天国に行ったちーちゃん17 | ヒロポンのわくわくルーム

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ヒロポンです、この度22年やっていた
お店を閉めました。
健康に関するお話や、料理の話など
出来たら良いなと思っています、
どうぞ宜しくお願いいたします。


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九月二十五日


 知人から丸山ワクチンの事を聞き、先生の許可を得て、東京まで買いに行きました。




説明を聞き、素晴らしいものだと思い、ワクチンを受け取り、その足で

病院に行きました。



千里には「免疫力を高める薬だから、我慢して打ってもらうように。」

と言って納得させました。私の言うことは何も言わず全て信じてくれました。



何の疑いも持たず、自分のためにしてくれているのだと感謝していました。

 




次の日、 先生が「そろそろ退院させたらどうか?」とおっしゃいました。


お正月まで持たないだろうから家に帰らせてあげた方が良いと言うのです。


私も本人が帰りたがっている事は解っていましたが、ワクチンを打つためには

二日に一度通院しなくてはなりません、それに私が仕事に出れば

自分で食事を作らないといけなくなります。バランスの良い食事を取るには

数種類のおかずが必要です。




私も良いと思うものを作っておき、食べるように言っていましたが

やはり理想どうり規則的にと言うわけにはいきません。



それに今の千里にそれをさせるのは、あまりにも心配です。


食生活がいいかげんになるのは、わかりきっています。




そこで先生に無理をお願いして、いつでも外出、外泊ができるようにして頂き、

入院生活を続けさせて頂く事にしました。ベッド数も少ないのに

快諾してくださいました。本当に感謝しています。





 ワクチンを打ちながら、日曜日は家に帰り、小鳥に会い、お風呂に入って

ゆっくり過ごす、そんな生活がしばらく続きました。




月曜日は病院には戻りたくないのでしょうが、私に心配をかけないように、

機嫌よく病院に戻ってくれました。




「丸山ワクチンで治ってくれますように」と願いながら休日を指折り数えて

楽しみにしていた私達ですが、 十一月六日の日曜日、



食事に出かけた先でひどく疲れた様子なので早めに切り上げ、抱えるようにして

帰宅しました。 風呂に入れ、身体や手足にクリームを塗ってあげると

ようやく元気になり「おなかがすいた」と言いました。




嬉しくなり、簡単なものを作って一緒に食べました。


その時、千里が食べ物をよくこぼすのです。


食器も落としたりします、舌もよく回らない感じです。





翌日、先生にその事を伝えると、すぐに頭のCTを撮ろうと言われ、私は

部屋で待つことになりました。悶々と待つこと一時間、

不安そうな顔をして帰ってきました。



「私、大丈夫かなあ?何ともないかなあ?」

「何とも無い。心配ない。」と慰めながら頭をなで続けていました。






先生に呼ばれ、こわごわ部屋に入ると、レントゲン写真を見ながら、


「右脳に転移が認められる、その腫瘍が左脳を圧迫している。」


と言いにくそうにおっしゃった。





 目の前が真っ暗になり、今までしてきたことは何だったんだ、

こんなことなら・・・・・




自責の念でいっぱいの私は、千里の病室に入れず横の踊り場で泣き続けていました。



千里に会えば説明しなければならない、 でも、あまり長い時間戻らなかったら

余計に心配するだろう。 でも、そんなことを今さら言えるわけがない、

これ以上悲しませたくない。





茫然と座り込んでいる私を先生が促しました。「私が言いますから一緒に来て下さい。」



涙を拭き、気を取り直して病室に入りました。



先生は大したことはないよ、というように「頭に腫瘍ができたから薬で治すからね」

と言われました。



千里は落ち着いた様子で「いろんな事が起きるんですね?」

と一言言って横を向きました、そして私に「又、手術するの?」と聞きました。




「頭は危ないから、薬で治すらしいよ、少し時間がかかるけどね」と答えるのが精一杯でした。




今思えば、あの頃 千里は死を悟ったのではないでしょうか?


あんなに頑張ったのに悔しかったでしょう、怖かったでしょう。


あの日は一日ベッドで泣いていたのではないでしょうか?







その日から私は店を休みました。


今まで病気のこととは言え、千里をだまし続けた私が、これからしてあげられることと言ったら、

ずっとそばにいてあげることだけです。




「頑張ろう!」という緊張の糸が切れたのか?




その日から千里は見る間に弱っていきました。