これが吹き出物というやつか

関取花の日記だ。


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先日、電車に乗っていた時のことである。
隣に座っていたOLらしき女性二人が、たまごっちの話をしていた。25歳前後、おそらく私と同い年くらいのようだった。なにっちが好きだったとか、何色のたまごっちが欲しかったとか、聞いているだけで懐かしくなるようなワードが飛び交っていて、私も思わず、ふと小学生の頃を思い出した。

たまごっちが流行っている頃、わたしはドイツに住んでいた。とは言っても日本人小学校に通っていたので、流行り物なんかは日本のそれと基本的には変わりなかった。皆日本に住むおじいちゃんやおばあちゃんに送ってもらったり、お父さんに出張ついでに買ってきてもらったり、一時帰国の時に買って帰ってきたりと、なんらかの方法で日本で流行っているおもちゃやゲームを手に入れていた。

その中でも皆が我先にと手に入れたがったのがたまごっちだった。全盛期の頃なんかはクラスのほぼ全員が持っていたのではないだろうか。白いたまごっちはレアだとか、珍しいキャラを出すための裏技だとか、毎日たまごっちの話で持ちきりだった。

はじめのうちはそんなに興味がなかったものの、あまりにも皆が楽しそうに話をしているので、次第に私もたまごっちが欲しくてたまらなくなった。そしてすぐに、両親にねだった。

私の両親は、普段、誕生日やクリスマスのイベントごと以外にはプレゼントを与えない人たちだった。私もそれが当然だと思っていたし、なんでもない日に何か貰えるほどいい子ではない自覚はあったので、特にねだることもなかった。そんな私がその時ばかりはあまりにもしつこかったので、両親が困惑していたことを今でもよく覚えている。

それでも私の両親は、なかなかたまごっちを買い与えてはくれなかった。しかし、それでもしつこくねだり続けた私を見て、クラスの皆が持っている中一人だけ持っていないのは可哀想だと思ってくれたのか、ある日父親がついに買ってきてくれたのだった。

私は涙が出るほど嬉しかった。あの小さな画面、三つのボタン、ボールチェーン。皆が持っているたまごっちが、やっと私の元にやってきたのだ。ありがとう、ありがとうお父さん。本当にありがとう。

私はすぐに電源を入れた。画面には小さなたまごが一つ。そうか、はじめは皆たまごなんだよな、どれくらいしたら生まれるかな、早く私もベビっちが見たいな。そんなことを思いながら、私はたまごが割れるのを待った。

しばらくすると、たまごにヒビが入り、少しゆれはじめた。来る、来るぞ。私の胸の鼓動はどんどん早くなっていった。

ヒビがどんどん大きくなり、たまごが大きくゆれはじめた。生まれる、生まれるぞ。私は画面を食い入るように見つめた。そしてその時がきた。


ピーーーという大きな音と共に、ついにたまごが割れた。そしてたまごの中から、念願のベビっちが現れた




     





かと思った。










しかし、そこから生まれてきたのは













もう一度言おう。






ただの亀



私は何が起きたかわからなかった。これはたまごっちじゃないのか。小さくて丸いおまんじゅうみたいなべびっちが生まれてくるんじゃないのか。なぜ亀なのか。なぜ割とでかめな亀なのか。


いや待て。もしかして、めちゃくちゃレアなキャラが出たのかもしれない。私は小学生用の雑誌についていたたまごっち図鑑を広げて、ただの亀を探した。いない。どこにもいない。そして、幼心に私は気づき始めた。


これ



パチモンだろ…


そもそも、絵のテイストが全然違う。完全にアメコミ風だし、めっちゃ笑ってるし、すごいこっちを見てくるし。しかし、まさか言えるはずがない。お父さん、これパチモンだよねなんて。

そして私は泣く泣く、そのかめっちで遊んでみることにした。とにかく、三つのボタンがあることはたまごっちと変わりない。たまごっちは確か、この三つのボタンで食事を与えたり、ゲームをしたり、電気を消したり、そういったお世話ができたはずだ。かめっちはどうだろうか。まず一番左側のボタンを押してみた。




「food」




おぉ。どうやら食事は与えられるらしい。早速食事を与えることにした。美味しそうに食べている。しかし可愛くねぇ。まぁ良い。




次に真ん中のボタンを押してみた。



「clean up」




おぉ。なるほど、食事を与えたあとにはかめっちも用をたすらしい。その際はこちらで掃除をしてあげれば良いのだな。良かった、このボタンがあって。




そしてラスト、一番右のボタンを押してみた。きっとゲームか何かができるはずだ。あっち向いてホイとか、そういうやつ。私は期待を込めてボタンを押した。






「PM14:00」



時間



まさかのただの時間





ゲーム機能がついてるだなんて、少しでも期待した私が馬鹿だった。かめっちは思っているよりもひたすら現実的なゲームだったのだ。生まれて、飯を食って、用を足して、時を重ねる。生きていく上で必要最低限の行動だけで、彼は生きていくのだ。そして私は、それを見守ることしかできないのだ。すごい、深い、深いよかめっち。


そんなわけで、わたしとかめっちの奇妙な日々が始まった。きっと徐々に愛着が湧いてくるはずだ。何しろ亀だ、これから長い付き合いになるはずだ。思い切り可愛がってあげよう。そう心に決めてから三日後のことだった。いつものように画面を覗き込むと、そこに表示されていたのは

 







「†」



まさかの十字架


亀は万年生きるんじゃなかったのか


あまりにも急な出来事に、私は驚いた。嘘だろ。まだ名前だってつけちゃいなかったんだぜ。

でもここはまだ小学生、また新しく育て始めれば良い。そう思い、一度電源を落とし、再起動してみた。





「†」






そう。かめっちはやり直しのきかないゲームなのだ。一つのかめっちからは一つの命しか生まれないのだ。生まれて、飯を食って、用をたして、時を重ねる。そしてやがて、死ぬ。そして二度ととやり直すことはできないのだ。やはりかめっちはどこまでも現実的なゲームだった。さようならかめっち。ありがとうかめっち。もう私、たまごっちなんていらないよ。

そして、そうこうしているうちにたまごっちブームも落ち着き、わたしは結局本物のたまごっちを手にする事はなかった。


そんなことを思い出しながら、隣に座っている女性たちの話に耳を傾けていると、聞き慣れた言葉が飛び込んできた。





「そういえばせきとりっちっていたよね」







「いたっけ?せきとりっちとかウケる」


 





いや、かめっちの方がウケるから。










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そいつが突如として私の眼前に現れたのは、6月の終わり頃のことだった。

その日は梅雨真っ只中で、私は夕方から急に降り出した雨から逃げるようにして家路を急いでいた。最寄駅から私の家までは徒歩10分ほどの道のりだが、ゲリラ豪雨のような雨の中、傘もささずにいたせいか、いつもより異常に長く感じられた。日焼け止めを塗った肌が勢いよく雨を弾く感じが、なんだか妙に気持ち悪く、とにかく早く風呂に入って、この憂鬱な感じを洗い流したい、そう思いながらなんとかアパートまでたどり着き、駆け足で階段をのぼった。

私の住んでいるアパートは内廊下になっていて、ホテルのように各部屋の玄関が向かい合っている。部屋に入る前にその内廊下で雨を一払いしている時に、私はそいつに出会った。

そいつは、ちょうど廊下の真ん中あたりで、所在なさげに小さく縮こまっていた。ボロボロの姿で、何も言わず、動きもせず、ただそこにいた。その光景はあまりにも異様だった。でも、部屋に入るためにはそいつの横をどうしても通り過ぎなければならない。私は恐る恐る近づいた。一歩、二歩、私が近づいて行ってもそいつは微動だにせず、ただ黙って、内廊下の天井を眺めていた。どうして一人ぼっちなのだろう、どうやってここにたどり着いたのだろう。そんなことを考えながら、私はそいつを横目に、なるべく風ひとつ立てないように、部屋のドアを閉めた。


翌朝、ゴミ出しに行くために私は再びドアを開けた。燃えるゴミの日は収集車が早く回ってくることが多く、その日も窓の外から聞こえる収集車の音で目が覚めた。私は寝ぼけ眼でゴミ袋を持ち、バタバタと階段を駆け下りた。そして、なんとかゴミの回収に間に合い、ホッとしながら部屋に戻ろうとしたその時である。

そいつは昨日よりもやや私の部屋に近づいたところで、昨日とまるで同じように天井を見上げていた。急いでいたため部屋を出る時は気がつかなかったが、そいつは昨日からずっとそこにいたらしい。

気味の悪いような気もしたが、朝の光を浴びたそいつは、昨日よりも少し人間味があるように見えて、哀愁漂うその小さな姿と相まって、なんだか可愛く思えた。しかし、それは同情だとか愛情だとかそんな類のものではなく、ある種怖いもの見たさのような興味というだけであった。

それからそいつは変わらず私の部屋のドアの前にいた。来る日も来る日も、誰かの帰りを待つかのように、ただそこにじっとしているのだった。

ある日の夜、寝苦しくて寝付けずにいた私は、自分の部屋の天井を眺めながら、そいつのことを思っていた。毎日毎日、内廊下の天井を見上げて、一体何を思うのだろう。そもそも、この内廊下を共有しているのは六部屋であり、どの部屋もかなり狭いワンルームのため、必然的に一人暮らし、六人がこの階に住んでいることになる。つまりそいつは毎日毎日六人の人に横目で見られながら、誰にも手を差し伸べられず、しかしどこかに葬られるわけでもなく、ただ放って置かれているというわけである。もし自分がそんなことをされたら、いてもたってもいられなくなって、発狂でもしてしまうだろうな、と思った。

そいつのことは何も知らないけれど、おそらくそいつにも良い時代はあって、自分をその胸に抱いてくれた人もいて、それが今やボロボロの姿で見過ごされる毎日かと思うと、来世でこそは幸せになってほしいとさえ思った。まったく馬鹿げているが、本気でそいつの幸せを願ったのだった。そして私はいつの間にか眠りについていた。

翌朝ドアを開けると、そいつはいなかった。まるでずっと何もなかったかのように、そいつが現れる前の内廊下に戻っていた。私はなぜか妙にホッとした。そこが土であれ、愛する誰かの胸であれ、然るべき場所にそいつがきちんと帰ったのだと思うと、なぜか妙に安心したのだった。

そして私はそのあと洗濯機を回しながら、あらためて思ったのだった。


  




ユニクロのブラトップ、最高。 




ブラトップはそんな心配ないもんね、考えた人すごいよね。







要するにアパートの内廊下に誰のか知らないボロボロのブラジャーのパットが落ちてたってだけの話です。暇かよ。
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東京は新宿、雨上がりの曇天、華の金曜日。

今日は朝からバイトだった。パソコンに半日向かっていたので、身体がどうしようもなく重い。それでもこの石のようになった肩に、私はユニクロで買ったセール品をぶら下げてとぼとぼと大都会・新宿を歩いていた。(パンツ2本とTシャツ3枚で5000円くらい。激安。)

スーツを着た社会人の人々とすれ違う度に、色んなことを思う。私はどんな仕事をしている人に見えるのだろうか。プー太郎に見えるのだろうか。それとも、社会人らしく見えているのだろうか。楽器を持っていないと、いまいち自分がわからなくて、思わずうつむいてしまう。

街の端々では、これから飲みに行くのであろう新卒1年目と思しき集団が、居酒屋のキャッチにつかまっている。きっとどこに行っても楽しいよ、と思いながら、眩しすぎる彼らに目が眩みそうになり、私は逃げ込むように紀伊国屋書店に入った。

店の前に置かれたワゴンには、又吉先生の新作がズラリと並んでいた。可愛らしいお洒落な女性が、パネルの写真をスマホで撮っていた。ファンなのだろう。その横では、待ち合わせをしているのであろう、高級そうな着物にルイヴィトンのバッグを持ったホステスらしき女性が2人、何やら談笑をしていた。すれ違うと、良い香りがした。女の香りだった。

店内に入ると、一人の小綺麗なお爺さんが立ち読みをしていた。新宿飲み歩き散歩、みたいな本を、食い入るように見つめていた。妙にホッとして、私もその本を手に取ろうと、お爺さんの斜め後ろに立ったその時である。









「ブッ」







…屁であった。



それは、清々しいほどに美しい、なんの濁りもない、絵に描いたような屁の音であった。

私は感動した。こんなにも美しい屁の音があるのかと。何しろ清潔感があった。健康的なスタッカートだった。匂いもなかった。何よりお爺さんの動じなさが凄かった。確実に、誰に聞いてもそのお爺さんがこいたのに、全く動じないのである。よく見ると、若干尻が後ろに突き出ていたような気もするが、もともとややや腰が曲がっていたことあり、そんなこと今更どうでもよかった。

そして何より、私はなぜか妙に安心した。名前も知らなければ、話したこともない。何にも彼のことは知らないけれど、あぁ、きっとあのお爺さんは長生きするなぁ、と思ったのだ。本当は何かの大病を抱えているかもしれない。奥さんが亡くなっているかもしれない。それでも、私が見たお爺さんは紛れもなく人として健康だった。周りのことを気にせず、好きなことをするその姿勢は、今日の私には、どうしようもなく輝いて見えた。カッコイイと思った。


よく、友人達と飲んでいると、好きなタイプはどんな人か、という話になる。私はいつも、「心身ともに健康で、サバイバル能力のありそうな人」と答えている。しかし、「例えば?具体的にどんな人?今まで出逢ったことはあるの?」と聞かれると、うーん、となってしまっていた。しかし、今なら言える。あのお爺さんがタイプだと。というか、ああいうお爺さんになれる人がタイプだと。


華金の新宿に怖気付きそうになっていた私に、お爺さんの屁が勇気を与えてくれた。まるで音楽のようだ。思わぬところで耳にした誰かが、勝手に元気になったのだ。最高にPOPだ。これこそJ-POPだ。いや、J-PUPか。









J(爺さんの)-PUP(プップ)








うわー、全然うまくないわー、面白くないわー。でも許して、華金だし。





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今週も皆様お疲れ様でした。




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電車内で本を読むのが好きである。
自宅よりも、カフェよりも、なぜか集中して読むことができる。
時間が永遠にあるわけじゃないのが良い。周りがちょっとうるさいところが良い。ここを心地良いものにしようだとか、ゆっくりくつろぐ場所にしようというおしつけがましい気概が無いのが良い。あくまでも乗客を目的地まで運ぶための空間であり、だからここで何をするかは適度なモラルを持ってあとはお好きにどうぞ、というあの無関心さが良い。家だと色んなものが目についてあれこれやりたくなってしまうし、カフェだと滞在時間と飲み物の残量とのバランスをとるのが難しい。とにかく私にとって、本を読む空間として電車内は何かと「ちょうどいい」のである。

とは言っても、「ちょうどいい」という感覚は主観によるところが多いので、必ずしも共感していただけるとは限らない。しかし、「ちょうどよくない」という感覚、つまり「間違ってはいないけれどなんか違う」という感覚は、共感していただけることもあるのではないだろうか。


少し前、都内の某お洒落タウンの服屋に入った時のことである。
ビンテージ風の重い扉を開けると、アロマオイルだろうか、今まで嗅いだことのないような香りに包まれた。上手く言えないが、なんというか強烈にお洒落な香りである。

そして、私を出迎えてくれるのは勿論香りだけではない。にこやかな店員と目が合った。



「ようこそ」



…強烈なディズニーランド感である。


無意識にいらっしゃいませを期待していた私が悪かったのかもしれない。常識にとらわれすぎていたのかもしれない。客を出迎える時はいらっしゃいませと言わなければならないなどと法律で決められているわけではないのだ。そもそも、この店員だけかもしれない。いかんいかん。

数歩進むと、他の店員と目が合った。



「ようこそ」


…ほう。お前もか。どうやらここでの挨拶はこれで決まっているらしい。「いらっしゃいませようこそ~」の略だろうか。半端ない違和感ではあるが、出迎えていただいていることだし、まぁ良い。


しばらく店内をプラプラと歩いていると、気になるシャツがあった。とは言っても広げるところまではいかず、さっと手を触れたか触れないかくらいの感じである。するとわざわざ遠くから店員がこちらへやってきて横に立ち、話しかけてきた。



「どうぞ」




…何をだろう。


わざわざ遠くから歩いてきて、にこやかに一言だけつぶやいてくれたその言葉。伝えたいことの大体の予測はつく。「どうぞ広げて見てみてください。」「どうぞ気になったらご試着もできますので。 」「どうぞゆっくりご覧になってください。」

わかる。わかるのである。めちゃめちゃ感じもいい。でも、「どうぞ」とだけ言われると、もう何が何だかよくわからないのである。とにかく半端ないムズムズ感。この妙な空間から一刻も早く抜け出したい、さもなければ発狂しそうである。こいつはひょっとしてヤバいところに来ちまったかもしれない、そう思った私は、足早に出口へ向かった。そしてあのビンテージ風の重い扉に手をかけた時である。





「お願いします」




…何をだろう。



恐らく、「またお願いします」の略だと思う。わかる。わかるのである。間違ってはいないのかもしれない、でも、でも。ちょうどよくない。そんなわけで、ろくに店内を見ることもなく、私は逃げるように店を出た。



群雄割拠のお洒落タウン、ここTOKYOで生き残るには、こうした行き過ぎた個性が必要なのかもしれない。確かに、マニュアル通りの接客が嫌になることもある。しかし、それを避けるために工夫をこらし過ぎた結果、空回りしてしまうこともあるのだと知った。何が皆にとってちょうど良いかはわからないが、あれはやっぱりどう考えても、誰にとってもちょうどよくなかったのではないかと思うのである。


先日、ふと思い立ってこのちょうどよくない店に寄ってみることにした。内心かなりドキドキであった。あのままでも嫌だし、普通過ぎる接客になっていたらそれもそれで寂しい。私は戦いを挑む気持ちで、扉に手をかけた。あの日と同じ店員がいる。私の心はもう、完全にようこそ待ちである。来い、ようこそ。ようこそめっちゃ聞きたい。アイワナようこそ。

すると彼女はにこやかに微笑み、こう言った。







「お待ちしてました」






…こわいよ。




本当、どこまでいってもちょうどよくない店なのであった。



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一年の中で一番嫌いな時期が来た。そう、梅雨である。何しろ気を抜けば降る。晴れたと思えば降る。傘を忘れた時に限って降る。しかも、晴れた日とのギャップが凄い。6月の晴れの日は、気温的にも過ごしやすく、本当に気持ちが良い。でも降る。次の日には降る。マジですぐ降る。5月病なんていう言葉があるが、よっぽど6月の方が憂鬱である。そんなわけで最近の私はといえば大抵毎日機嫌が悪い。

機嫌が悪いと人とのコミュニケーションにも勿論影響が出てくる。いつもならどうってことないことにもイライラしてしまったり、めんどくせぇと思ってしまったりする。そんな時でも円滑にコミュニケーションを進めるために私がよく使う言葉がある。それは、「圧」である。

例えば初対面の人との会話や、話すことがなくなってしまった時の会話で、天気の話をすることがある。晴れていれば、


「今日は良い天気ですね」
「そうですね」
「こんなに天気が良いと○○したくなりますね」


といった流れから、○○の中身次第で趣味の話に繋げたりすることができる。しかし雨の日にはどうなるか。


「今日は雨ですね」
「そうですね」
「雨って憂鬱ですよね…」
「そうですよね…」
「ね…」


みたいになって大抵会話が終了してしまうのである。そうじゃなくても、何かと話がネガティブな方向に行ってしまう可能性が高い。かといって逆にここで、


「今日は雨ですね」
「そうですね」
「雨って憂鬱ですよね…」
「そうですか?私…雨って…好きです。」
「え…?」
「なんかほら、少し寂しい気分になれるっていうか…一人で雨の中歩くのとか、好きなんです…」


とか言われても困る。そんなやつ大体ヤバいやつしかいない。女性の場合こういうタイプは大体瞬きが遅くてやり手。多分キャミソールの紐見えてる。男性の場合はよくわからないけど多分「あー、ここハートランドは置いてないんすねー」ってすぐ言う。あと多分家で飲む時にもコロナにレモン刺す。


まぁそんなことはさておき、「圧」を使えばなんとなくそれっぽく話が持つのである。例えば、


「今日は雨ですね」
「そうですね」
「あれですか?結構食らっちゃう方ですか?
「え」
「結構あれですか?気圧系食らっちゃう方ですか?」
「なんですかそれ」
「雨の日ってなんか、圧やばくないですか
「え」
「なんかほら、
「…」

「圧」


すると大抵の人はこいつ何言ってんだという感じで途中から「なんですかそれ」とツッコミながら笑ってくれる。そうすると、憂鬱な気分も吹っ飛ぶしなんだか楽しげな雰囲気になる。勿論誰にでも言って良いわけではないと思うし、言い方なども気をつけなければならないと思うのだが、ここでなんとなく笑い合えた人とは仲良くなれる率が個人的には高い。しかし失敗すると「お前の圧が一番やばいよ」という顔をされてすぐに嫌われる可能性もある。そこらへんのバランスと空気を上手いこと見ながら、是非皆さんにも一度使ってみることをオススメしたい。


話はガラリと変わるが、昨日の夜、自転車で激しく横転して、左ひざを強打した。途中で雨が降り出したせいで滑ってしまい、坂道だったのもあって割と派手に転倒した。誰にもぶつからなかったのと、楽器を触る手の方に怪我がなかったのが不幸中の幸いである。しかし一夜明けても膝を曲げると激しい痛みがあるので、先ほど病院に行ってきた。傷は「縫うほどではないけどわりと深い」らしく、骨や半月板に異常はなかったが、かなりひどく打っているので明日から赤外線治療をするとのこと。階段も一段ずつしか上り下りできないし、足を引きずりながらじゃないと歩くのもつらい。次のライブは足引きずりながらだなこりゃ。本当に何かとめんどくさい。全部雨のせいだ。だから梅雨は嫌いだ。あと包帯がぐるぐる巻きなので、圧やばい、圧。











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