場所 愛知県新城市野田
年代 天正元年(1573) 1月~2月
12月、三方ヶ原で徳川家康をやぶって野田城の攻略にとりかかる武田信玄。
篭城側は400の兵しかいなかったが、鉄砲が配備されており、攻略にてこづっていたが、包囲して一ヶ月近くたつと篭城側に疲労が見えてきた。
菅沼定盈は開城の交渉に応じた。
このすぐ後、武田信玄は53歳で死んでしまう。
ただこの合戦には伝説もあり、芳休という笛のうまい人が信玄を誘い出し、鳥居半四郎が鉄砲で狙い撃ちし、殺害したとも言われている。
映画『影武者』でもそう描かれていた。
真実を確かめようはないが、病気による死の方が説得力があるように感じる。
というのも晩年の信玄の動き(出兵など)が鈍いからだ。
甲府を出陣するときも3日遅れと記録が残っている。
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