「やあ、マイハニー。今帰るところかい?」
「あっ……。ど、どうもです……」
会いたくない相手に声を掛けられ、幸は引き攣った笑みを浮かべつつ返事をした。
昼休みの騒動から時が経ち、今は放課後となっていた。
帰宅する生徒たちや部活に励む生徒たちの姿などがあり、その前者である幸は家へと帰ろうとしていた……のだが。幸が靴に履き替えて昇降口を出ると、そこには複数の男子生徒が幸を待ち構えていたのだった。
はっきり言って、幸はその男子たちとは話したくなかったのだが……。そんな幸の気持ちとは裏腹に、男子たちはニヤニヤしつつ話しかけてきた。
「ちょっと時間良いかな? すぐ終わるからさ」
その中の1人である男子が、無害そうな笑顔を振りまきながらそう言ってきた。
幸は男子のその笑顔に怖気を感じながらも、
「わ、分かりました。少しだけなら……」
断る事が出来ずにOKしてしまった。その時に幸は見てしまう。他人には分らない程度に、その男子が口の端を吊上げたのを……。
「ありがとう。じゃあ、こっちだよ」
その男子は極上の笑みでそう言い、校舎裏の方を指差しながら歩いていった。仲間たちもその後に続くが、歩きながらも幸の方をジッと見ている。いや、監視していると言った方が正しいのだろう。
そんな目で見なくても逃げませんよ。どうせ、逃げられませんし……。
幸は笑顔をなんとか保ちつつも、心の中で溜息をついた。
※
「……考えたか? 俺様の彼女になるって事を」
幸たちが校舎裏に着いた途端、今まで優しそうな声で話していた男子の声色が変わった。まるで別人なのではと思ってしまうほど、荒々しい不良のような声質である。
「考えましたけど……」
男子の問いに対し、幸は困惑したような表情でそう答えた。だが、別に男子の変化に驚いているわけではない。どう返答すればいいのか困っているだけだ。
「その……やはりお付き合いする事は……」
だが、幸はそこまでしか言う事は出来なった。言い終わる前に、先ほどの男子に頬を殴られて倒れたからである。
悲鳴すら叫べずに地べたに倒れる幸を見下ろし、その男子は怒りを露わにした表情となった。
「出来ない……なんて言うつもりじゃねえだろうな? テメエにそんな選択肢があるとでも思ってんのか?」
今までの人畜無害な雰囲気が嘘のように顔を険しく歪ませ、男子はそう言い放った。その姿は、あからさまにヤンキーのようである。
実を言うとこの男子はかなりの猫かぶりなのだ。人前では良い人を演じてはいるが、その裏は凄まじく柄が悪い不良だ。良いのは外面だけで、本当は悪魔のような事も平気でやる人間であった。
この面は幸もよく知っているので、だからこそ呼び出しに逆らえないでいたのだ。現に今だって反論したら殺されると考え、幸は黙って痛む頬を手で押さえるしか出来ないでいた。
「この俺様が、こ~んなにも頼んでやってるのに何様なんだテメエは。温厚な俺様でも仕舞いにはキレるよ?」
「………」
声自体は落ち着いているが顔には怒りが滲み出ており、幸は怖くて言葉を発せなかった。そればかりか体も小刻みに震えており、それに気付いた周りの男子たちが笑い始めた。
「ハハハハハ、この女マジでビビっちゃってますよ! 泣いちゃいますぜ、久保田さん」
「そいつは困る。泣くなよ、ムカついて殺しちゃいそうだから」
突然変化した先ほどの男子……久保田と男子たちはそんな事を言いながら下品に笑い続けた。
かなり低脳な奴らなのは間違いないのだが、今の幸にはそれでも恐怖であった。久保田たちなら、本当に泣かれてムカついたから殺したという事がありえなくもないからだ。
前に急いで帰宅しなければいけない時があり、その時も今日と同じく久保田たちは幸に絡んできた。
だが急いでいた幸は早く話を終わらせて帰ろうとしたところ、その素っ気ない返事が久保田の癇に障り、幸は集団で殴られまくってしまった。しかも肉眼ではなかなか確認出来ない腹部辺りを重点的に殴られた。しかもそれがいけなかったのかストレスからなのか、幸は家に帰った後はしばらくトイレで吐いていた。
つまり、自分の思い通りにならないのなら平気で暴力を振るう……そんな連中という事なのだ。
それに噂によると暴走族との知り合いも多いらしく、下手すれば踏んではいけない地雷を踏んでしまう可能性もある。幸としては早々に縁を切りたいところだが、現実はそんなに甘くはなかった。
「まあ、あともうちょっとだけ猶予をやるよ。その間によく考えとけよ。まだ死にたくないんだったらな」
久保田の脅しに対し、幸は静かに頷く事しか出来なかった。
「それと、この事は友達とかにチクるんじゃねえぞ。チクったら即殺す」
「大丈夫ですよ。コイツ友達いませんから」
「ああ、それもそうか」
久保田たちは再び大笑いし、そのままその場から去っていった。
「………」
幸は久保田たちの姿が見えなくなるのを確認してから、制服に付いた汚れを手で払って立ち上がった。
それから蛇口がある所へと移動し、ハンカチを濡らして赤くなっている頬へと当てる。現在が2月だからなのか、濡れたハンカチは思った以上に冷たく感じた。
「友達がいれば……助けてくれるんでしょうね……」
苦笑まじりにそう言うが返答など返ってくる訳もなく、幸は寂しさを感じつつ下校した。