「テンプル騎士団の謎」 | 世界史オタク・水原杏樹のブログ

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現在の所海外旅行記は
2014年9月 フランス・ロワールの古城
2015年3月 旅順・大連
2015年8月 台北(宝塚観劇)
を書いています。

「テンプル騎士団の謎」
レジーヌ・ペルヌー著
創元社 知の再発見叢書


やっぱりどうしてもテンプル騎士団が気になって、本を読んでみることにしました。
とりあえず一番簡単に読めそうなもの。
図版が多くておもしろかったです。当時の文書とか絵とか。


テンプル騎士団はヨーロッパ各地に「コマンドリー」という領地を持っていました。修道院みたいなものです。現在も残っている建物があるということで、そういうのを見に行ってみたいー。


テレビドラマまで紹介されています。写真付きで。
フランスでは小説や映画やドラマに何度も取り上げられているんですね。
フランス語だとわからないー。


でも、フランス語多読をしているのに、特にこれまで目標はなかったんですが(フランスを旅行するのに話せたらなー、ぐらい)、テンプル騎士団とか、中世ネタの本やドラマを見てみたい!という目標ができてしまいました。


さて、この本にテンプル騎士団の総長ジェラール・ド・リドフォールのことが書いてありました。シノン城でしゃべっていた騎士です。その英訳



を見て、サラディンに対してエルサレム王と共に戦ったとか言っていて「なるほど~」とか思っていたら、とんでもないヤツだったことが判明。


コイツは、サラディンに包囲されてとても勝ち目のない街を放棄しようとする周囲の意見を押しのけて、エルサレム王ギイ・ド・ルジニャンをたきつけてサラディンと対決すべきだと主張。しかしたちまちサラディンに包囲され、エルサレム王も騎士団も皆サラディンに捕えられ、惨殺されてしまいました。ところがジェラール・ド・リドフォールだけは釈放されたため、イスラムに改宗したと噂されるのです。
サラディンはこの後エルサレムを陥落させました。


そして最後の総長、ジャック・ド・モレーの話。
火あぶりになった時、ジャック・ド・モレーは恐ろしい声で教皇クレメンス、王フィリップなどを名指しで「神の法廷に呼び出してやる」と呪いの言葉を発したそうです。
そうすると、なんと教皇も王もその年のうちに亡くなってしまった…。


呪いの言葉を発した、というのは後に作られた伝説なんですけれども。教皇も王もその年のうちに亡くなったことから生まれた伝説なんでしょう。


その後、テンプル騎士団は妖しげな伝説を次々と生み出していくのです。隠し財宝といった話から、フリーメーソンとのつながりまで…。


(おまけ)
シノン城へ行ったときのテンプル騎士関連の日記
http://ameblo.jp/serindia/entry-11974912307.html