場所 長野県岡谷市塩嶺
年代 天文17年(1548)7月19日
1548年の2月、武田晴信(後の信玄)は村上義清に上田原で大敗北を喫した。
武田氏の信州への侵攻が一時頓挫したとみて、反武田連合(村上氏、小笠原氏などの信州の豪族)が武田を信州から追い出そうと立ち上がった。
これがだいたい7月頃であった。
小笠原長時は上原城を攻略のために、軍勢を勝弦峠に集結。
それを聞いた武田晴信は7月18日に兵を大井ヶ森(山梨県長坂町)に集結させた。
そして、密かに上原城まで行軍。
19日午前2時ごろに上原城から諏訪街道を一気に進軍し、まだ勝弦峠で眠りこけている小笠原軍に襲いかかった。上原城から勝弦峠までは約38キロ程の距離だが、約1時間程度で現地に到着したようだ。
小笠原長時はこの敗戦で京都へ逃亡。
武田氏は前回の敗戦の汚名を晴らした。
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