前回は日本におけるトレーナー教育の始まりについて書いた。

最後に、「日本は独自規格での勉強が…」と結んだので、今回はその続きを。

 

 

①の「スポーツトレーナーの定義」②の「日本のスポーツトレーナーの成り立ち」でも書いたように、

日本におけるスポーツトレーナー(主にはアスレティックトレーナー)は、

医療類似行為を生業としていた方々が、その任を担ったところからスタートした。

 

 

いわゆる、
マッサージ師
指圧師
鍼灸師
柔道整復師
(その他、整体師、カイロプラクター、などなど…)
(当時は「理学療法士」「作業療法士」でトレーナーの世界に来る人は
 ほとんど皆無。)

 

 

 

また、前にも書いたように、
当時は体育系大学でも、トレーナーになる為のカリキュラムが無かったことや、
当時活躍していた「トレーナー」の方々が、
前述のように「鍼灸師」や「マッサージ師」の方がほとんどだった為、
大学卒業後、そのための学校に行ったり、
または最初から高校卒業と同時に鍼灸学校などに入学したり、が多かった。
(20年以上前は、高校生で「トレーナー」という職を考えていた者は少なかったが)


 

それと共に、実際には、
例えば「鍼灸師」の国家資格を取れば、それで「トレーナー」になれるわけでも無かったので、
卒業後、または資格取得後は、既にトレーナーとして活躍していた先駆者たちの下に、
「弟子入り」のような形で教えを乞う、という事が多かったようだ。


 

医療類似行為で国家資格となっているものは、
「鍼灸師」「あんま・マッサージ師」「指圧師」だけである。

(「柔道整復師」(接骨師)は医療保険が使えるので、「医療者」と言って良いんでしょうね。)
しかし、前述の通り、これ以外にも、
「整体師」「カイロプラクター」の中にも、トレーナーとして活躍していた人がいたので、
これらは国家資格は無いが、鍼灸師と同様に、
学校やスクールなどに通った後、
「師匠」に「弟子入り」して、その技術を習得していった、という経緯があった。

(かく言う私も、“この口”である。)


 

20年以上前の日本では、
まだ「アスレティックトレーナー」という概念は希薄で、
実際には、
「医者に行くほどでも無い症状(状況)を改善させて欲しい」
もしくは
「医師に見せる時間も無いから、その場で何とかしてやって欲しい」
という要望がほとんどであったのだ。
その要望に、世界では類を見ない様々な手技療術や鍼という技術があったため、
うってつけな人材が存在した、
という日本の特殊事情と合致したのである。




アスレティックトレーナーの定義については①に書いたが、

鍼灸師やマッサージ師の方々が、この定義に沿った技術を独自で勉強をして、

日本独自規格の「トレーナー」の基礎を作った、と言える。

もちろん、中には「施術(治療行為)」しか担当しない人もいれば、
「トレーニング」までも担当できる人もいたりして、
その仕事内容は、人やチーム事情などで様々、という状況になったのだ。
(チームや企業、選手個人の要望が千差万別だったので、それによって担う役割が異なった。
“トレーナー側に勉強の意欲が無かった”訳では無い。)

 

 

尚、この傾向は、
今日、アメリカの状況が入って来るようになり、
「アスレティックトレーナー」の内容が認知され、
資格制度が整備され始めた現在でも、根強く残っている。

 

 

これについては、また。

 


まだまだ続きます。