水子のこと、貴方はどれだけ知っていますか?

水子のこと、貴方はどれだけ知っていますか?

水子について詳しくご存じでしょうか?
慈母観音寺(別名 千里眼観音寺)法智龍馬が水子供養を通して体験した、感じた、様々なお話をかいています。
水子をお持ちの方は勿論、自分の親や子に水子のおられる方も参考になさってください。

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(当主星供養)

 

先日2月3日の星供養のときのお話です。

当院の星供養では、先祖供養と水子供養も執り行っています。

 

水子供養をはじめたときでしょうか、当院には世間でいうところの霊感の鋭い弟子がおり、何かを感じたらすぐにスマホで空間を撮影します。

 

いまの時代、大変便利になったものです。昔みたいにいちいち写真屋さんに持って行って現像しなくても、その場で撮影した写真をすぐに確認することができます。しかも何枚撮っても無料です!

 

霊感の強い弟子は何の気兼ねもすることなく「ここぞ」というときに「ここだ」という空間に向けてスマホで写真を撮ります。

 

そして今回の水子供養の際にも、「ここぞ」というときに「ここだ」という場所を狙って写真を撮りました。

 

今回久しぶりにご夫婦そろって参加された宗徒さんがいました。そのご夫婦の前で燃えているロウソクの炎のなかに何かを感じたのです。

 

弟子はそれが何かを分かっていました。そのご夫婦の孫にあたる水子の霊の魂がロウソクの炎の中に舞い降りたのです。

 

(ロウソクの炎が手を合わせた水子のかたちをしています)

 

さな体で一生懸命観音様の方に手を合わせているのです。お分かりになりますか?

何とも可愛らしく、そして哀れで抱きしめたくなるような炎のかたちになっていました。

 

水子が手を合わすその先を見てみると、悲母観音様の前にあるロウソクの炎に手を合わせていたのです。

そしてその悲母観音様の前にあるロウソクの炎が空間に反映し、悲母観音様のお顔が映し出されたのです。

 

私はこの写真を見て全てを理解したとともに、手を合わせている水子の炎の姿に涙ぐんでしまいました。

 

 (右側ロウソクの炎の中に現れた水子が観音様に手をあわせています)

 

(ロウソクの炎の横に映し出された観音様)

 

実は私たちスタッフは内緒で知っていたのです。

そのご夫婦の実の娘さんには誰にも知られることなく供養すらされていない水子ちゃんがいることを。

 

そしてその娘さんが初めて出産したときに、出産したあかちゃんとともに水子ちゃんがこっそり写っていたことを。その時の写真はこちらです。

 

お分かりですか?

赤ちゃんがおくるみに包まれて両手を自分の頭に当てているのですが、おくるみの脇からもう1人顔をのぞかせています。

 

「ぼくはここにいるんだよ。だれかきづいて。おかあさん、おばあちゃん、ぼくもだっこしてほしんだよ!」

 

私には切実にその声が聞こえてきます。これを単なる心霊写真にしてしまってはいけません。

 

それからです。

今回の水子供養がおわった翌日に電話がありました。ご夫婦の奥さんとそして娘さんである水子のお母さんが本当に親子の縁が切れるほどの大喧嘩をしたのです。相手の親戚を巻き込んでです。

 

収拾がつかなくなっているから、「先生、どうか母と姉を助けてください。」と妹さんから電話がありました。

 

私はその大喧嘩の話を聞いてすぐに原因がわかりました。もうすぐ、そのご夫婦の親御さんの回忌供養があるのです。そんな話をしていたところだったのです。

 

きっと水子ちゃんはせめて自分の先祖のもとへいき、思いっきり甘えたいのでしょう。

「おばあちゃん。ぼくを先祖のもとへいかせて」

と言っているのでしょう。

 

今回の親子喧嘩はご夫婦共々、その水子がいる娘とその主人、主人の家族まで巻き込んだ大ごととなった喧嘩でした。

 

私は即、ご夫婦の奥さんに電話をしました。「喧嘩を一時止めてください。」

 

そしてこの間、炎の中に現れた娘さんの水子の話をしたうえで、

「今回、こんな大きな喧嘩になった理由は、いま娘さんのところにいる子どものことが理由じゃないですか。」と話しました。

 

全くその通りでした。

「それは娘さんの水子ちゃんがいまいる子どもに焼きもちをやくとともに、あるメッセージを送っているんです。そして自分の存在に気付いてほしがっているんです。どうか娘さんとの喧嘩を止めて、娘さんの水子のことを考えてあげてください。」と伝えました。

 

奥さんはしばらくしてから穏やかになられ、

「やはりあの子に水子がいるんですね。先生は知っておられたのですか?」と聞かれました。

そして今の喧嘩を客観的に観察して一時喧嘩を止めて水子ちゃんのことを考えることとなりました。

 

私は思います。

私たちはたとえ水子がいたとしても日々、今いる子どもを第一に考えて、そして常々今いる子どもとの和を築いていこうとしています。

 

けれども水子のいるあなた。あなたがもし中絶によって水子を作っていたとしたら「水子ちゃん」なんて言えるもんじゃないですよ。

 

たとえどんな理由があろうとも中絶というものは我が子を、自分の子を殺すんですから。それも医者という第三者に依頼して。

 

水子の立場からすればせっかく生命を授かり、両親の子どもとして宿ったのに、両親に殺されるのですから。こんな地獄のような話は世の中にそうはありません。

 

そうであって、今在る生きている子どものことを精一杯愛して大事にしようとしたところで、そううまく行く筈はないんです。

 

水子は必ずあなたの側にいて、あなたや今いるあなたの子どもたちが幸せになることを望みはしないはずです。恨みこそあれど・・・。

 

よく他のお寺のお坊さんが「水子ちゃんがお母さんのことを恨むはずはないですよ。」なんて言っていますが、私からすればそのお坊さんに言ってやりたいです。

 

あんた。本当の霊の姿を見たことがあるんですか?水子の霊をよべるんですか?」と。

どうせそんなお坊さんは霊の存在なんか信じておらず、詭弁を言う商売人としか思えません。

 私は水子の霊をよべます。少しですが、また別のブログで紹介します。

 

自分の親に殺されてその親をどうして愛せますか?あなたならどうですか?

 

当院の宗徒さんのなかに本当に小さい頃に我が親に殺されそうになった人が何人かいますが、誰も心から親を愛してはいないですよ。本当は愛したいんですけどね。

 

このブログを読んで、もしあなたに中絶した水子ちゃんがいて、いま、あなたに子どもがいて無事に過ごせていたら一日も早く水子ちゃんに戒名を授けてきちんと供養してあげてください。そして一日も早く先祖の元へ行ける道を開いてあげてください。

 
(当院 水子を抱っこするお大師さまと水子ちゃんたち)

 

今の幸せが何かの犠牲の元に存在していることを常日頃から忘れないでください。

そうすればあなたの水子ちゃんはきっとあなたたちの家族の守り仏となってくれるはずです。

 

合掌。

 

■□■□■□当主自己紹介■□■□■□■

弘法大師と執契金剛院阿闍梨大僧正圓照 大和尚を我師とし、

真言系単立の寺院をご意見無用にて当主を つとめさせて頂いております。

 また先達善友の会を発足し、皆さまと共に 各種霊場の巡礼を 楽しくさせて頂いております。 ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■

 

慈母観音寺(別名 千里眼観音寺)HP

 

 

 

 

 

 

 

 


(当院所蔵 不動地蔵)


多忙な先生に代わり、大変恐縮ですが、ほっと一息ブログを書かせていただきました。

先日、当院に来られたお地蔵さまです!!お名前は不動地蔵さま。その名のとおり、
「お顔が不動明王さま、お体がお地蔵さま」のお姿です。

当院にある賽の河原にて、両手に石を抱えて水子ちゃんが石を積む姿を見守っております。
私には積んだ石を壊しにくる鬼から水子を守り、石を積むお手伝いする優しいお姿に見えました。

そして、先生もお怒りになられますが、私たち宗徒をこうして温かく見守ってくれているんだなと、とても感慨深い気持ちになりした。
(賽の河原の地蔵和讃~本当のお話~)

(当院所蔵 賽の河原にて)


高野山奥の院に、地蔵不動さまがおられるのはご存知ですか??



これもその名のとおり、「お顔がお地蔵さま。お体がお不動さま。」のお姿です。

建立者が平仮名で「かほちそう、からたふとう」(顔が小さくて、体が太く)と書いたのものを、石工の人が「顔が地蔵で体が不動」と読み間違ってしまって作られたという説です。

当院に来られたお地蔵さまは、この逆になりますね!!!

他にも奥の院には「カウンター地蔵さま」がおられます。



高野山を訪れる度に挨拶すると、私たちが何回参拝したかを覚えてくれているのです。亡くなった後、閻魔大王に「この人は高野山に○○回来られていました。信心深い方です。」と伝えてくれて、少しでも私たちの生前の罪を軽くしてくれるのだそうです。

私たちも春の結縁灌頂にて先生とともにご挨拶してきました。

(当主と宗徒さんたちでカウンター地蔵にご挨拶)


他にも「汗かき地蔵さま」や「お化粧地蔵さま」がおられ、毎回、いろんなお地蔵さまを拝みながら楽しく御廟へお参りします。
(2016年春の高野山結縁灌頂~みんなのお大師さま~)

仏教の用語に「諸行無常」ということばがあります。
この世の全てのものは常に変化し続けるということです。

何度も同じお寺にお参りしますが、そのたび自分の気持ちは変化しているものです。
ですが、仏さまはいつも同じ場所に変わらずにいます。仏さまだけはそのままです。

仏さまに手を合わせると心が落ち着きます。

変り続ける日々の環境の中、手を合わす瞬間は「無」になり、変わらない仏さまのお姿に心が落ち着いて自分を見つめ直す時間を与えてくれ、また、「どうか見守っていてください。」という気持ちになるからかもしれませんね。

(当院所蔵 渡海観音)


素敵な不動地蔵さまをお連れしてくれた ご縁に感謝します。

合掌。

■□■□■□当主自己紹介■□■□■□■
弘法大師と執契金剛院阿闍梨大僧正圓照
大和尚を我師とし、
真言系単立の寺院をご意見無用にて当主を
つとめさせて頂いております。
また先達善友の会を発足し、皆さまと共に
各種霊場の巡礼を
楽しくさせて頂いております。
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                       (当院 六道輪廻と水子地蔵尊)

本日は水子供養の大切さをお伝えしたく、
賽の河原の地蔵和讃と共に、当院が訳した内容を掲載いたします。
(※注:残酷な表現を含む部分があります。ご留意ください。)

当院では、賽の河原の地蔵和讃のお話を元に「水子供養のすすめ」を説法し、
水子供養を実施しております。

赤ちゃんとしてこの世に生まれて来る事が出来なかった水子は、ずっと「賽の河原」にいるのです。

人は亡くなると、この世の善行(徳分)を持って、賽の河原から三途の河へと渡る事ができますが、
この世で善行を積む事ができなかった水子は、いつまでも賽の河原で石を積み続けて彷徨う事になるのです。

忘れていた。
供養はしたいけれど家族には話せない。
供養の仕方がわからない。

手厳しいかもしれませんが、ぜひ、読んで頂きたい内容です。

水子の成仏をお願いする為に、地蔵和讃の意味を知って唱えて頂きたいです。

貴方が涙を流すことになったならば、水子は供養されたという事になるでしょう。

●賽の河原の地蔵和讃---------------------

帰命頂礼世の中の 定め難きは無常なり 親に先立つ有様に 
諸事(しょじ)の哀を止めたり 一つや二つや三つや四つ 十よりうちの幼子が

母の乳房を放れては 賽(さい)の河原に集まりて 昼の三時の間には 
大石運びて塚をつく 夜の三時の間には 小石を拾ひて塔を積む

一重(ひとえ)積んでは父の為 二重(ふたえ)積んでは母の為 三重(みえ)積んでは西を向き

樒(しきみ)程(ほど)なる掌(て)を合せ 郷里の兄弟我ためと あら痛はしや幼子は
泣々石を運ぶなり 手足は石に擦れだだれ 指より出づる血の滴 

体を朱(あけ)に染めなして 父上こひし母恋しと ただ父母の事ばかり
云うては其儘(そのまま)打伏して さも苦しげに歎くなり あら怖しや獄卒(ごくそつ)が

鏡(かがみ)照(てる)日のまなこにて 幼き者を睨みつけ 汝らがつむ塔は
歪みがちにて見苦しし 斯(こう)ては功徳になり難し 疾々(そうそう)是を積直し

成仏願へと呵(しか)りつつ 鉄の榜苔(ぼうごけ)を振揚(ふりあ)げて 塔を残らず打散らす

あら痛はしや幼な子は 又打伏して泣叫び 呵責(かしゃく)に隙ぞ無かりける

罪は我人あるなれど ことに子供の罪科(つみとが)は 母の胎内十月(とつき)のうち
苦痛さまざま生まれ出で 三年五年七年を 纔(わず)か一期に先立つて

父母に歎きをかくる事 第一重き罪ぞかし 母の乳房に取りついて
乳の出(い)でざる其(そ)の時は せまりて胸を打叩く 母はこれを忍べども

などて報(むくい)の無かるべき 胸を叩くその音は 奈落の底に鳴り響く
修羅の鼓と聞ゆるなり 父の涙は火の雨と なりて其身に降懸(ふりかか)り

母の涙は氷となりて 其身を閉づる歎きこそ 子故の闇の呵責(かしゃく)なり
斯(かか)る罪科(ざいか)のある故に 賽の河原に迷来て 長き苦患を受くるとよ

河原の中に流れあり 娑婆にて嘆く父母の 一念とどきて影写れば
なう懐しの父母や 飢を救ひてたび給へと 乳房を慕ふて這い寄れば

影は忽(たちま)ち消え失せて 水は炎と燃えあがり 其の身を焦して倒れつつ
絶え入る事は数知らず 中にも賢き子供は 色能き花を手折りきて

地蔵菩薩に奉り 暫時(ざんじ)呵責(かしゃく)を免れんと 咲き乱れたる大木に
登るとすれど情なや 幼き者のことなれば 踏み流しては彼此(かれこれ)の

荊棘(おどろ)の棘(とげ)に身を刺され 凡(すべ)て鮮血に染まりつつ 漸(ようや)く花を手折り来て

仏の前に奉る 中に這出る子供等は 胞衣(えな)を頭に被りつつ
花折ることも叶はねば 河原に捨てたる枯花を 口にくはへて痛はしや

仏の前に這い行きて 地蔵菩薩に奉り 錫杖法衣に取付いて
助け給へと願ふなり 生死流転を離れなば 六趣輪回(ろくしゅりんね)の苦しみは

唯是のみに限(かぎ)らねど 長夜(ちょうや)の眠り深ければ 夢の驚くこともなし
唯(ただ)ねがはくば地蔵尊 迷ひを導き給へかし 賽の河原地蔵和讚
(終)

※えな(胞衣)・・・胎児を包んだ膜と胎盤。

                      (当院 賽の河原)

●和讃の内容(当院訳)---------------------

この世で淡いものいえば 何よりか弱い命なり 親より先に死ぬ不孝
親のくげんは最多なり 若くて幼い嬰子が 母より離れて死んだ後

賽の河原に集まりて 日の出日の入りその間 大きな石を運んでは五輪の塔を積み上げる 

一つ積んでは父の為 二つ積んでは母の為 三つ積んでは西を向き
しきみの様な小さな手 合わせ故郷の兄弟に 哀れみ頼みうくるなり

それでも問答無き日々に 泣き泣き石を運ぶなり 手足は石で擦られて
ただれて指から血を流し 体を血潮に染めながら 父に合いたし母恋し

一途に父母の事だけを 思ってそのまま倒れ込み 苦しみ悲しみ続くなり

その時地獄の鬼が来て 鉄の様な火のまなこ 子供を睨んで言う言葉
お前ら積むのは石の塔 歪んでご利益ないだろう即座にこれを積み直し

成仏願へと怒鳴りつけ 獄卒棒を振り上げて 積みたる塔を押し崩す
積みたる幼い子供らは 其れを見ては倒れ込み まるまり強張り泣き叫ぶ

因に罪は無いものの 果報の罪は拭えない 母の胎内10月には
母体にくげんを与えつつ わずかな希望を抱いては 死ぬは前世の原罪なり

体を閉ざす嘆きこそ その煩悩の責め苦なり その責め苦がある限り
三途の川を渡れずに 賽の河原で過ごすなり 母来るまでにしきみの手

真っ赤な血潮に染めながら 泣く泣く石を積み上げる また積み上げて潰されて
成仏出来ずにひれ伏して 父母思い手を合わせ 飢えを救えと思えども

乳が恋しく這い寄ると 母の影は泡となり 消えてなくなり水となる
水は炎と燃え上がり 体を焦がして倒れ込み 死んでしまうは数知れず

やがて賢い子供らは 色鮮やかな花を折り 地蔵菩薩に捧げつつ
少しの間責め苦から 免れようと思うなり 花が咲きたる大きな木

登るは小さな体ゆえ 枝から足を踏み外し 周りの棘に身を刺され
全身血まみれなりながら ようやく花を折り取って 地蔵菩薩に渡すなり

中でも這い行く子供らは 母から貰った胎盤を 頭にかぶったままゆえに
花を折る事ままならぬ そこで河原に捨てられた 枯れたる花をくわえ込み

泣く泣く地蔵に捧げれば 錫杖法衣にしがみつき 助けたまえと泣き叫び
乞い求めるはあわれなり 頼りは故郷の父母や 兄弟回向の功徳なり

功徳充分満ちたれば 水子は三途を越えるなり 南無や大悲の地蔵尊 南無や大悲の地蔵尊
(終)

                      (当院 子安観音)

■□■□■□当主自己紹介■□■□■□■
弘法大師と執契金剛院阿闍梨大僧正圓照
大和尚を我師とし、
真言系単立の寺院をご意見無用にて当主を
つとめさせて頂いております。
また先達善友の会を発足し、皆さまと共に
各種霊場の巡礼を
楽しくさせて頂いております。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
慈母観音寺(別名 千里眼観音寺)HP