これが吹き出物というやつか

関取花の日記だ。


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昨日は宮城県はみちのくキャンプ場にてARABAKI ROCK FEST.に出演させていただいた。澄んだ空気と恵まれた天気、何より素敵な出演者の皆さまばかりの本当に最高のフェスだった。
私は今年からできたMOVE ROUNGEというステージで演奏したのだが、正直向こう側の大きいステージから聴こえるウルフルズさんの熱量に少しやられてしまって、というか、うわぁめっちゃ観に行きてぇ…ここで見たら最高だろうなぁという己の欲望に半分意識を乗っ取られてしまった。もっと集中して、良い演奏ができたはずなのに。ずっと出たかったフェスだからこそ、凄く悔しかった。終わったあとちょっと泣いた。もう誰にも会いたくない、穴があったら入りたいとさえ思ったが、スタッフさんにせっかくだからケータリングを食べて行こうと言われ、ならば、とありとあらゆる肉料理をビールで流し込んだ。ソーセージ、ケバブ、チキンサラダ、牛タン、豚肉のトマト煮…絶対にリベンジするぞという闘志をぶつけながら、無我夢中で食べて、飲んだ。するとみるみるうちに復活した。無論、現在絶賛胃もたれ中である。これだから単細胞は困る。

ところで、宮城県は私の母方の祖父の故郷であった。私が生まれた時には祖父母は山形に住んでいたので、祖父の実家に行ったことはないが、ライブで宮城県に来る機会があると、やはり必ず祖父のことを思い出す。

私は祖父のことをターちゃんと呼んでいた。祖父の名前は、「問」と書いて「ただす」と読む。だから、ターちゃん。ちなみに祖母の名前は「愛」だったのでアーちゃんと呼んでいた。私が物心ついた時には祖父は仕事を定年退職していて、趣味の園芸と畑に精を出していた。祖母は美容師で、自分の美容院を持っていたので、亡くなる前に入院するまで、ずっとはさみを握っていた。2人とも歳を取っても自分にとっての楽しみを忘れずに人生を謳歌している感じが、とても「おじいちゃん」「おばあちゃん」という感じがしなくて、なんだかそんな呼び方をしたくなくて、ターちゃん、アーちゃんと呼んだのだった。
私はターちゃんとアーちゃんが本当に大好きだった。自分の大切な祖父母であり、人生の先輩であり、友達のようでもあった。2人との思い出は語っても語り尽くせないが、今日はせっかくARABAKIに出演したことだし、宮城県を故郷に持つターちゃんの話を少ししようと思う。

ターちゃんはいつも、誰よりも朝早く起きて、庭から日が差す畳の部屋で、新聞を読んでいた。コーヒーとタバコをお共に、耳に赤鉛筆をさして、気になる記事に赤丸をつける。あとで読み返したい記事は丁寧にはさみで切って、スクラップした。兄が宇宙飛行士に憧れていた時期なんかは、宇宙の記事を見つけるとファックスで送ってくれた。そして夜には同じ体勢で、日記を書くのだった。
日中は先にも述べた通り、園芸と畑仕事に精を出した。母の実家の庭は植物だらけで、いたるところに鉢植えがあった。年々それは増えていって、ある頃には二階の一室まで鉢植えが侵食していた。それでも枯れているものはなかったように思う。畑は自家菜園の畑版とでも言おうか、決して大きいものではなく、家から歩いて10分ほどのところにある、趣味用の畑を借りたものだった。季節ごとに色んな野菜を育てていたが、中でも私が好きだったのはモロヘイヤだった。ターちゃんの畑でとれたモロヘイヤは、もちろん無農薬で、スーパーで見かけるものよりも青々としていた。私達はいつもそれを刻んでネバネバにして、醤油とあえてご飯にかけて食べた。ターちゃんはモロヘイヤや納豆など、ネバネバするものを好んで食べていた印象がある。ネバネバで言うと、それが原因で私はターちゃんをひどく傷つけたことがある。

ある日、ターちゃんとアーちゃんと回転寿司に行った時のことである。色んなお寿司が目の前を通り過ぎて行く中、その日もターちゃんは納豆巻きを好んで食べていた。たらふく食べて店を出て、車に乗る前にターちゃんがタバコを一服していた時のことである。くわえたタバコを口から離すときに、一本の透明な糸が伸びたのが見えた。納豆の糸である。ターちゃんはそれに気づかず、ニコニコしながら私に話しかけてきてくれた。しかし私は糸が気になって仕方がない。もともとタバコの臭いが苦手だったのもあり、イライラして、ひどいことを言ってしまった。当時私は小学校にあがるかあがらないかくらいの歳である。

「ターちゃん、たばこから納豆の糸が引いていて気持ち悪いよ」

ターちゃんは私をじっと見つめて、少し悲しそうに、困ったように笑って、そっとタバコの火を消した。あの時のターちゃんの顔を、今でも忘れられない。はじめて、「私は今、人を傷つけた」と気づいた。だけどどうしていいかわからなかった。今考えればすぐに謝ればよかったのだが、当時はそう思うほどにそれができなくて、もっとふてくされてしまった。そして、アーちゃんが小さく言った。

「そんなこと言うもんでねぇよ」

山形弁の温かいなまりが、その時はなぜか妙にピシャリと響いた。いつも笑ってニコニコして、暇さえあれば花ちゃんはめんこい(可愛い)ね、めんこいね、と言ってくれたアーちゃんの、はじめてみる真っ直ぐとした射るような眼差し。幼心に、「とんでもないことをした」と思った。そのあときちんと謝ったかどうかは、もう覚えていない。ただ、大好きな人を傷つけて、もしかしたら嫌われてしまったかもしれないというあの時の恐怖心は、忘れられない。

私が大学生の時、ターちゃんは亡くなった。冬の寒い夜だった。一度倒れて入院したが、無事に助かって退院し、やっと大好きな家に戻ったばかりの時だった。雪のかぶってしまった植物たちの様子を見に行ったのだろう、暖かい家から出て、キンと冷えた空気を急に浴びた反動で、倒れてしまった。そしてすぐに病院に運ばれたが、だめだった。
私はターちゃんが亡くなった知らせを聞いてすぐに、母の実家に向かった。棺桶に入る前のターちゃんは、いつもと同じ顔をしていた。優しくて、かっこいいターちゃんだった。綺麗に髪を整えて、最後に唇に、大好きだったコーヒーをポンポンと塗ってあげた。クリープ入りの、柔らかい色をしたコーヒーだ。棺桶にはターちゃんの大事にしていたものをたくさん入れてあげた。私は納豆巻きを入れてあげたかったが、コーヒーと納豆巻きは合わない気がして、やめた。何より、それであの時傷つけたことを精算した気になるのが嫌だった。

ターちゃんのことだから、気にしてないよと言うだろう。アーちゃんもきっと、覚えてもないよと笑うだろう。でも、あれからずっと、私は大好きな人に嫌われるのが、とっても怖い。

いつも、人に嫌われたくなくて、試行錯誤して生きている。当たり前のことだ。生憎私は嫌いな人には嫌われてもいいなんて言い切れるほど肝が据わった人間じゃない。知らないうちにわざとおどけて見せたり、明るく振舞って、家に帰ってからそんな自分が嫌で1人落ち込む、そんなことの繰り返しだ。

でも、私には今ありがたい事に歌がある。嫌われても、ハマらなくても、だったら次はその人にも刺さるような歌を作ろうという闘志に変えられるものがある。だからこそ、チャンスのところでガッツポーズを決められないと、凄く悔しいけれど、何度でも這い上がろうと思える。

私の歌を、ターちゃんは聴いたことがない。まさか歌を歌いに故郷に来ているなんて、思ってもいないだろう。そして、きっとまだまだ届いてもいないと思う。ターちゃんのいるところまで私の歌が届くようになるには、きっとまだまだ時間がかかる。もっと良い歌を歌って、有名にならねばならない。頑張ろう。納豆巻きのことは、いつか明るい曲にでもしようと思う。しっぽり謝られたって、またターちゃんはきっと困ったように笑うだけだろうから。

こういう少し真面目な話を書くと、なんだか照れくさい。またすぐにおどけて見せたくなる。今も必死で、何かオチがないか考えているのだが、どうにも見当たらない。どうしたものか。まぁ良いか、あれだし。よくわかんないけど、春だし。














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今朝の電車は駄目だった。

一人暮らしをはじめてから、もう二年が経つ。通勤ラッシュの満員電車にもだいぶ慣れてきた。どんな角度で人の中に身を埋めれば倒れないか、どれくらい背伸びをすればつり革まで手が届くか、なんとなく身体で覚えてきた。舌打ちをされたり思い切り身体で押し返されたり、そんなことは日常茶飯事なので、もう気にしていても仕方がない。そういう時は雨ざらしの岩のように、頑としてどっしりと構え、心も身体もグラつかないようにするのみである。うむ、我ながら強くなったもんだ、などと少し関心さえしていたこの頃であった

しかしだ。今朝の電車は駄目だった。自惚れていた。目に見えないものからも身を守れるほど、私は賢くも強くもなかったのである。

私は、いつも通り駅のホームで電車の到着を待っていた。昨日の夢(兄が松田翔太に憧れてウェッティな髪型になるだけの夢)を思い出しながらぼーっとしているうちに、電車のドアが開いた。プシューと音を立てて車両の中がお目見えしたその時、お、今日はなかなかラッキーだ、と思った。今日私が乗り込もうとしていた車両のドア付近には、たまたま綺麗な女性が多く、満員電車であろうとなんだか妙に清潔感溢れる雰囲気が漂っていたからである。たとえ誰かに押されてなだれかかったとしても、今日ばかりはシャンプーの香りに身を埋めて過ごせるわい…私は待ったなしでその車両に飛び込んだ。

私は、電車に乗る時には必ずマスクをしている。今日は飴を舐めながらマスクをしていたので、マスクの中はリンゴの香りでいっぱいだった。たしかにいっぱいだったのだ。しかし、そんなものはすぐに消え失せた。そう、隣に立っていた女性の香水の香りが、あまりにもキツかったのである。もともとアロマとか香水とか、そういった「人工的な良い香り」は好きではない。もちろん、上手に香りをまとっている人もたくさんいる。でも違ったのだ、残念ながら。私の隣に立っていた女性のあの香りは、もう蒸せ返るくらいキツかったのだ。結局、5分ほどは耐えてはみたものの、だんだん頭が痛くなってきて、気持ち悪くなってきたので、私は泣く泣く電車を降りた。香水にやられて途中下車をするなんて…なんて弱っちいのかしら。

幸い、今日はかなり早めの電車に乗れていたので、2本ほど見慣れない駅のホームで電車を見送った後、各駅停車に乗ってダラダラと目的地へ向かう余裕があった。ガンガンする頭でうなだれながら、香水かぁ、私も一度だけ買ったことがあったなぁと思い返していた。

あれは高校1年生の時だっただろうか。私も含め女子は皆、少し背伸びをしたお洒落をしたがる時期だった。とは言っても、学校は制服で通わなければならない。それならば、限られた範囲内でできる限りのお洒落をしよう、ということで、香水やボディミストをつけ始める子が出てきた。私も負けじと何か香りをまといたいと思い、思い切って香水を買うことにした。しかしそこは初心者、どんな物を選べば良いかわからないので、取り急ぎ雑誌を読んでみることにした。すると、こんなことが書いてあった。




「私は高校一年生からずっと同じ香水☆この前なんか、街中ですれ違った時に匂いだけで気づいてくれた友達がいたよ☆人とは少し違う香りをまとった方が、自分らしさが伝わるよ☆」



モデルが爽やかな笑顔でハート型のボトルを握ってこちらを見ている。



なるほど…人とは少し違う香りか…


ある日、私は1人香水探しの旅に出かけた。新学期がはじまってすぐで、まだアルバイトをはじめていなかったのでお金もなかった。予算は2000円以内にしよう。まずは、良い香りがする所へ行こう、ということでデパートに向かった。しかしどれもべらぼうに高かった。無理だ、買えない。次にドン・キホーテに向かった。たくさん香水が並んでいる。しかし、どれも雑誌で見たことのある甘い香りの香水ばかりである。違う、私は、私は…


 
人とは違う香りが欲しい…




プラザやロフト、様々な雑貨屋などを巡ったが、なかなかそそられるものが見つからない。どの香水の説明にも、ブランド名か、そうじゃなきゃ「甘い」だの「スパイシー」だの「ムスク」だのなんだのって同じような言葉がつらつら書いてあるだけである。もしくは、「妻夫木クン愛用」「あゆ推薦」「パリスヒルトンプロデュース」などと言った、嘘か本当かわからない手書きポップばかりである。嗚呼、運命の香りを2000円で手に入れようなんざハナから無理な話か…などと諦めかけたその時である。他のボトルに比べ、異常にシンプルなボトルが目に入った。透明な四角い瓶に、よくわからないポケモンのマルマインみたいなマークが一つ、そしてその下にたった一言…







「adult」







そして説明書きの手書きポップにも一言…






「レニークラヴィッツ愛用」




そして値段は…







「1800円」




これは…




買うしかない…



というわけで、わたしはあろうことか匂いを嗅ぎもせず、そのレニクラ愛用の「adult」を購入した。肝心の匂いはと言うと、あまり覚えていない。何せこの「adult」、どんなにつけても、風に吹かれりゃすぐに消えてしまうのだった。


それでもしばらくは、半ば意固地になって毎朝律儀に「adult」の匂いをまとって出かけていたわけだが、誰にも何も言われず、ただ肌が少しかぶれただけであった。なので、やめた。


しばらくしてから、よく考えたらレニークラヴィッツほどのセレブが1800円の香水をつけているわけないことに気づいた。よく考えなくてもわかるし、多分ウケ狙いで店員が書いたんだろう。それにしてもなぜレニクラだったのか。気になったので、ある日その香水を購入した店にもう一度出向いてみたが、その店はもう潰れていた。跡形もなくなって、エスニック雑貨屋に変わっていた。匂いが強い店が伝統的に陣取る場所だったのだろうか、真相は闇の中である。


そうこうしているうちに、電車は目的の駅に到着した。スーツをビシッと決めたサラリーマンや、朝からお化粧をバチッと決めたOLさんが颯爽と歩いて行く。私はといえばボサボサの髪にボロボロのダッフルコートにリュックサックにスニーカーだ。なんだか、よっぽど高校生の頃の方がきちんと背伸びしようとしていたな、と思った。最近、等身大という言葉にめっきり甘えてしまっていた自分がいた。いかんいかん。


いやはや、どうやら「adult」はあとから効いてくるタイプのやつらしい。


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寒い日が続くと、どうも家に引きこもりがちである。最近では布団から出るのさえ億劫で、カーテンを開ける前に、窓の外から聞こえる、道路を走る車の音で外の天気を確認している始末である。ザババババ…とタイヤが水を撒き散らしている音がすれば、大体雨である。特に何の予定もない日、この音を聞いただけで、私のテンションはだだ下がりする。すべてのやる気がなくなり、ベッドから出る前に、もう今日はとことん1日を棒に振ってやろうと決意してしまうのである。そう、今日は「本休日」にするぞ、と。

よく、「花さんは、予定がない日は、本を読んだり映画を見たり、レコードを聴いたりして過ごしているイメージです」と言われるのだが、とんでもない。勿論、そういうことをする日だってある。本や音楽や映画は大好きである。しかし、そういったものに触れて刺激や影響を受けると、すぐに頭が「この世界観からはどんな曲ができるだろうか」「このセリフはあそこの歌詞に活かせそうだ」といった発想になってしまって、全然心が休まらないのである。なので、一口に特に予定がない日と言っても、私の中では、


「曲作りに活かせそうなものにきちんと触れる日」=「準休日」

「考えることを一切放棄して、己の欲求のままに過ごす日」=「本休日」


の二種類をわけて考えている。
そして冒頭に述べた通り、冬になると、この「本休日」の勢力は異常拡大される。そして、その日の私のクズっぷりと言ったら、それはもう清々しいほどにクズなのである。

まず、基本的にはベッドとトイレと冷蔵庫、この三点間しか移動しない。昼過ぎまで寝て、トイレに行きたくなったら起きて、お腹が減ったら作り置きしておいたおかずを食べ、お腹がいっぱいになったら横になる。もうやっていることは牛とか豚とかその類と同じである。皆まで言うな、自覚はある、多少の反省もしている。なので、たまに外に出ることもある。といっても、本屋に行って週刊誌の立ち読みをするか、レンタル屋に行ってお笑いのDVDを借りて来るか、コンビニに行ってブラックサンダー買うか、そんなもんである。

今日は「本休日」だったので、私はいつものようにレンタル屋でDVDを借りた。千原ジュニアさんとケンドーコバヤシさんのお二人のフリートーク番組、「にけつッ!!」のDVDである。そしてレンタル屋からの帰り道、自転車に乗りながらふと思い出した。昔、自転車に2ケツ(ニケツ)することを自分だけ読み間違えていて、友達にめっちゃ笑われた時のことを。

そう、なぜか私は謎のルー大柴さん的発想で、ニケツのことをツーケツと読んでいたのである。

家族や友達にもツーケツ読みをする人はいなかったので、本当にどこかで一人勘違いしたのだと思う。「え、いまツーケツって言ったの?ツーって、ワン・ツー・スリーのツーだよね??え、めっちゃダサいね??」と友達に言われた時、はじめて2ケツはツーケツとは読まないことを知り、結構なショックを受けた。

読み間違いの話で言うと、他にもある。

今でこそiphoneが普及し、当たり前のように皆itunesを使っているが、私が中学一年生の頃なんかは、ipodさえろくに浸透していなかった。その当時、テレビではipodのスタイリッシュなCMが流れ始めていて、MDプレイヤーを使っていた私は、ダウンロードして音楽を入れるという仕組みに、なんだか無性に憧れたものである。そしてそのCMをちょうど家族と一緒に見ていた時、私はこう言った。



「イトゥネスってのでダウンロードするらしいね」




…。


しばらくして、兄が言った。

 

「iTunes(アイチューンズ)だろ」



…。




他にもある。

ある日、父親におつかいを頼まれた。メモ用紙に、整髪料と制汗剤の名前が書かれている。男性用のそういった商品の場所がわからなかったので、私はドラッグストアの店員さんに聞いてみることにした。



「すみません、ガッツバイの商品はどこですか?」


…。


しばらくして、店員さんが言った。




「GATSBY(ギャッツビー)ですね」



…。



これが赤っ恥か、と思った。顔から火が出るほど恥ずかしかった。今でも思い出すだけで恥ずかしい。


しかし、いつもの事ながら、私のこんな失敗も容易に超えてくる人が、わたしの身近なところにいる。そう、母である。

あれは高校生の時、ちょうど「ミネトンカ」のブーツが大流行していた時のことである。

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私はこの茶色いブーツをアルバイトしたお金で買って、気に入ってよく履いていた。学校が休みの日、母と買い物に行った時のことである。




「お母さんね、そのブーツの黒いやつが欲しいの。どこで買ったの?」

「これ?色んなところで売ってるけど、私はユナイテッドアローズで買ったよ」
  

そんな話になり、私と母はユナイテッドアローズに向かった。そして、店員さんを見つけるなり、母はこう言ったのだ。



「すみません、黒いミノモンタが欲しいんですけど」





さすがにこの時は店員さんも私も訂正する余裕もなく、爆笑してしまった。恐るべし、母。






さてさて、話の点と点を結んでいくうちに、最終的に黒いミノモンタの話になってしまった。何も考えないでブログを書くとすぐこれである。他愛もない話から、きちんと毎回最高のオチに持って行く、「にけつッ!!」のお二人とは大違いである。正直、こうしている今もベッドに潜りながらブログを書いているので、眠いやらスマホを持つ手が疲れてきたやらで、もうやめたい。だから、やめる。

本休日、ここに極まれり。






 




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はて、私がジョンジョロリンに会えなくなってしまったのはいつからだろうか。

私は2歳から8歳になる年までの約6年間、幼少期をドイツで過ごした。今思い返しても本当に楽しい、美しい思い出ばかりである。通学路には野ウサギが普通にぴょんぴょんしていたし、盲導犬を連れたおじいさんとその犬には毎朝決まって「グーテンモルゲン!」と挨拶をした。目は見えないようだったけれど、声や音で私と兄とすれ違うのがわかるようだった。春になればイースターで卵にペイントをして飾り、夏はライン川で水遊びをした。秋になれば学校祭でフォークダンスを踊り、冬になればグラウンドに張った氷の上をスニーカーで滑った。クリスマスには大家さんのポールおじいちゃんとその奥さんとクリスマスパーティをした。
その他にも、年に数回やってくる移動式遊園地のキルメス、ランタンを持って夜の街を歩くラッターネ(ラテルネ)、街中の人が仮装をして闊歩するカーニバル…日本のように桜や紅葉はなかったかもしれないが、毎年やってくる恒例行事で季節を覚えた。当たり前のように過ごしていたけれど、思い返すと本当に貴重な経験をたくさんして来た。今ではとんだひねくれ野郎になってしまった私だが、あらゆることを斜めに見てしまいそうな時でも、あの頃のことを思い出せば、なんだか優しく純粋な気持ちになることができるのである。

ドイツでの日々を思い返すと、必ずそばに家族がいる。週末や休みの時期になると父は私たち家族を車でどこにでも連れて行ってくれた。宿がとれず、民家に突撃して泊まったこともあった。はじめてのエスカルゴも何の躊躇もなく食べた。「騙されたと思って食べてみろ」これが父の口癖だった。偉そうな事は一切言わない父だが、家族の絶対的リーダーだった。「何かあればお父さんについて行けばなんとかなる」、異国の地にも関わらず何の不安もなく過ごせたのは、間違いなく父のおかげだったと思う。
スポーツも万能で読書家、そんな父にも苦手な事があった。歌と絵である。この男、てんでそこらへんがダメなのである。母は地元のNHK少年合唱団に入っていたこともあるらしいのだが、父はカエルの歌さえまともに歌えないオンチなのである。家族でドライブをしている時に父が歌い始めると、私と兄は決まって、「アーーーーー!!」と叫びながら耳をふさぐふりをした。ドイツのアウトバーン(高速道路)は長く、暇な時間が多かったため、よくこの遊びをして遊んだものである。

そしてもう一つ、トンネルに入ると現れる「ジョンジョロリン」というのがあった。ドイツのトンネルは長く、暗い。車も割とすごいスピードで走っているので、なんだかとんでもないところに閉じ込められた気がして、はじめのうちはとても怖かった。そんな私たち兄弟を見かねたのか、父はある日から、トンネルに入ると「ジョンジョロリンが出るぞ!ここはジョンジョロリンの住処だから暗いだけだ!」と言い始めた。それから私たち兄弟はトンネルが大好きになった。ドライブの一番の楽しみはもはやジョンジョロリンだった。トンネルが見えると、「ジョンジョロリンが来るぞーーー!!」と叫んだ。
ある日私は父に、「ジョンジョロリンてどんな見た目をしているの?」と、絵を描いてくれとせがんだ。すると父は迷いのないペンさばきでジョンジョロリンを描いてくれた。


 
完全にただのカビルンルンだった。




それでもあの頃はえらく感動したもので、私の中のジョンジョロリン像は確固たるものとなった。トンネルに入ればいつだってその絵を想像した。カビルンルン、いやジョンジョロリンは、確かにそこにいたのである。

そうこうしているうちに父の転勤が決まり、私たち家族は中国へ引っ越すことになった。正直、ドイツとの文化の違いは衝撃的だった。ほこりっぽい道路には運転の荒すぎるタクシー、すさまじい数の自転車が走っていた。結局中国に住んだのは二ヶ月ほどだったが、こちらでも違うベクトルで、かなり濃い出来事に色々と恵まれた。話すと長くなりそうなので、この話はまた今度にしようと思う。

そして日本へ帰国したある日、家族四人でドライブに出かけた。久々に綺麗な高速道路を走った。やがてトンネルに差し掛かった。そして誰からともなく、「そういえば、ジョンジョロリンていたよね」と言い出した。「あー、いたね、そんなの」「なんだったんだろうね、あれ」そんなことを言いながら、車はやがてトンネルを抜けた。


一昨日、東京にも雪が降った。朝目が覚めてカーテンを開けたら、あたり一面真っ白だった。昔のような胸の高鳴りはこれっぽっちもなく、電車が止まるだろうなとか、すぐに雨が降ったから次の日は地面ツルツルで危ないだろうなとか、そんなことがすぐに頭に浮かんだ。寒かったから窓も開けずに再び布団に潜って、週刊誌の芸能ゴシップを読んで、寝た。

夢を見た。家族四人でドライブをする夢だ。トンネルの中を走っている。ジョンジョロリンは、もう出てきてくれなかった。



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先日、某激安の殿堂に行った時のことである。

正月太りを解消できぬまま1月も中旬にさしかかり、確かな身体の重みと焦りを感じながら、私は手軽なダイエット器具を探していた。さすがボリューム満点激安ジャングル、かなりの種類を取り扱っている。最近は家の中でもフィットネスが行える器具もかなり出ているようで、陳列棚に高く積み上げられたそれらを見ているだけで胸が躍った。

しかし、私の今住んでいる部屋は6畳しかない。そしてその部屋には既に、ベッド、作業机、テーブル、ギター5本、キーボード、アンプ、レコードプレーヤー、本棚、コート掛け、空気清浄機などが、テトリスをするようにひしめき合っている。正直、これ以上物は増やしたくない。本当はバランスボールがちょっと欲しかったが、それは泣く泣く諦めた。すると、ある商品が目に入った。小顔ローラーである。
効果があるのかないのかよくわからないながらも、この10年くらいは常に見かけるこちらの商品、高いものだと15000円、安いものだと1000円弱からあるようである。これなら場所もとらないし、お手頃価格のものを一度買ってみるのはありかもしれない。何より、ズボラな私でもこれなら「ながら」で続けられそうである。大好きな「ごっつええ感じ」のDVDを見ながら、コロコロしてりゃいいなんて、最高じゃないか。ていうかあれ、正直楽に痩せたい。面倒なことはしたくない。顔が一番手っ取り早いだろ。痩せた感じ出るだろ。

ということで、小顔ローラーをいざ手に取ってみようとしたその瞬間である。真横から香辛料の香りがフワッと立ち上がるのを感じた。

右を見ると、かの有名なプロレスラー、タイガー・ジェット・シン似(知らない方は是非調べてみて欲しい)のインド系と思しき男性が、こちらを見て微笑んでいる。目が合ったのでとりあえず微笑み返しはしたものの、私は内心かなりビビっていた。激安の殿堂特有の狭い通路は、どこをとっても死角と言えば死角、何をされても誰も見つけてくれないかもしれない。何しろ相手はタイガー・ジェット・シンである。新宿伊勢丹でプライベートで買い物をしていたアントニオ猪木を白昼堂々襲撃したあの男である。早く小顔ローラーを手に入れてこの場から立ち去りたい。しかし、小顔ローラーは右斜め上のフックにかかっている。そう、まさにタイガー・ジェット・シンの目の前である。はてどうしたものか、実際の時間はものの十数秒だったとは思うが、体感的には10分を超えていた。

すると、その沈黙を割くかのように、タイガー・ジェット・シンが何やら話しかけてきた。



「…シテマスカ?」



よく聞こえなかったので、思わず聞き返した。



「…へ?」





「…パズドラシテマスカ?」






あまりに突然の質問に、私は思わず声を失った。
一瞬で頭の中に色んなハテナが駆け巡った。しかし私にできることは、とりあえずその質問に答えることだけである。とにかく嘘をつかずに正直に言おう。



「スミマセンシテマセン…。」


なぜか私までカタコトで答えてしまった。すると彼は、とても悲しい顔をして、


「ソウデスカ…。」



と言った。白昼堂々激安の殿堂に現れたその男は、私を襲撃することもなく、その場から静かに立ち去った。一体あれはなんだったのだろうか。


そういえば、私はインドとかちょっとお顔が濃いめの国の方々に声をかけられることがなぜか多い。少し前も、ファミリーマートで深夜バイトをしているタイ人の店員さんになぜか連絡先を聞かれた。スタジオでの深夜練習の帰りに立ち寄るといつも笑顔でレジを打ってくれたその店員さんは、28歳の留学生だと言う。



「イツモ、チェロ、モッテイテ、タイヘンデスネ」


素敵な笑顔で話しかけてくれたその人に、これは私の身体が小さいだけで、実はギターなんだよ、とは言えなかった。連絡先はまた今度ね、と言ってなんとなく濁しているうちに、その人はいつの間にかお店からいなくなっていた。でも大体見当はついている。なぜなら彼はお店の電話でいつも家族に電話していた。言葉はわからなくても、電話口の向こう側が姪っ子に変わった瞬間などが、なんとなくわかった。毎日のように国際電話をしていたら、相当の電話料金である。おそらくそれが店長にバレてクビになったのではないかな、と私は踏んでいる。


幼少期、トルコかどこかに行った時もこんなことがあった。白人の方が多いヨーロッパでは、色白で一重の、私よりももっといわゆる日本人顔の兄の方が可愛がられることが多かったが、そこでは違った。現地でついたガイドさんは、私をとても可愛がってくれた。そして言われたこの一言を、今でも私はしっかりと覚えている。




「コノコカワイイデス、フトッテテ」


当時小学生にあがるかあがらないかくらいの歳ではあったが、なんとなく胸にガツンときたのは間違いなかった。



でも、どんな形であれ好かれたり声をかけられたりするのはとても嬉しい話である。しかしなぜ濃い顔の方々ばかりなのか。なぜ日本人からはモテないのか。


そんな私も、たった一度だけ日本人の方から連絡先を渡されたことがある。


それはワンマンライブに向かう途中の電車の中で起きた。私は、着替えなどを入れた大きなエコバッグを膝に乗せて座っていた。ウトウトしていたら、サッと横から一枚のレシートをエコバッグの中に入れられた。よくわからないままレシートを入れてきた人の方を見ると、「読んでください」とだけ告げて、彼は下車し、ホームの人混みの中に消えていった。

なんだろうと思いながら恐る恐る開けてみると、ラブレター的なものだった。自分で書くのはなんだか小っ恥ずかしいが、横顔がとても素敵で、タイプだと書いてあった。そして、連絡先が書いてあった。



ocean0720@○○○.co.jp


 
ocean=海

0720=7月20日=海の日




たぶんこの人海めっちゃ好きだわ…。



そんなことを思いながら手紙を読み進めてみると、こんなことが書いてあった。



「僕は沖縄出身で、最近東京に来たばかりの者です。良かったら連絡ください。」



やはり…



海人(ウミンチュ)…




やっぱり日本の方でも顔が濃い方に好かれるのだろうか。謎は深まるばかりである。







===近況===
勝手にラジオはじめました。




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