せとけんガッツポーズ


新年明けましておめでとうございます。

地球的視野・地域的行動~これは私が政治を志す原点。日本国を愛し、ニッポンの底力で世界に貢献するために必要な視点だと思います。そして、安倍政権による安保法制の強行採決が数の横暴であるとか、憲法違反であるとか言う前に、その中身が「専守防衛に徹するには不足があり、アメリカの軍事行動に対して自衛隊が兵站を任務として海外派遣されるには十分である。」という実態に、全国民レベルの認識を向けるべきだと私は感じています。

昨年の秋の叙勲で、アメリカ合衆国の元国務副長官のリチャード・アーミテージ氏が天皇陛下から旭日大綬章を受章しました。彼こそが昨年、安倍内閣が強行採決した安保法制(関連法案)の原案を起草し、アーミテージ・レポート2012で日本国政府に対して提案した人物です。

今年は、日本の近現代史を地球的な視野から客観的に捉えながら、日本が主体的にどのような歴史選択を行ってきたのかを「せとけんの政局放談」として、シリーズで発信し、ISテロの実態をはじめとする困難な国際情勢と第三次世界大戦を回避するための知恵を考察していきたいと考えております。その創刊号となる本稿では「真珠湾攻撃」についてです。是非、ブログ読者登録をお願い致します。

せとけんの政局放談 創刊号『真珠湾攻撃』
戦艦アリゾナ
※真珠湾攻撃によって炎上する戦艦アリゾナ~今も沈没した船体はモニュメントになっています。

◆ルーズベルト大統領の陰謀説◆

昨年は敗戦70年の節目の年でした。「ルーズベルト大統領は、日本の真珠湾攻撃を事前に察知していました。」という衝撃的な言葉を私が聞いたのは1980年のことでした。当時、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストン独立学校区ベルエア高等学校に留学中だった私が、高校卒業必修科目だったアメリカ史の正規の授業の中でそのように教わったことが、事実であることを推測させる議論や資料に触れたのは昨年の夏、終戦記念日の頃でした。

ルーズベルト大統領は、英国のチャーチル首相から厳しい対独戦線に援助を求められていたものの、ドイツは米国の参戦を恐れ、米国に対する主権侵害行為は行わなかったために、当時、反戦平和ムードに浸っていたアメリカ合衆国の国民世論に反して、大統領が対独戦に参戦することは不可能でした。

そこでルーズベルト大統領は、太平洋を隔てた日本に目を向けたという陰謀説が語られてきたわけです。日独伊三国同盟を締結したばかりのアジアの新興国・日本に米国に対する戦争を仕掛けさせれば、その同盟国であるドイツに対してもヨーロッパで宣戦布告する口実ができる。それがルーズベルト大統領の策略だったというわけです。

◆仕掛けられた大日本帝国悪玉説とハル・ノート◆

戦後になって、アメリカ合衆国上院の軍事外交合同委員会の公聴会で、トルーマン大統領によって総司令官を解任された直後のマッカーサー元帥が証言しているように、「持たざる国である日本に、アメリカが鉄屑やその他の資源の供給を絶てば、日本は国家の危急存亡の危機に瀕して、防衛のための戦争を仕掛けるのもやむを得ない状況に陥る。」という見通しの下で、最終的にハル・ノートが手交されました。

1941年12月8日未明、現地時間1941年12月7日(日)午前7時35分に始まった大日本帝国海軍による真珠湾攻撃は、アメリカ合衆国海軍・太平洋艦隊に甚大な被害を与えました。宣戦布告文書の手交が予定よりも1時間20分遅れた理由は、文書の英文翻訳とタイピングに時間を要したためとされていますが、手交が遅延するよりも、内容を考えれば原文をそのまま手渡しても構わない程、急使を要する事態であったにも関わらず、そのように実行されなかったことは奇異に感じます。

結果的に、日本にとっては本来、宣戦布告を必要としない自衛のための戦争に、宣戦布告文書を手交したが、実際の攻撃に1時間20分も遅延してしまったために、「日本は卑劣な奇襲攻撃をアメリカ合衆国に仕掛け、米太平洋艦隊が壊滅的な被害を受けた。」というシナリオが完成し、「真珠湾を忘れるな!」("Remember Pearl Harbor")という合言葉が、アメリカ世論の反戦平和ムードを吹き飛ばし、アメリカ合衆国は太平洋と大西洋を跨ぐ戦争に突入することになったのです。

◆アヘン&奴隷貿易のラッセル商会とソ連のコミンテルン◆

ルーズベルト大統領のフルネームは、フランクリン・デラノ・ルーズベルト。ミドルネームのデラノは母方のファミリーネームで、母方の祖父ウォーレン・デラノは、アヘンと奴隷貿易で莫大な利益を上げたラッセル商会の広東駐在員として、清国へのアヘン貿易で財を成した人物。有色人種に対する人種差別意識の強い家系に生まれています。そして、大日本帝国に覚書を手交し、宣戦布告文書を受理したコーデル・ハルの背後には、ハル・ノートの起草者であるハリー・デクスター・ホワイトという人物が居り、彼こそがソビエト連邦のコミンテルンのスパイであったことが後に判明しています。

ここからは私の推論ですが、ヨーロッパの対独戦線に参戦したかったルーズベルト大統領は、大日本帝国を経済封鎖することによって追い詰め、宣戦布告に至らしめ、ホワイトがアメリカ合衆国の対日戦争を正当化するシナリオを描きながら、真珠湾攻撃を黙認。ルーズベルト大統領は真珠湾攻撃やその具体的被害想定は認識出来ぬまま、太平洋艦隊の主力部隊を失ってショックを受ける。しかし、宣戦布告文書の遅延が結果的に第二次世界大戦の拡大とアメリカの参戦を支持する国民世論を喚起する結果となった。

恐らくルーズベルト大統領は、大日本帝国の先制攻撃をかなり甘く見ており、対日戦争は早期に終結すると考えていたのに、真珠湾攻撃は想像を絶する大打撃になってしまったというのが現実だったのではないかと思います。しかしコミンテルンであるハル・ノートの起草者ホワイトにとっては、英米がロシアの南下を阻止するために仕掛けた日露戦争の報復として相応しい打撃を、この時点でアメリカに与えることに成功したのかもしれません。

◆優れた大日本帝国を恐れたアメリカ合衆国◆

いずれにしても真珠湾攻撃は、大日本帝国がアメリカ合衆国を軍事的に震撼させた出来事であり、ここで実証された空母の大量の艦載機による効果的な攻撃体制が、その後の戦争を大型戦艦の時代から空母の時代へと転換するきっかけになったのは日本にとって皮肉な出来事でした。

アメリカにとって、日本軍の奇襲攻撃を逃れたエンタープライズ、レキシントン、サラトガの3隻の空母がたまたま残ったことは、その後のミッドウェイ海戦を思うと、不幸中の幸いでした。

以降、アメリカが日本を完全に武装解除するまで徹底的に日本を叩く方針は、人体実験とも言える広島、長崎への原爆投下に止まらず、戦後のGHQによる"War Guilt Information Program"(戦争犯罪に対する罪責感を浸透させる洗脳プログラム)遂行から、今日に至るまで続くことになります。

しかし、忘れてはならないことは、その背景にあるものは、「アメリカ合衆国とアメリカ国民が日本国と日本人を畏れている」ということなのではないでしょうか。だからこそ毅然と日本国の政治家は対米交渉に臨まなければならないと私は思います。

⇒次回は、『日清・日露戦争』について論じます。読者登録をお願いします。

瀬戸健一郎(せとけん)
Ken*ichiro Seto, Setoken

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