場所 愛知県安城市安城町赤塚
年代 天文18年(1549)
織田家の人質となっていた松平元信(竹千代のちの徳川家康)を救出し、三河の支配を強めようとして、安祥城を攻めた。
理由は松平広忠という三河の国の親分(とは言っても今川に降伏しているが)が死んでしまい、統率する者がいない状態になってしまったので、今川は安定した三河統治を行うため、松平元信(竹千代のちの徳川家康)がどうしても必要になったのである。
結果はあっと言う間の安祥城の落城で、織田信広は降伏。生け捕りにされてしまう。
これにより人質交換となり、今川による三河の支配力が増した。