禅の十牛図。牛を求める旅。
牛とは、他ならぬ自己そのものの事である。
中国に伝わるこの十枚の絵について、
この本の最初(p.8~p.9)に、次のように書かれている。

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われわれは、類いまれな巡礼に出る
禅の十牛図は
人間意識の歴史の中でも、あるユニークなものだ
<真実>はいままでさまざまな方法で表現され
しかも、それはつねに
どうしても表現されないままであることがわかってきた
どう表現してみても、それはするりと身をかわす
つかみどころがない
それはただただ描写から逃げてしまう
そのために使った言葉も、それを包含できない
そして、表現した瞬間―
たちまちあなたは欲求不満を感じてしまう
まるで、本質的なものは取り残されて
非本質的なものだけが表現されたかのように―
禅の十牛図は
その表現不可なるものを表現しようとしたひとつの試みだ
そこで、最初にこの十牛図の歴史について少し―

もともとは、図は十でなく八つだった
そして、それは仏教のものではなく、道家のものだった
その起源は失われている
誰もそれがどう始まったのか
誰が最初の図を描いたのか知らない
だが、12世紀になって
中国の禅のマスター廓庵(かくあん)が、それを描き直した
そればかりじゃない
彼はもうふたつ図をつけ加え、八牛が十牛になった
道家の図は第八図で終わっている
第八図は<空>、<無>だ
だが、廓庵はもうふたつ新しい図をつけ加えた
それこそまさに、宗教意識への禅の偉大な貢献だ
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つまり、この本は禅の十牛図に関するもので、
書かれた本ではなく、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話録であり、
禅の話ばかりではなく、トピックは古今東西を問わないいろんな話題に飛ぶのだが、
十牛図の流れが見失われることはなく、その語りは詩人の如くである。

十牛図の十枚の絵と漢詩、散文が収録されていて、
このシンプルな十枚の作品から、かくも広大無辺な講話が可能になるのは、
あたかも一粒の種から大木が育つかのよう。

 先日手元に取り寄せ、
旅の途中に電車の中などで読み切れるかなと思っていたのだが、
内容は深いし、読み進み易いとはいえ、ページ数もたっぷりあるので、
牛の歩みのように、ゆっくりと読み進むのが良さそうだ。

OSHO
河出書房新社
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