誤解されたことが、逆にいい方に転がることがあるんですね。
今日の話はちょっと有名な話なので、「なんだよ知ってるよ!」という方も多いかもしれません。
もしかした俺、この話をmixiのニュースで見たのかなぁ…
だとしたらみんな知ってるかもな。
でも書く。


* * * * * * * * * * * *


ミッフィーの口は皆さんよくご存知ですよね?
そう。 X  ←こんなやつですよね。

僕は口がこんな形をしているものだと思い込んでいました。
でもちょっとおかしいんですよ。
口がこんな形をしていたら、恐ろしいエイリアンか何かですよね。
あるいは、お尻のアレですかね。
にこちゃん大魔王もビックリです。
もう本当にお食事中の方ゴメンナサイ。
ミッフィーのお父さんなんて、口が お父さんの口  ←こんな事になっています。
ますますもって、お食事中の方ゴメンナサイ。
体内に取り入れるのか、排出するのかハッキリして欲しいデザインです。
あぁ、なんだか取り返しがつかない感じです。

ところが、どうやらこの X は、口ではないようです。
鼻と口を合わせて表したものだそうです。
Xの上半分の“V”が鼻を、
下半分の“へ”が口を表しているらしいのです。
これならば、ミッフィーはエイリアンとして存在しなくてもすみます。
お父さんの口も、上の“V”が鼻、下の“へ”が口、真ん中の“―”はシワを表しているようです。
そう考えれば、すべてがスッキリですね。
もう、摂取か排泄かで迷うこともありません。



理屈の上では納得がいくのですが、問題が発生したという人もいるかもしれません。
少なくとも、僕の中では問題が発生しました。

Vが鼻で、へが口だと思ってミッフィーを見ると、ちっともかわいくないのです。
むしろ、かなりオッサン臭い。







イメージが沸いてない人のために、ネットで拾った普通のミッフィーの口と鼻を分けてみました。
ブルーナさんごめんなさい。

miffy


ね、オッサンでしょ?
ダンゴ鼻でしょ?
鈍臭そうでしょ?
なんか不機嫌でしょ?
可愛いといえば可愛いんだけど、ちょっとオジサン的な可愛さなんです。

ミッフィーが世界中の人々から愛されている理由は、間違いなくその可愛さだと思います。
Xの形を口だと考えると、ぬいぐるみ的な可愛らしさで人気を博しているのだと思うのです。
ところがその可愛さは、ほとんどの人の誤解に基づいているものでした。
口と鼻を合わせたものを口だと誤解したおかげで、可愛いウサギとして認知されているのです。

もし世界中の人が、ミッフィーの鼻と口を誤解することなく認知していたならば、ミッフィーは妙にオッサン臭いウサギとして世界に広まったでしょう。
世界に広まる前に消えてしまっていたかもしれません。


誤解でもウソでも、地位を確立してしまえば勝ち。
そんな世の中の真理に触れてしまったような気がします。
オトナっていやですね。
ミッフィーはそんなオトナ界を象徴する存在なのです。
そう思えば、オッサン臭い顔にも納得がいくというものです。


追記
ウサギは草食動物のわりに、消化管が短いのです。
牛なんか胃が4つもあるのに、ウサギには一つ。
草を消化する能力が弱いので、なんとウサギは一度消化して排出したものをもう一度食べるのです。
そういう意味では、Xもお父さんの口も、もはやアレでもいいような気がしてきました。
勿論いけないんですけれど。

今日のニセことわざ
ゴリに夢中
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GW中に日記を書いたのですが、消えてしまいました!
あまりにも!だったので、暫く拗ねてみたのですが、何も起こらないので拗ねるのをやめました。

とりあえず、もうGWの日記を書く気はありません。
ものすごく運動不足だった自分と向かい合うことを強いられたGWだったと言っておきましょう。
こんな調子でボランティアに行っていたら、思いっきり足を引っ張ったことでしょうね。
夏までに体を動かせる状態に持っていかなくては…と、思っとります。


さて、先日は母の日でした。
何をプレゼントするのかは決まっているのですが、恥ずかしながら何もしておりません。
一緒に住んでいるわけではないので、なかなか難しいですよね。
実は前日に法事で顔は合わせているのですが、そこで「母の日!」とするわけにもいかなかったのです。


その母の日の前日。つまり法事があった日の話です。
法事があっても仕事もあります。
いくつかの授業をこなして、いつものように仕事帰りにスーパーに寄りました。
授業後なので、時間は23時ころだったでしょうか。
店内に入ろうとすると、中から中学生男子が一人出てきました。
ぱっと見たところ中学1年生か?
職業柄、学年のにおいをかぎ分ける感覚は鍛えられています。
手には一輪のカーネーション。
男子が一番母親を疎ましく思う時期であろう中学生が、こんな時間に一人でカーネーションを買いに来ていたのです。

大人になるまで母の日に何もしてこなかった僕には、その中学生がまぶしく見えました。
しかもその子、義務感に駆られて買っているわけではないようななのです。
軽い笑みを携えて、「早くおうちに帰らなきゃオーラ」を出しているのです。
もう完敗です。

僕の中で、彼はかなりロックンロールでした!
中学生に胸を熱くさせられた、そんな先週末だったのでした!



今日のニセことわざ
寝耳にミミズ
84.5×0.246
げ、元気ですか?
僕はねぇ…






元気!





なんか今日の俺、ねちっこいなw

疲れてるのかな?
それとも、憑かれてるのかな?


今から僕が書こうとしている話は、旬を逃していると思われます。
しかし、これをもっとあとで書くともっと旬から遠ざかることになってしまうので、今書くしかないのです。
退屈な話かもしれませんが、読んでやってください。


震災でtwitterの有用性が取り上げられることが多かったですよね。
もともとガチャガチャと混み合っているのがtwitterだったので、災害時にも対応しやすかったのかもしれません。
それと、その後の刻々と変わる原発の状況に計画停電。
原発に関しては今でも予断を許さないものがあるのですが、twitterで情報を入手してきた人も多かったように思います。

このtwitterなのですが、(触れたことない人の立場に立って丁寧に書いていきます)ブログというよりは、2chのような巨大掲示板に似ています。
個人それぞれが思い思いのことをつぶやいているのですが、自分が選んだ人のつぶやきだけを表示させることができるのです。
つまり誰も選ばなければ、自分のつぶやき以外は何も表示されません。
一人だけを選べはその人のつぶやきだけを表示させることができる。
実際には、「この人と、あの人と、えーっとこの子のつぶやきも表示させたい!」と、何人かの友達やら上司やら部下を選ぶことになると思います。
この、「この人のつぶやきは見たいぞ」と、選ぶことを「フォローする」といいます。

twitterを始めた頃は、誰もフォローしていなかったので、それはそれは果てしなくつまらなかったです。
例えるなら、自分しか加入していないmixiに加入したような感覚でしょうか。
それか、誰もいない学校に一人で登校するとか。(←別の怖さがあるw)

とにかく何をつぶやいても、誰も返事をしない。
ただそれだけ。

それでしばらく放置していたのですが、元教え子で、塾業界の後輩でもあったK君がtwitterをはじめたというので、僕も再びtwitterを使ってみようかと思ったんです。

ここで、誰かをフォローするということを始めて覚えたような気がします。
「あぁ、フォローしないと何も始まらないんだな」と、当たり前のことに気がついて検索をかけまくり、友達を発見してはフォローしていきました。
15年後無沙汰している友人を発見したときは嬉しかったですね!
今週の日曜日に飲みに行く約束をしています。
これはtwitterのおかげですね。

っと、ここまではmixiのボイスとあんまり変わりません。
twitterの凄いところは、誰でもフォローできるところなんです。
自分の発言を知らない人に見られるのは少し抵抗があるな…と思うかもしれません。
が、憧れている人の発言等が見られることの代償だと思えば、何でもありません。
僕の場合は、元来見られたい願望を持っているので、そこは無問題でしたけれど。

こうして、F1関係者から始まって、芸人、エンジニア、実業家、学者、評論家…と、いろんな人をフォローし始めました。
すると、ちょっと見ないだけでつぶやき(ツイートという)が沢山溜まります。
初めはこれを全部読もうとしたのですが、これは間違いでした。
そんなことをしていたら、フォローしている人が増えていくにしたがい、大変なことが起こるようになりますよね。
他人のツイートを読んで1日が終わったり、しまいには自分が読むペースをツイートのペースが上回ってしまったりとかw

だからツイートは全部読もうとしないでいるのが、通常のスタンスだと思われます。
最近のツイートを見て、興味深いつぶやきをしている人のツイートだけを見たりして使うものだと思われます。
そんなわけで、「あれ?俺のツイート見てないの?」なーんて言われても、「ごめん、見てないや。」で許されるべきなのがtwitterのあるべき姿だと思います。
と、言いながら僕はリスト機能を使ってリアル知人のツイートはまとめて見れるようにしています。

そしてここからが本題、そしてtwitterの真骨頂です。
ここまでフォローしている人が増えてくると、情報が洪水のように押し寄せてくるのを体感できます。
個人個人が、思い思いの言葉をつぶやいているのが時系列に沿って並べられているのです。
まじめな社会問題についてのツイートも、腹減ったー的なツイートも、ごちゃごちゃです。
生まれつき耳が聞こえない方がtwitterを始めて、「ウルサイという感覚が始めてわかったかもしれない」と、言ったとか言わなかったとか。
それに、ひとつの事件や出来事に対しても、捉え方が人それぞれです。
僕は右翼の人も左翼の人もフォローしてみましたが、もう笑っちゃいます。
そして、テレビのニュースを見ると、まったく違う報道だったりするんです。

中高生の頃から、「新聞やテレビは事実のひとつの側面しか見せてくれないから気をつけろ」的なことは言われてきましたが、こんなに違うものなのか!と体感したのは初めてでした。
情報はテレビで見るような、一つの方向性を持ったまとまったものではなく、錯綜するものだったのです。
twitterを始めて、「報道機関としてのテレビはもう長くない」ことを確信しました。
テレビは娯楽にこそ活用されるべきメディアなのです。
ネットのニュースも、結局新聞社が書いているから新聞社の都合のよいようにフィルターがかかります。
一番生の情報に近いのがtwitterなのです。
といっても、僕がフォローしている人、という時点ですでに偏りが生じているとは思いますし、そもそもtwitterをやっている人種にも、ある程度の偏りはあると思います。
ですが、営利目的で情報を取捨選択したり枝葉をつけるマスコミよりは、twitterでの情報をもとにしたほうがリアルに物事を考えることができそうです。

これは凄い時代になりました。
今までは国民の「思想操作」や「感情操作」はマスコミの特権でした。
気づかないうちに、テレビ局の都合のいいように考え方や感情を操作されていたのです。
それが、twitterの登場によって、一般市民にも簡単にテレビ以外から情報を得ることができるようになりました。
おかげで余計な「操作」を受けることなく情報を手にすることができます。
これは革命です。
マスコミが持っていた特権がなくなったわけですから。
情報はマスコミのものではなく、我々一般市民のものになったのです。


思えば、もともと情報というものはそういうものだったのではないでしょうか。
村で生活している人たちが、口コミで情報を伝えていったのです。
その当時の情報は、誰かが統括するわけでもなく、自然に発生して、自然に伝わったのです。
twitterは、我々をその状態に戻してくれました。
そして電子の力で、その伝達速度を飛躍的に高め、村や人種の垣根も取り払いました。
世界中の人々が思い思いに情報を伝え合っていて、好きなところを切り取って、取り込むことができるのです。

twitterは最新の技術を使って、情報のあり方を本来の場所に戻してくれたのです。

ここからは僕たちの努力にかかっています。
情報は玉石混淆した状態で垂れ流しです。
勿論その中にはデマも含まれます。
この中から、正しい情報や必要な情報と、振り回されるべきではない情報を見極めなくてはなりません。
すっかりテレビに飼いならされてしまった私たちですから、それは重労働で「やっぱりテレビでいいよ」と思ってしまうかもしれません。
でも僕は負けたくないと思います。
ちゃんと自分の頭で考えて、少しでも「いい社会作り」に貢献したい。
国民みんなの情報を見極める力がついてくれば、政治も変わらざるを得ない。
そうすれば、今までのような茶番劇ともおさらばできる。


日本が大変なことになった2011年。
今も苦しんでいる人が大勢いるし、亡くなった方にはご冥福をお祈りしたい。
日本は大きなピンチを迎えているが、得てしてピンチはチャンスである。
日本はもっといい国になれるチャンスを迎えているのた。

きっとそのキーワードは、「自分で考える」ことだと思う。
亡くなった方たちに報いるためにも、僕はもっと考えたい。


今日のニセことわざ

猫にごはん
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