもので、実用的なラジオとしては最も低クラスのものだった。それでもスピーカーから音声が流れ、ボリュームを使って音量をコントロールできる点は、鉱石ラジオとは比べ物にならない。バリアブルコンデンサーのつまみを回してNHKラジオ第二放送を選局し、微妙な指先の感覚で最適位置に合わせるとほんとうにいい音質で聞こえたのです。ただし、夜などは東南アジア方面からの放送と混信し、最適位置に合わせていても聞きたい放送の音声が小さくなり、妨害する他の放送のほうが勝ってしまうことがあった。FM放送のない当時はラジオはそんなものだと思い、聞きづらくても我慢して聞いていた。

中学3年の夏休み前頃か、NHKラジオ第二放送で「中学生の勉強室」という高校受験用のラジオ講座があることを知り、聞き始めた。月~金の夜30分間、たぶん曜日毎に英数国理社の5教科あったと思う。当時は大学進学では都立高校が全盛の時代で、日比谷とか西高校とか有名な高校の先生が講師を務められていた。放送での教え方は分かりやすく、さすがは東京の一流高校の先生は違うなと感じたものだった。費用は廉価なテキスト代のみで、東京から遠く離れた過疎県にいても、都会と同じ放送を聞いて学習できるのは、放送の有難さだ。

そんな有用なラジオ放送の欠点は、電波が発送されたあとは消えてしまい、聞き逃すと再び聞くことができないことだ。有意義な放送だと思っていても、少年の怠け心はテレビの娯楽番組に勝てず、「中学生の勉強室」を聞かない時がよくあった。すると当然テキストに空白地帯ができてしまうので、親にテープレコーダーを買ってほしいとせがんだ。父は最初「そんなのは自分の信念の問題だ」と言ったが、ほどなく東芝製のカレッジエースという真空管式のテープレコーダーを買ってくれた。価格は2万円近くもし、当時の大卒初任給よりも高かったようだが、勉強に必要なものならということで買ってくれたと思う。

テープレコーダーを使って放送を録音できるようになったが、ラジオの前にマイクを置いて録音するので再生時に音量が小さかったり、プラグ接続が抜けていたりして、録音に失敗することがあった。当時ナショナルのテープレコーダーにはサウンドモニターという機能があったが、カレッジエースにはなくどのように録音されているかが分らないというのが不満だった。そこで東芝に手紙を書き、その機能を付け加える方法を聞いた。しばらくすると東芝の技術の人から返事が来て、録音される音声の出力を内部配線のどこからとればいいのかを教えてくれた。その通りにしたのち、カレッジエースの外部ケースに穴をあけジャックを付けて、差し込みプラグで外部スピーカーにつないでモニターできるようにした。

テープレコーダーを導入してからも、録音し忘れてラジオ講座を聞き逃すことがあった。放送時間は決まっているから、その時間になったらラジオとテープレコーダーのスイッチが入り、終わる時間にスイッチが切れればよい。今ではそんな機能は珍しくもなんともないが、当時そういうタイマーは身近には売っていなかった。そこで、父が勤務先の会社から永年勤続表彰でもらった置時計を改造してタイマーを作った。時計の文字盤の730800(「中学生の勉強室」の放送時間)の範囲の幅に銅板(時計とは絶縁しておく)を貼り、100Vの電源コードにつないだ。また、時計の本体にも電源コードをつなぐことにより、時計本体と導通のある短針がこの銅板を通過する間はラジオとテープレコーダーに通電するようにした。ON-OFFできるタイマーだが、設定時間は730800の間のみに固定され、一切変更できない不便なタイマーだ。それでも「中学生の勉強室」を聞くことだけが目的だったから支障はなかった。しかし、この時計には100Vの電気が流れており、外観には鉄板がむき出しだから、何も知らない家族が触ってビリビリと感電した。父からは、記念の置時計を改造して台無しにしたことよりも、こんな危険なタイマーを作ったことに対して怒られた。

今では、教育用の放送は地デジやBSのハイビジョンで視聴でき、ハードディスクを使えば放送と同じ画質で録画できる。録画予約も番組表を使って、7日先まで数十もの番組予約を簡単にすることができる。音質の悪い中波ラジオやテープレコーダーに怪しげなタイマーなどを用いていた半世紀近く前とは格段に異なる放送学習環境になっている。

しかし、半世紀前を振り返ってみて、昔でもその気になれば効果の上がる勉強はできたと思う。現在のように優れた学習環境が得られても、それを生かさなければ意味がない。要はやる気だということを痛感し、また明日からの勉強を進めたい。