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朝から西新橋あたりが、ものものしいです。

横断歩道ごとに「警視庁」のチョッキを着た人が立っているみたいな((((゜д゜;))))

なに?なに?要人警護!?

第一ホテルで何かあるの?

と、ものすごい興味深げに見ちゃいました。

でもさっき、そのチョッキの人に、質問している人がいたんです。
うわてがいました(^_^;)

韓国の李大統領の関係でしょうかねぇ?
帝国ホテル?

憶測にすぎませんがね。

父は今とある関東の施設に入所しています。

病気による半身マヒで日常生活は介助ナシでは送れないのです。


もしも亡くなった場合、借金とかないのか?大丈夫か?

遺産放棄(借金が放棄できます)するにも、相続人全員のサインが

必要なのでは?

と言われたのですが、


たしか、放棄するときは自分だけでよかったはず・・・


いちおう法学科卒なんです。


の割には「はず」って言ってますけど。


プラスではないので、絶対放棄しようと決めてます。

それに、相続するには、日本中から何人いるのか分からない

自分の兄弟を探さねばなりませんもの。


一般人の自分にはムリムリ~叫び

最近落ち着いています。


生理前症候群っぽいんですよね。

まぁ、排卵から生理終わるまでズット不安定で機嫌悪いんですけど。


受験生の思春期の頃から、まるで平均台の上を歩いているみたいだよなぁ


と思っていました。


人生間違えないように、まっすぐ前を向いて

背筋を伸ばして歩いているんです。


でも、たま~に平均台から足を落としちゃう。


そうすると、いままで平気だった事柄がイチイチ気になって

クヨクヨするんですわ。


平均台の上に戻れると、また「普通」のほがらなか私に戻ります。


まじめなんでしょうねぇ。


読売新聞で不定期掲載されていた「鬱ノート」。

まだ病気ではないけれど、

この考え方・思考回路は不健康につながりやすいみたいですね。


そう思って、常に前向きに考えられるようにがんばっているわけですべーっだ!

実家には18歳までいました。
それから先は進学のために田舎を離れて、ちょっとした都会で一人暮らしを。

実家の冷蔵庫は、大体5年ごとに変わっていましたが、
お金を出して購入したことはありません。

いつも、誰かからかもらってきていました。

3つあったソファーも、ゴミ捨て場に出されたソファーを、まだ使えるのにもったいない
と言って拾ってきたものでした。

いちおう「拾うところを見られたら恥ずかしい」
という感覚は普通にあり、
夜に拾ってくるんです。

当時は子供だったので気が付かなかったんですが、
あまり拾ってこないですよね(^△^;)

今の私に同じことをしろと言われても、気持ち悪くてできません。
誰のか分からない、拾ってきたものを使うなんて…。

夏に遊びに行く、私の母が今いるところは、


海あり、山ありの大自然です。


ちょっと草の茂ったところに行くと、


マムシがいるから気をつけて!


とか言われちゃいます。


幼児を連れて行くので、いろいろと心配がいっぱい。


海に溺れたらどうしよう  とか


気候の近いから風邪をひいちゃったらどうしよう  とか。


でも楽しまなきゃ損ですよねww

結婚前は、1人で行動するのは平気の平左でした。


というか、美術館とか寺とか神社とかでマッタリするのが


好きなので、1人のほうが向いているんですねにひひ


自分のペースで行けるじゃないですか。


海外旅行ははしゃぎたいので、友人と行くんですがね。


安全な国内は、手軽にいけるし、ストレス発散も兼ねて1人でまったり。


しかし、子供を産んでから、1人で温泉とか入れなくなっちゃったんですよショック!



・・・母性本能なんでしょうかねぇ


群れるのキライなんですが、群れに入りたい。


でも上手く群れになじめない。ジレンマですね。


もともと不特定多数と馴れ合うのは苦手な性質だから、これはこれで苦痛。


子供が成長したら、また元の自分に戻れるかしら・・・


と望む今日この頃。

幼稚園の年中に通う娘がインフルエンザ(A型)にかかってしまいカゼ


脳症の恐れがあるとかで、今月初めから入院しておりました。


結果から言えば、ただのインフルエンザでしたニコニコ


もう退院し、いつものように子供たちの兄弟げんかでうるさい我が家ショック!



昔から、タカ子姉さんの話題を出すと不調になる気がするんですよ・・


気のせいでしょうがね・・・


話題にしないほうが良いのかしら・・・

母の再婚相手、私の父も大した男ではありません。

甲斐性がない。経済性がないというんでしょうかね。暴力をふるったりはしませんでしたが、

自分勝手な人間だなぁ

という印象の男です。

母との夫婦喧嘩で、
「誰のおかげで食べていけると思っているんだ!」
このお約束の言葉、彼も言っていました。

当時の我が家は自営業で、夫婦一緒に働いていたんですよ。
形の上では、父が母を雇うというものでしたが、最初に約束した母への給料も支払わないで、よく言えたものです。

母に自営業の店を手伝ってもらい、生活費を給料(10万円)として支払う。‥という始めの約束は3年目にはすでに守られていませんでした。そこそこ儲かっているのに。

私が小学4年の時の母への「給料」は月5万円で、その金額で家賃や水道光熱費、食費、教育費、保健年金などすべてをまかなわなければならない。戦前の話ではないです。チェルノブイリ原発事故の頃でしょうか。ファミコンが登場した頃でしょうか。

高校生の兄の学費が足りないと父に言うと、

「高校なんて辞めちまえ!」

と言う始末。なのに自分の趣味には、いくらでも注ぎ込む。家族では使わないゴムボートや、何万もする釣り竿を何本も買ったり、好きなことをし放題でした。

私や母は、一年に一度洋服を買えるかどうかという貧しさで、家庭内・経済格差(゜∀゜)です

裕福な家で育った母にとっては、つらかったようです。

私の母はバツ1です。


母の前の夫は、女癖が悪く、働かず、

母にも兄にも暴力をふるう最低男だったようです。


兄は当時0~2歳の赤ちゃんですよ。


「返事をしなかった」とか「なつかない」「笑わない」というだけで

赤ちゃんである兄の首をしめる最低男だったそうです。


当人の兄がこのことをおぼえていて、私が「再婚」話を知った時に、

母と兄と3人で話をしたのですが、


兄が

「こういう記憶がある」

と言ったら事実でした。


怖かったんでしょうねぇ。

だから覚えているんでしょうねぇしょぼん


当時、前の夫が働いてくれないから

母が夜スナックへ働きに行っていたそうなんです。

朝方帰宅すると、夫は見知らぬ女と1つの布団で寝ていたそうです。

その隣には赤ちゃんの兄。


ドラマの世界ですよね・・・。

信じられない光景です。


しかし、母は「子供がいるから我慢しなければいけない。離婚できない」

と思うタイプの女なんです。

耐えていたそうです。まぁ・・・口ゲンカはしていたでしょうが・・・

気は強いんですよ。


この男の何が良かったのか。


クラッカー顔ですクラッカー


それはキラキラハンサムキラキラな顔だったそうです。


兄は父親似の外見なので、「なるほど。」と思います。


この地獄のような生活から抜け出せたのは、母の母(おばあちゃん)が

田舎特有の霊媒師みたいな人にお告げをもらったそうです。


今、ものすごーーーーく苦労しているから、許してやって

呼び戻しなさい


と言われたそうです。


母は当時、家出して故郷から遠ーーーい土地に逃げて、そこで働いて、

その後結婚していたんです。


これ、全部聞いたときにはびっくりしましたよ。

うそみたいですよね。

10年ぐらいかかってここまで聞き出せたんです。


本人は言いたくないようです。

家出した理由もそのうち書きますね。


次回は2番目の夫の話です(私の父です)。

タカコ姉さん。


子供の頃は、少し怖い存在でした。


物心ついた頃には、お仏壇の中に写真が飾られていて、

月命日・命日・お盆などには供物して手を合わせる。

観音開きに開いた黒ぶちの仏壇扉とともに、怖い空間でした。


今思うと、地獄少女。。。みたいなイメージっていうんでしょうかね

(違いますかね;)


成人以後、兄に話を聞いてから少しイメージが変わりました。

私が子供を持ったことも大きく影響していると思いますが。


母は、大層タカコ姉さんに厳しかったそうです。

いじめていた・・・風に見えたそうです。

兄はすでに小学生だったので、記憶にあるんですね。


「おむつがはずれなかった」というのも、享年4歳なので

はずれなくても、異常ではない年齢ですよね、今は。


「昔は確かに早くはずれる」というのは一般的だったかもしれませんがね。


「おしっこ~」と私が言うと、母は「庭でしておいで!」と言ったものです。


勝手に外で済ませちゃうから、いちいち子供の用足しに親がついていくことはない。

今のお母さんは本当に1日中子供の世話に追われているので、

大違いですね。


私も兄も手もかからずに早くオムツは外れたので

「見たことない」子だったのかもしれません。


タカコ姉さんが3歳位の時に私が生まれているので、

母は育児ノイローゼ気味だったのかもしれないですね。


「根なしくさ子はとっても手のかからない子だった」


と私の子供たちを可愛がりながら母はよく言います。


兄が小学校から帰ると、私の世話は兄がする。

日中は1人で遊んでくれる。

そりゃぁ手はかからんさ(-▽-);


母に家の中で遊んでもらった記憶はありませんし、

一緒に公園に連れて行ってもらった記憶もありません。

3歳位から、ある程度の範囲に限られますが

1人で庭や近所の公園に遊びに行ったものです。


同じような子は沢山いた時代の話です。


こう考えると、今のお母さん・・本当に育児漬けですねしょぼん