皆さん、大変ご無沙汰してしまいました。
今年も、花見の時期が過ぎてしまい、もうすぐ、じめじめした梅雨の時期が訪れてきます!
なかなかブログを更新できないのですが、今回、フッと私の中で、気になったことがありまして、今回は、この、気になったことについて書いてみたいと思います。
私は、桜が咲く時期になりますと毎年感じることなのですが、桜の花が咲くのを観て、落葉樹の生命力に感心することがあります。
それは何にか…
桜の木を例に…
桜の木は、冬の間、葉をつけないで幹と枝だけで、冬の厳しい環境の中、ただただ、春が来るのをひたすら待っています。
自分の求める場所ではなくても、一旦大地に根を下ろしたら、その大地が、たとえ住みにくい場所であったとしても、ひたすら生きようと根を張ります。
そして、与えられた生き方を、忠実に守っています。
人間は、自分自身の意志を持って行動、移動ができますが、もし人間も、この桜の木のような環境の中で生活させられていたら、与えられた生き方を、忠実に守って生きることができるのでしょうか…!?
と言ったら、それは、なかなか難しいことではないかという意見と、そうゆう生き方もあるという意見に分かれると思いますが…
例えば、自分自身の意志とは反した生活環境で、定められた環境以外を求めることができないとしたら、人は、どうなってしまうのでしょうか!?
諦めてしまう人、もがき苦しむ人、ただひたすら生きようとする人等々、例を上げたら多分きりがないくらい、いろいろな考え方、捉え方があるかと思います。しかし、定められた環境の中から、逃れられないという現実を突き付けられた時、人は、愕然とし、桜のように花を咲かせるほどの力を発揮することができるかといったら、どうでしょうか…
人は、生きる希望を持つことで、目標を持ち夢を追うことができると思っています。その目標や夢を持てる環境とは、自分自身の力で探し求めるための意欲的行動が必要になってくると、私は、思います。
人間は、たとえ落葉樹のような環境で人生を送るとしても、自分自身の環境は、自分自身で改善することができるということ、つまり、今の生活環境が、自分自身の意に反しているからと言って、嘆き悲しむのではなく、どのような環境の中であっても、自分自身の可能性を信じ、桜の木のように、自分自身のつぼみや花を咲かせてみたいという気持ちを持つことが、大切なことであると気付いていただきたいと思うのです。
人は、落葉樹ではありませんが、ともすれば、落葉樹のような環境の中で生活していることもあると思います。
その環境に流されてしまう前に、自分自身のまだ知らない、自分自身が持っている可能性を信じて、今を生き、明日の自分に繋げていただきたいと思っているのです。
私は、人が持つ可能性は、無限にあると思っています。
皆さんも自分自身の無限の可能性にチャレンジして、『人生の誠道』を探してみては、如何でしょうか!
最後に、
゛人生は、人が歩む道と自分が歩む道がある。”
人が歩む道を羨ましく思って真似しても、人の歩む道を歩くことは出来ません。
皆さんも、自分の歩む道を見つけ『人生の誠道』を胸を張って歩んでいただきたいと思っています。
今回は、私自身が気になったことを、思い付くまま書いてしまい、読みにくいこともあったと思いますが、最後まで、読んでいただきありがとうございましたm(__)m
池田 武央

