知人の選手の話。


そのチームの、ある選手が、チーム外の指導者のコーチを受けたいと申し出た。
しかし、そのチームのコーチが良い顔をしなかったらしく、
その希望は叶えられなかったらしい、ということのようだった。


これに類する話はよく有るのだが、
その度に思うのは、「コーチってなんだろう?」ということだ。


もちろん私も感情のある人間だから、そのコーチの心情も理解出来る。
確かに、

「俺というコーチがありながら、何で他のコーチの指導を受けなきゃならんのだ。
 俺の立場はどうなる!?」

という感情も、自分が同じ立場なら、同様に持つかも知れない。


しかし…


「コーチ」「スポーツ指導者」の目的は何だろう?
選手を「強くする」ことに他ならないのではないか?


となると、感情はあっても、
やはりそこは、選手が自ら希望した「意欲」を汲んでやり、
気持ちを抑えて一歩引いて、むしろ送り出してやるべきだったのかも知れない。


少し前にTVでやっていたドキュメントで、
アテネ五輪で金メダルに輝いた室伏選手のことを思い出した。


五輪の1年前から、
自らの考えでヨーロッパのコーチの指導を受けるため、
単身、渡欧して転戦しながら、新しい感覚を身に付けたらしい。
実際にどのようなやりとりがあったかは定かでないが、
長年、コーチを務めてきた、父親でもある重信氏は、どのような気持ちであったのだろうか?
私が推察するに、恐らく“強くなる”という明確な目的の為に、
ほとんど負の感情は無かったのではないかと思う。
あくまでも、目的は「勝つこと」であり、コーチはその目的達成のために存在するのだから。


ただ、難しいのは、やはり「人間」だから。
いつの間にか「指導者」は「上司」になってしまうのだ。
客観的に見れば、「プロ意識の足りないコーチ」となってしまうが、
知らず知らずのうちに、そうなってしまうものなのだ。
簡単なことのようで、難しい。
仕事熱心な人ほど、陥りやすい。
それが“人間”というものだ。


ただ、その選手ももう少し、配慮が必要だったかも知れないとは思うが。
相手はやはり、感情のある“人間”なのだから。