年代 永禄12年(1569)10月6日
場所 神奈川県愛甲郡愛川町三増、津久井郡津久井町根小屋
武田信玄が今川領であった駿河に侵攻したことにより、長年続いてきた相甲駿の三国同盟が破綻。あらたにずっと仲が悪かった上杉謙信と北条氏康は同盟を結んだ。
武田軍は永禄12年9月、2万の兵を引き連れて北条氏の本城”小田原城”を目指した。小田原までの道中、鉢形城、滝山城を威嚇攻撃し、10月1日に小田原城の蓮池門に迫った。
このとき北条軍は駿河にも兵を割いており、若干手薄な状態ではあったらしいが、この当時、小田原城は日本一の巨城。また信玄の来襲に備えて、農民をいつもより多く?かき集めて、篭城に備えていたようだ。
信玄が小田原城を本当に落城させるつもりはなかったと思えるが、威嚇は十分ということで、4日で撤退を開始。
ぼやぼやしてれば、各北条の支城から攻撃される危険も当然ある。
このとき、甲斐への最短コースである、三増峠を通って帰路につこうとした。
しかしながら、本城を脅かされて、黙っていては関東武士の名折れとばかりに北条軍は三増峠で待ち構えていた。
北条軍は鉢形城の北条氏邦、滝山城の北条氏照、河越城の北条綱成とそうそうたる面々。総勢約2万近い兵を引き連れてきた。
武田軍はなんとかして、三増峠を越えようとするが、北条軍は、本軍である、氏康の到着するまで持ち堪え、武田軍殲滅を狙っていた。
しかしながら、おそらく北条軍の展開は予測されていたのだろうか?
武田軍の別働隊が回り込んで形成が逆転。
北条軍は持ち堪える事ができずに、撤退。。
武田軍は被害を大きくすることなく、甲斐へと引き上げることが出来た。
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