木彫り熊通信・木彫り熊発祥の地。 | こけしを愛する日本茶インストラクター





  おはようございます。

  ごぶさたしておりました。






  すっかりおやすみしてました。







  そうそう、

  せっかく、八雲町で木彫り熊の

  歴史を学んできたのに


  すっかりやすんでいました。











  木彫り熊発祥の地「八雲町」。


  
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  ↑この石碑の「カタチ」にもちゃんと意味があるんです。

  今度、お話しますね。




  

  わたしも、知ったのはつい最近で。

  これには歴史ロマンがあるのです。







  そう、そのかぎをにぎるのが

  このお方。



  
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  徳川さん。

  そうです。

  有名な徳川さん。





  市民に愛され、今も

  さむかろうといって、

  石像にマフラーやチョッキを

  かけていく方がいるそうです。





  きちんと言うと、

  尾張徳川家代19代当主

  徳川義親。



  

  サムライの時代が終わり、  

  明治維新後、権力の座を奪われた

  尾張徳川が旧家臣を救うため

  新天地をもとめ

  今の八雲町へ入植した・・・・






  歴史っぽくなりました。


  そこで「徳川農場」が設立され

  開墾をはじめました。






  徳川さんと八雲町がつながりました。





  その徳川さんが、

  あるときスイス旅行へいきます。




  そこである「木彫り熊」にであうのです。

  それからはじまる木彫り熊物語。







  はい。

  その徳川さんが購入してきたという

  木彫り熊も見てきました!




  それがその後八雲町で彫られる

  木彫り熊の見本となるわけですが。




  

  残念ながら、撮影はNG。

  画像は無いのですが、

  小ぶりで四つんばいで

  しゃけはくわえておらず、

  口をカーーッとあけております。



  目は黒目でガラス玉。  

  感想はやっぱり、


  「かわいい」。です。

  





  とても愛らしいというか、

  どう猛さは感じられません。









  ・・と、今日はこのへんで。

  またゆっくりさせて下さいね。







  

  えっ、おれのはなし?


  
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