・読み終わった日:2014年1月13日
・人物:
青豆(青豆雅美、30歳、高級スポーツクラブインストラクター、天吾のクラスメイト)、
天吾(川奈天吾、30歳、予備校の数学教師兼小説化志望)、
小松祐二(雑誌編集者)、ふかえり(深田絵里子、17歳)、深田保(「ふかえり」の父、元学者)、
戎野隆之(センセイ、元学者、ふかえりの後見人)、
老婦人(緒方静恵、マダム)、タマル(田丸健一、老婦人のマネージャー)、
大塚環(青豆の親友)、あゆみ(中野あゆみ、婦人警官)、
天吾の父(元NHK集金人)、年上ガールフレンド(安田恭子)、
牛河(牛河利治、福助頭、元弁護士)、安達クミ(23歳、看護婦)
・ストーリー:
青豆がタクシーに乗っていると、ヤナーチェックの『シンフォニエッタ』が流れていた。
首都高に乗っているが渋滞により動かなくなっていた。
すると運転手が非常階段があるのでそこを利用することを教えてくれ青豆はそれを利用する。
天吾は予備校で数学の講師をしていたが一方で小説家志望でありかつては投稿したこともあるが結果は出せていなかった。
しかし諦めきれず少しずつ小説を書いたり編集者の小松の依頼で雑用のようなことをしていた。
あるとき天吾は小松に17歳の女子高校生ふかえりこと深田絵里子が書いた『空気さなぎ』を絶賛するが小松は一部認めながらも天吾ほど認めなかった。
それは文章としての技巧がないということだったがそこで小松は天吾に内容はそのままで天吾に文章を書き直して世間に売ろうともちかける。
当然天吾は詐欺行為だといっていったんは断るが結局は受け入れる。
非常階段を下りた青豆は警官とすれ違うが警官の制服がカジュアルになっていて、回転式の拳銃ではなく、大型オートマチックの銃になっていたことに驚く。
しかし仕事へ行く途中の青豆は現場へ向かう。
青豆は表の顔は武術に順ずるインストラクターをしていたが「殺し屋」としての裏の顔があった。
学生時代、人体の構造を勉強していた青豆は首筋のある部分をアイスピックのような特製の道具で刺すことによって、自然死に見せかけて殺すことを知り実践していた。
しかし目的は金ではなかった。
そして今回のターゲットは青豆の親友の大塚環をDVで自殺に追い込んだ夫であり仕事を遂行する。
そしてあるとき青豆は月が2つ、大きな月のそばに、小さな月があるということに気付く。
警官の件といい不思議なことが続くことに疑問をもった青豆は拳銃のことを新聞で調べると「あけぼの」という組織が起こした事件がきっかけだったということだったが青豆はその事件の記憶がなかった。
そして自分は違う世界に来てしまったと感じ、この世界を「1Q84年」と呼ぶことにした。
やがて青豆は勤務しているスポーツジムで老婦人と知り合い個人的なトレーナーを依頼される。
こういったことは珍しくなく時間と料金の折り合いがつけば何人かに行なっていたことだから深く考えていなかった。
しかし個人トレーニングを進めていくうちに食事をするようになりこの老婦人は深い過去があることが分かり青豆の「裏家業」を調べ上げた上で「仕事」の依頼をされ受けることにする。
それは信者の少女たちをレイプしている宗教法人『さきがけ』のリーダーの殺害だった。
依頼を受けた青豆は老婦人の用心棒であるタマルに拳銃の入手を依頼する。
その後青豆は新聞であゆみがホテルで殺されたことを知る。
天吾は小松を仲介として作者のふかえりと会い文章の書き換えの承諾を得るが彼女は独特の話し方をし何か訳があるというのを感じる。
そしてもう1人ふかえりの保護者の戎野先生に会いに行くが彼はかつて有名な学者でかつふかえりの父親の友人であった。
そして今回の書き換えを積極的に承諾するのだが、それは本の内容が宗教法人「さきがけ」に関連しており、またふかえりの父が「さきがけ」にいることからヒットすれば世間が「さきがけ」に注目することで何かがこじ開けられるのではという期待があったからだった。
そして戎野先生は、『空気さなぎ』に登場する「リトル・ピープル」について、ジョージ・オーウェルの『一九八四年』という小説を引き合いに出して説明する。
その後、天吾の書き換えた『空気さなぎ』は、新人文学賞を受賞し、ベストセラーになる。
天吾には人妻である年上のガール・フレンドがいるが、ある日連絡がなくなり、しばらくしてその夫からもう会えない、という電話がはいる。
その後天吾は急に思い立ち父の入っている療養所に会いに行く。
父は原因不明のこん睡状態に陥っており、それでも天吾は父に朗読をしたり話しかけたりした。
長く通っているうちに安達クミという看護婦と親しくなり彼女の家に行くが性欲は起こらなかった。
牛河は元弁護士だった。
弁護士時代に法律すれすれの仕事をしたことで刑務所行きは逃れたがその代わり弁護士資格を剥奪され今は裏社会の依頼を受け調査のようなことをしていた。
牛河は頭には自信があるが容姿全般にコンプレックスをもっていた。そ
して「さきがけ」の依頼により天吾と青豆を調査することになる。
・感想:
今まで読んだ中では一番興味深く読めた。
但し大分「文章の脂肪」が削られていたと思うが冗長であることは感じる。
予定より大幅に超過し読み終わるのに越年してしまった。
BOOK3で終わっていたからまだよかったがBOOK2で終わったらもっと後味が悪かったと思う。
どういう理由であれ単純に人殺しが幸せになるのはどうかな、と思うが。
文章形態、コンセプト、などは相変らずだと思う。
それはどうなのか。
関西のお笑いのように「お約束」を見て喜ぶのか、東京のように同じものではなく進化したものを観て感じるのか。個人的には後者であり村上作品には食傷気味でもある。
不倫・淫行・4Pなど雑誌の「袋閉じ」とレベルはおなじでは。
今回も結論は書かない。
80パーセントくらいまで書くが後は読者に議論させるためにわざと空白を残しておく。
これがマニアにはたまらない要素の一つなのだろう。
だから小生には「?」のことがたくさんある。
でもこれって「怠慢」ではないのか?
やはり「オレはこう思うがどうだ!」と世間に問うのが作家の使命だと思うが。。。
一つのトピックスは父親との葛藤を書いたことだろう。
作者が両親とどういう距離感だったのかは分からない。
両親が国語の教師で日本近代文学の話しにウンザリしてそのアンチテーゼでアメリカ文学に走った、と理解している。
作品に出てくる一連のシーンは体験談に近いのではないかと思っている。
日本の男性作家にありがちな父親との不仲からその怒りをペンでぶつけ晩年になり丸くなり父を赦す、というパターンかなあ、と思っている。
コミュニケーションを取れない父親を看取るのは将来の自分のようで読んでいて辛かった。
そんな中、印象深かったのは
「やりたいことがあることは良いことだ」
「大事なことは無条件に女性を愛したことが無いことだ」
これを読んでグサッときた。
小生は「やりたいことがあるようでない」「心の底から愛したことはない」と言えるからだ。
ただ女性の外見の魅力だけに惚れていただけで中身は関心が無かった。
そういう意味では恋愛といえるものは経験していないと認めざるをえない。
活字業界の裏側を書いているもの興味深い。
これは批判とも言えるのでは。
ゴーストライーターの存在や直木賞・芥川賞など純粋な審査ではなく商業主義がかなり占めていることを裏付けていると思った。
時代の流れかもしれないが。
マダムみたいに金を持て余している人はいるのか。
困っている人を救うのはいいが違法行為はまずいだろうと思う。
婦人警官がストレスの発散に乱れたセックスをするというのはウソではなさそうかなと思ってしまった。
弁護士同様、先人君子を求められるがストレスは人一倍溜まる。
となるとセックス、となるのかなと。
田舎の病院勤務の看護婦も同様。
結構淋しいのかなと。
といっても教師が受け持ちのこの母親と不倫するなんて非現実的すぎるしはみ出し過ぎ。
母親探しのためとはいえ人妻と関係を持つのは教師の資格は無いだろう。
登場人物のモデルは作者の言うとおりオウム真理教だがあまりにも酷似し過ぎでちょっと手抜き間が感じられた。
その背後にあるのが作者の経験した学生闘争、そしてそのくだらなさ、参加当事者が反省・謝罪しないことの苛立ちと卑怯さ。
牛河には何か同情してしまった。
容姿のコンプレックスをばねに勉強して弁護士になったはいいが天狗になり勘違いして人の道を外してしまい最期は惨めな死に方をする。
「女にもてない」という男の永遠のコンプレックスでもあり小生は弁護士を少々知っているし学者もそうだがやはりブ男は多い。
意外だったのは世間では爆発的に売れたが従来の村上ファンからは酷評されていることだ。
小生はそんなに悪くは無いと思っている。
読者は何を求めているのか分からないものだ。
オウム事件に関しては平和日本の落とし穴があることを見せ付けられた。
知能指数の高い人があんな豚のような人に着いて行きインチキに気付かない。
気付いてえみたら人を殺している。
線路で言えば「人生のポイント」を間違って切り替えてしまった。
何故こんな危険分子を生み出し今後生み出さない方法は見つかっていないと思う。
戦争が無いことはいいことだ。
ただあまりにも自由がありすぎてどれを選択していいか、どれがベストな選択なのか分からない。
コミュニケーションの方法は沢山かつ簡便である一方、一つ一つの意志伝達が薄っぺらくなり人間関係も薄っぺらくなった。
それに対して不満と不安があり人と繋がっているか自信がない。
ハードが満たされればそれに反比例するようにソフトの不足を感じる矛盾。
これが今の日本人、特にハードが充実している都会の人たちの課題なのだろう。
孤独を感じている人もきっと言い人がいるはず、見つかるはず、ということを言いたかったのか。