洞察力/中山正和 | Find Create and Act

洞察力/中山正和

中山正和は発想法「NM法のすべて」などで有名。
「洞察力」は勝間和代の「起きていることはすべて正しい」
の中で、「三毒追放の話しだけが印象に残った」と書いて
あった。でも他の部分もとても面白かった。


この本を、えいや、で一言で要約すると、


「雑念を捨てなさい」


本のサブタイトルが「本質を見抜く眼力の秘密」とある
けれど、仏教の世界と関わりながら話しが展開している
ところが実に興味深い。


何故仏教かとなると、それは宗教的信仰ではなくて、
世代を通じ幼少から刷り込まれた「生き方の哲学」に
根ざしたものであるからという。もちろん、刷り込まれて
いる哲学は仏教とは限らないのだから、違う人は変えて
読み変えればいい。


脳は「コトバ記憶」、「イメージ記憶」そしてコトバ記憶
を抽象化したり論理思考する「計算」の3つからなる。


動物はイメージ記憶だけで、そのイメージ記憶は
宇宙の大法則=真実のデータであって、ちょっとした
環境の変化を機敏に感じ取って的確な行動を起こす。
港にいる船にネズミを見かけなくなったら遭難に注意
しろ、というように。


我々も真実のデータ、つまり過去の経験、真の知識、
大法則を直観したいのだが、コトバ記憶が邪魔したり
する。「あの人はこんな風に思っているかもしれない…」
なまじ学問があると、あれこれ考え回して、イメージ記憶
の自在性が損なわれてしまう。


そんな大法則、イメージ記憶は「生き方の哲学」に深く
関わっている。だからこの本で言うところでは、仏教の
世界をないがしろにすべきではない、と説いている。


社会では、全てイメージ記憶で済ませる訳にもいかない。
動物のように感性だけで事足りるものでもない。抽象化の
「計算」や「コトバ記憶」を使いながらイメージ記憶を
「自在」に操り、うまくたぐり寄せることが重要だ。
机の引き出しや、込み入ったフォルダからすぐにファイル
が取り出せるように。


このイメージ記憶を「自在」に操ること、このことこそが
洞察力であるという。自在であることは、般若心経の出だし
でいう観自在菩薩の状態とのことである。


では、どうしたらイメージ記憶を「自在」にできるのか?


それは六波羅蜜や八正道などの修行がベースとなるようだが、
自分のような凡人には難しい。そこで、「三毒追放」や
ネガティブ妄想を退ける「莫妄想」を、となる。


仏教用語を用いなければ、つまるところ『心を健全に』
ということではないか。常に心を誠実にする。邪念など
やましいことを考えないこと。そう、雑念を捨て去ることだ。


この先にあるものが、本能的、動物的な行動の状態。
コトバで考えることなく、ありのままで考える。雑念、邪念が
入らない自然体。この状態では、身体で覚えているものが
すーっと出てくる。まさに直観である。


身体に覚えこませるのは大変だ。物事に相当のめり
こまなければならない。それもとことん、と。
それがとても難しい、、


心が不誠実であれば自分を信じることが難しくなり、
物事にのめりこむ度合が浅くなる。「とことん」が
できなくなる。ここでも雑念・邪念を捨て去ることが重要と
なってくる。雑念を捨て去れば、心が誠実となり、ますます
自分を信じることができて、物事にのめり込むことができる
のではないか。


そしてのめり込むために肝要なことは、やはり好きなことを
やる、につきてくる。好きなことをやれることはとても幸せな
ことでもあるのであって、ますます心が誠実になることになる。


雑念を捨て、好きなことをやるとき、洞察力は最高潮に達する
のではないか。