これが吹き出物というやつか

関取花の日記だ。


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東京は新宿、雨上がりの曇天、華の金曜日。

今日は朝からバイトだった。パソコンに半日向かっていたので、身体がどうしようもなく重い。それでもこの石のようになった肩に、私はユニクロで買ったセール品をぶら下げてとぼとぼと大都会・新宿を歩いていた。(パンツ2本とTシャツ3枚で5000円くらい。激安。)

スーツを着た社会人の人々とすれ違う度に、色んなことを思う。私はどんな仕事をしている人に見えるのだろうか。プー太郎に見えるのだろうか。それとも、社会人らしく見えているのだろうか。楽器を持っていないと、いまいち自分がわからなくて、思わずうつむいてしまう。

街の端々では、これから飲みに行くのであろう新卒1年目と思しき集団が、居酒屋のキャッチにつかまっている。きっとどこに行っても楽しいよ、と思いながら、眩しすぎる彼らに目が眩みそうになり、私は逃げ込むように紀伊国屋書店に入った。

店の前に置かれたワゴンには、又吉先生の新作がズラリと並んでいた。可愛らしいお洒落な女性が、パネルの写真をスマホで撮っていた。ファンなのだろう。その横では、待ち合わせをしているのであろう、高級そうな着物にルイヴィトンのバッグを持ったホステスらしき女性が2人、何やら談笑をしていた。すれ違うと、良い香りがした。女の香りだった。

店内に入ると、一人の小綺麗なお爺さんが立ち読みをしていた。新宿飲み歩き散歩、みたいな本を、食い入るように見つめていた。妙にホッとして、私もその本を手に取ろうと、お爺さんの斜め後ろに立ったその時である。









「ブッ」







…屁であった。



それは、清々しいほどに美しい、なんの濁りもない、絵に描いたような屁の音であった。

私は感動した。こんなにも美しい屁の音があるのかと。何しろ清潔感があった。健康的なスタッカートだった。匂いもなかった。何よりお爺さんの動じなさが凄かった。確実に、誰に聞いてもそのお爺さんがこいたのに、全く動じないのである。よく見ると、若干尻が後ろに突き出ていたような気もするが、もともとややや腰が曲がっていたことあり、そんなこと今更どうでもよかった。

そして何より、私はなぜか妙に安心した。名前も知らなければ、話したこともない。何にも彼のことは知らないけれど、あぁ、きっとあのお爺さんは長生きするなぁ、と思ったのだ。本当は何かの大病を抱えているかもしれない。奥さんが亡くなっているかもしれない。それでも、私が見たお爺さんは紛れもなく人として健康だった。周りのことを気にせず、好きなことをするその姿勢は、今日の私には、どうしようもなく輝いて見えた。カッコイイと思った。


よく、友人達と飲んでいると、好きなタイプはどんな人か、という話になる。私はいつも、「心身ともに健康で、サバイバル能力のありそうな人」と答えている。しかし、「例えば?具体的にどんな人?今まで出逢ったことはあるの?」と聞かれると、うーん、となってしまっていた。しかし、今なら言える。あのお爺さんがタイプだと。というか、ああいうお爺さんになれる人がタイプだと。


華金の新宿に怖気付きそうになっていた私に、お爺さんの屁が勇気を与えてくれた。まるで音楽のようだ。思わぬところで耳にした誰かが、勝手に元気になったのだ。最高にPOPだ。これこそJ-POPだ。いや、J-PUPか。









J(爺さんの)-PUP(プップ)








うわー、全然うまくないわー、面白くないわー。でも許して、華金だし。





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今週も皆様お疲れ様でした。




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電車内で本を読むのが好きである。
自宅よりも、カフェよりも、なぜか集中して読むことができる。
時間が永遠にあるわけじゃないのが良い。周りがちょっとうるさいところが良い。ここを心地良いものにしようだとか、ゆっくりくつろぐ場所にしようというおしつけがましい気概が無いのが良い。あくまでも乗客を目的地まで運ぶための空間であり、だからここで何をするかは適度なモラルを持ってあとはお好きにどうぞ、というあの無関心さが良い。家だと色んなものが目についてあれこれやりたくなってしまうし、カフェだと滞在時間と飲み物の残量とのバランスをとるのが難しい。とにかく私にとって、本を読む空間として電車内は何かと「ちょうどいい」のである。

とは言っても、「ちょうどいい」という感覚は主観によるところが多いので、必ずしも共感していただけるとは限らない。しかし、「ちょうどよくない」という感覚、つまり「間違ってはいないけれどなんか違う」という感覚は、共感していただけることもあるのではないだろうか。


少し前、都内の某お洒落タウンの服屋に入った時のことである。
ビンテージ風の重い扉を開けると、アロマオイルだろうか、今まで嗅いだことのないような香りに包まれた。上手く言えないが、なんというか強烈にお洒落な香りである。

そして、私を出迎えてくれるのは勿論香りだけではない。にこやかな店員と目が合った。



「ようこそ」



…強烈なディズニーランド感である。


無意識にいらっしゃいませを期待していた私が悪かったのかもしれない。常識にとらわれすぎていたのかもしれない。客を出迎える時はいらっしゃいませと言わなければならないなどと法律で決められているわけではないのだ。そもそも、この店員だけかもしれない。いかんいかん。

数歩進むと、他の店員と目が合った。



「ようこそ」


…ほう。お前もか。どうやらここでの挨拶はこれで決まっているらしい。「いらっしゃいませようこそ~」の略だろうか。半端ない違和感ではあるが、出迎えていただいていることだし、まぁ良い。


しばらく店内をプラプラと歩いていると、気になるシャツがあった。とは言っても広げるところまではいかず、さっと手を触れたか触れないかくらいの感じである。するとわざわざ遠くから店員がこちらへやってきて横に立ち、話しかけてきた。



「どうぞ」




…何をだろう。


わざわざ遠くから歩いてきて、にこやかに一言だけつぶやいてくれたその言葉。伝えたいことの大体の予測はつく。「どうぞ広げて見てみてください。」「どうぞ気になったらご試着もできますので。 」「どうぞゆっくりご覧になってください。」

わかる。わかるのである。めちゃめちゃ感じもいい。でも、「どうぞ」とだけ言われると、もう何が何だかよくわからないのである。とにかく半端ないムズムズ感。この妙な空間から一刻も早く抜け出したい、さもなければ発狂しそうである。こいつはひょっとしてヤバいところに来ちまったかもしれない、そう思った私は、足早に出口へ向かった。そしてあのビンテージ風の重い扉に手をかけた時である。





「お願いします」




…何をだろう。



恐らく、「またお願いします」の略だと思う。わかる。わかるのである。間違ってはいないのかもしれない、でも、でも。ちょうどよくない。そんなわけで、ろくに店内を見ることもなく、私は逃げるように店を出た。



群雄割拠のお洒落タウン、ここTOKYOで生き残るには、こうした行き過ぎた個性が必要なのかもしれない。確かに、マニュアル通りの接客が嫌になることもある。しかし、それを避けるために工夫をこらし過ぎた結果、空回りしてしまうこともあるのだと知った。何が皆にとってちょうど良いかはわからないが、あれはやっぱりどう考えても、誰にとってもちょうどよくなかったのではないかと思うのである。


先日、ふと思い立ってこのちょうどよくない店に寄ってみることにした。内心かなりドキドキであった。あのままでも嫌だし、普通過ぎる接客になっていたらそれもそれで寂しい。私は戦いを挑む気持ちで、扉に手をかけた。あの日と同じ店員がいる。私の心はもう、完全にようこそ待ちである。来い、ようこそ。ようこそめっちゃ聞きたい。アイワナようこそ。

すると彼女はにこやかに微笑み、こう言った。







「お待ちしてました」






…こわいよ。




本当、どこまでいってもちょうどよくない店なのであった。



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一年の中で一番嫌いな時期が来た。そう、梅雨である。何しろ気を抜けば降る。晴れたと思えば降る。傘を忘れた時に限って降る。しかも、晴れた日とのギャップが凄い。6月の晴れの日は、気温的にも過ごしやすく、本当に気持ちが良い。でも降る。次の日には降る。マジですぐ降る。5月病なんていう言葉があるが、よっぽど6月の方が憂鬱である。そんなわけで最近の私はといえば大抵毎日機嫌が悪い。

機嫌が悪いと人とのコミュニケーションにも勿論影響が出てくる。いつもならどうってことないことにもイライラしてしまったり、めんどくせぇと思ってしまったりする。そんな時でも円滑にコミュニケーションを進めるために私がよく使う言葉がある。それは、「圧」である。

例えば初対面の人との会話や、話すことがなくなってしまった時の会話で、天気の話をすることがある。晴れていれば、


「今日は良い天気ですね」
「そうですね」
「こんなに天気が良いと○○したくなりますね」


といった流れから、○○の中身次第で趣味の話に繋げたりすることができる。しかし雨の日にはどうなるか。


「今日は雨ですね」
「そうですね」
「雨って憂鬱ですよね…」
「そうですよね…」
「ね…」


みたいになって大抵会話が終了してしまうのである。そうじゃなくても、何かと話がネガティブな方向に行ってしまう可能性が高い。かといって逆にここで、


「今日は雨ですね」
「そうですね」
「雨って憂鬱ですよね…」
「そうですか?私…雨って…好きです。」
「え…?」
「なんかほら、少し寂しい気分になれるっていうか…一人で雨の中歩くのとか、好きなんです…」


とか言われても困る。そんなやつ大体ヤバいやつしかいない。女性の場合こういうタイプは大体瞬きが遅くてやり手。多分キャミソールの紐見えてる。男性の場合はよくわからないけど多分「あー、ここハートランドは置いてないんすねー」ってすぐ言う。あと多分家で飲む時にもコロナにレモン刺す。


まぁそんなことはさておき、「圧」を使えばなんとなくそれっぽく話が持つのである。例えば、


「今日は雨ですね」
「そうですね」
「あれですか?結構食らっちゃう方ですか?
「え」
「結構あれですか?気圧系食らっちゃう方ですか?」
「なんですかそれ」
「雨の日ってなんか、圧やばくないですか
「え」
「なんかほら、
「…」

「圧」


すると大抵の人はこいつ何言ってんだという感じで途中から「なんですかそれ」とツッコミながら笑ってくれる。そうすると、憂鬱な気分も吹っ飛ぶしなんだか楽しげな雰囲気になる。勿論誰にでも言って良いわけではないと思うし、言い方なども気をつけなければならないと思うのだが、ここでなんとなく笑い合えた人とは仲良くなれる率が個人的には高い。しかし失敗すると「お前の圧が一番やばいよ」という顔をされてすぐに嫌われる可能性もある。そこらへんのバランスと空気を上手いこと見ながら、是非皆さんにも一度使ってみることをオススメしたい。


話はガラリと変わるが、昨日の夜、自転車で激しく横転して、左ひざを強打した。途中で雨が降り出したせいで滑ってしまい、坂道だったのもあって割と派手に転倒した。誰にもぶつからなかったのと、楽器を触る手の方に怪我がなかったのが不幸中の幸いである。しかし一夜明けても膝を曲げると激しい痛みがあるので、先ほど病院に行ってきた。傷は「縫うほどではないけどわりと深い」らしく、骨や半月板に異常はなかったが、かなりひどく打っているので明日から赤外線治療をするとのこと。階段も一段ずつしか上り下りできないし、足を引きずりながらじゃないと歩くのもつらい。次のライブは足引きずりながらだなこりゃ。本当に何かとめんどくさい。全部雨のせいだ。だから梅雨は嫌いだ。あと包帯がぐるぐる巻きなので、圧やばい、圧。











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昨日は宮城県はみちのくキャンプ場にてARABAKI ROCK FEST.に出演させていただいた。澄んだ空気と恵まれた天気、何より素敵な出演者の皆さまばかりの本当に最高のフェスだった。
私は今年からできたMOVE ROUNGEというステージで演奏したのだが、正直向こう側の大きいステージから聴こえるウルフルズさんの熱量に少しやられてしまって、というか、うわぁめっちゃ観に行きてぇ…ここで見たら最高だろうなぁという己の欲望に半分意識を乗っ取られてしまった。もっと集中して、良い演奏ができたはずなのに。ずっと出たかったフェスだからこそ、凄く悔しかった。終わったあとちょっと泣いた。もう誰にも会いたくない、穴があったら入りたいとさえ思ったが、スタッフさんにせっかくだからケータリングを食べて行こうと言われ、ならば、とありとあらゆる肉料理をビールで流し込んだ。ソーセージ、ケバブ、チキンサラダ、牛タン、豚肉のトマト煮…絶対にリベンジするぞという闘志をぶつけながら、無我夢中で食べて、飲んだ。するとみるみるうちに復活した。無論、現在絶賛胃もたれ中である。これだから単細胞は困る。

ところで、宮城県は私の母方の祖父の故郷であった。私が生まれた時には祖父母は山形に住んでいたので、祖父の実家に行ったことはないが、ライブで宮城県に来る機会があると、やはり必ず祖父のことを思い出す。

私は祖父のことをターちゃんと呼んでいた。祖父の名前は、「問」と書いて「ただす」と読む。だから、ターちゃん。ちなみに祖母の名前は「愛」だったのでアーちゃんと呼んでいた。私が物心ついた時には祖父は仕事を定年退職していて、趣味の園芸と畑に精を出していた。祖母は美容師で、自分の美容院を持っていたので、亡くなる前に入院するまで、ずっとはさみを握っていた。2人とも歳を取っても自分にとっての楽しみを忘れずに人生を謳歌している感じが、とても「おじいちゃん」「おばあちゃん」という感じがしなくて、なんだかそんな呼び方をしたくなくて、ターちゃん、アーちゃんと呼んだのだった。
私はターちゃんとアーちゃんが本当に大好きだった。自分の大切な祖父母であり、人生の先輩であり、友達のようでもあった。2人との思い出は語っても語り尽くせないが、今日はせっかくARABAKIに出演したことだし、宮城県を故郷に持つターちゃんの話を少ししようと思う。

ターちゃんはいつも、誰よりも朝早く起きて、庭から日が差す畳の部屋で、新聞を読んでいた。コーヒーとタバコをお共に、耳に赤鉛筆をさして、気になる記事に赤丸をつける。あとで読み返したい記事は丁寧にはさみで切って、スクラップした。兄が宇宙飛行士に憧れていた時期なんかは、宇宙の記事を見つけるとファックスで送ってくれた。そして夜には同じ体勢で、日記を書くのだった。
日中は先にも述べた通り、園芸と畑仕事に精を出した。母の実家の庭は植物だらけで、いたるところに鉢植えがあった。年々それは増えていって、ある頃には二階の一室まで鉢植えが侵食していた。それでも枯れているものはなかったように思う。畑は自家菜園の畑版とでも言おうか、決して大きいものではなく、家から歩いて10分ほどのところにある、趣味用の畑を借りたものだった。季節ごとに色んな野菜を育てていたが、中でも私が好きだったのはモロヘイヤだった。ターちゃんの畑でとれたモロヘイヤは、もちろん無農薬で、スーパーで見かけるものよりも青々としていた。私達はいつもそれを刻んでネバネバにして、醤油とあえてご飯にかけて食べた。ターちゃんはモロヘイヤや納豆など、ネバネバするものを好んで食べていた印象がある。ネバネバで言うと、それが原因で私はターちゃんをひどく傷つけたことがある。

ある日、ターちゃんとアーちゃんと回転寿司に行った時のことである。色んなお寿司が目の前を通り過ぎて行く中、その日もターちゃんは納豆巻きを好んで食べていた。たらふく食べて店を出て、車に乗る前にターちゃんがタバコを一服していた時のことである。くわえたタバコを口から離すときに、一本の透明な糸が伸びたのが見えた。納豆の糸である。ターちゃんはそれに気づかず、ニコニコしながら私に話しかけてきてくれた。しかし私は糸が気になって仕方がない。もともとタバコの臭いが苦手だったのもあり、イライラして、ひどいことを言ってしまった。当時私は小学校にあがるかあがらないかくらいの歳である。

「ターちゃん、たばこから納豆の糸が引いていて気持ち悪いよ」

ターちゃんは私をじっと見つめて、少し悲しそうに、困ったように笑って、そっとタバコの火を消した。あの時のターちゃんの顔を、今でも忘れられない。はじめて、「私は今、人を傷つけた」と気づいた。だけどどうしていいかわからなかった。今考えればすぐに謝ればよかったのだが、当時はそう思うほどにそれができなくて、もっとふてくされてしまった。そして、アーちゃんが小さく言った。

「そんなこと言うもんでねぇよ」

山形弁の温かいなまりが、その時はなぜか妙にピシャリと響いた。いつも笑ってニコニコして、暇さえあれば花ちゃんはめんこい(可愛い)ね、めんこいね、と言ってくれたアーちゃんの、はじめてみる真っ直ぐとした射るような眼差し。幼心に、「とんでもないことをした」と思った。そのあときちんと謝ったかどうかは、もう覚えていない。ただ、大好きな人を傷つけて、もしかしたら嫌われてしまったかもしれないというあの時の恐怖心は、忘れられない。

私が大学生の時、ターちゃんは亡くなった。冬の寒い夜だった。一度倒れて入院したが、無事に助かって退院し、やっと大好きな家に戻ったばかりの時だった。雪のかぶってしまった植物たちの様子を見に行ったのだろう、暖かい家から出て、キンと冷えた空気を急に浴びた反動で、倒れてしまった。そしてすぐに病院に運ばれたが、だめだった。
私はターちゃんが亡くなった知らせを聞いてすぐに、母の実家に向かった。棺桶に入る前のターちゃんは、いつもと同じ顔をしていた。優しくて、かっこいいターちゃんだった。綺麗に髪を整えて、最後に唇に、大好きだったコーヒーをポンポンと塗ってあげた。クリープ入りの、柔らかい色をしたコーヒーだ。棺桶にはターちゃんの大事にしていたものをたくさん入れてあげた。私は納豆巻きを入れてあげたかったが、コーヒーと納豆巻きは合わない気がして、やめた。何より、それであの時傷つけたことを精算した気になるのが嫌だった。

ターちゃんのことだから、気にしてないよと言うだろう。アーちゃんもきっと、覚えてもないよと笑うだろう。でも、あれからずっと、私は大好きな人に嫌われるのが、とっても怖い。

いつも、人に嫌われたくなくて、試行錯誤して生きている。当たり前のことだ。生憎私は嫌いな人には嫌われてもいいなんて言い切れるほど肝が据わった人間じゃない。知らないうちにわざとおどけて見せたり、明るく振舞って、家に帰ってからそんな自分が嫌で1人落ち込む、そんなことの繰り返しだ。

でも、私には今ありがたい事に歌がある。嫌われても、ハマらなくても、だったら次はその人にも刺さるような歌を作ろうという闘志に変えられるものがある。だからこそ、チャンスのところでガッツポーズを決められないと、凄く悔しいけれど、何度でも這い上がろうと思える。

私の歌を、ターちゃんは聴いたことがない。まさか歌を歌いに故郷に来ているなんて、思ってもいないだろう。そして、きっとまだまだ届いてもいないと思う。ターちゃんのいるところまで私の歌が届くようになるには、きっとまだまだ時間がかかる。もっと良い歌を歌って、有名にならねばならない。頑張ろう。納豆巻きのことは、いつか明るい曲にでもしようと思う。しっぽり謝られたって、またターちゃんはきっと困ったように笑うだけだろうから。

こういう少し真面目な話を書くと、なんだか照れくさい。またすぐにおどけて見せたくなる。今も必死で、何かオチがないか考えているのだが、どうにも見当たらない。どうしたものか。まぁ良いか、あれだし。よくわかんないけど、春だし。














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今朝の電車は駄目だった。

一人暮らしをはじめてから、もう二年が経つ。通勤ラッシュの満員電車にもだいぶ慣れてきた。どんな角度で人の中に身を埋めれば倒れないか、どれくらい背伸びをすればつり革まで手が届くか、なんとなく身体で覚えてきた。舌打ちをされたり思い切り身体で押し返されたり、そんなことは日常茶飯事なので、もう気にしていても仕方がない。そういう時は雨ざらしの岩のように、頑としてどっしりと構え、心も身体もグラつかないようにするのみである。うむ、我ながら強くなったもんだ、などと少し関心さえしていたこの頃であった

しかしだ。今朝の電車は駄目だった。自惚れていた。目に見えないものからも身を守れるほど、私は賢くも強くもなかったのである。

私は、いつも通り駅のホームで電車の到着を待っていた。昨日の夢(兄が松田翔太に憧れてウェッティな髪型になるだけの夢)を思い出しながらぼーっとしているうちに、電車のドアが開いた。プシューと音を立てて車両の中がお目見えしたその時、お、今日はなかなかラッキーだ、と思った。今日私が乗り込もうとしていた車両のドア付近には、たまたま綺麗な女性が多く、満員電車であろうとなんだか妙に清潔感溢れる雰囲気が漂っていたからである。たとえ誰かに押されてなだれかかったとしても、今日ばかりはシャンプーの香りに身を埋めて過ごせるわい…私は待ったなしでその車両に飛び込んだ。

私は、電車に乗る時には必ずマスクをしている。今日は飴を舐めながらマスクをしていたので、マスクの中はリンゴの香りでいっぱいだった。たしかにいっぱいだったのだ。しかし、そんなものはすぐに消え失せた。そう、隣に立っていた女性の香水の香りが、あまりにもキツかったのである。もともとアロマとか香水とか、そういった「人工的な良い香り」は好きではない。もちろん、上手に香りをまとっている人もたくさんいる。でも違ったのだ、残念ながら。私の隣に立っていた女性のあの香りは、もう蒸せ返るくらいキツかったのだ。結局、5分ほどは耐えてはみたものの、だんだん頭が痛くなってきて、気持ち悪くなってきたので、私は泣く泣く電車を降りた。香水にやられて途中下車をするなんて…なんて弱っちいのかしら。

幸い、今日はかなり早めの電車に乗れていたので、2本ほど見慣れない駅のホームで電車を見送った後、各駅停車に乗ってダラダラと目的地へ向かう余裕があった。ガンガンする頭でうなだれながら、香水かぁ、私も一度だけ買ったことがあったなぁと思い返していた。

あれは高校1年生の時だっただろうか。私も含め女子は皆、少し背伸びをしたお洒落をしたがる時期だった。とは言っても、学校は制服で通わなければならない。それならば、限られた範囲内でできる限りのお洒落をしよう、ということで、香水やボディミストをつけ始める子が出てきた。私も負けじと何か香りをまといたいと思い、思い切って香水を買うことにした。しかしそこは初心者、どんな物を選べば良いかわからないので、取り急ぎ雑誌を読んでみることにした。すると、こんなことが書いてあった。




「私は高校一年生からずっと同じ香水☆この前なんか、街中ですれ違った時に匂いだけで気づいてくれた友達がいたよ☆人とは少し違う香りをまとった方が、自分らしさが伝わるよ☆」



モデルが爽やかな笑顔でハート型のボトルを握ってこちらを見ている。



なるほど…人とは少し違う香りか…


ある日、私は1人香水探しの旅に出かけた。新学期がはじまってすぐで、まだアルバイトをはじめていなかったのでお金もなかった。予算は2000円以内にしよう。まずは、良い香りがする所へ行こう、ということでデパートに向かった。しかしどれもべらぼうに高かった。無理だ、買えない。次にドン・キホーテに向かった。たくさん香水が並んでいる。しかし、どれも雑誌で見たことのある甘い香りの香水ばかりである。違う、私は、私は…


 
人とは違う香りが欲しい…




プラザやロフト、様々な雑貨屋などを巡ったが、なかなかそそられるものが見つからない。どの香水の説明にも、ブランド名か、そうじゃなきゃ「甘い」だの「スパイシー」だの「ムスク」だのなんだのって同じような言葉がつらつら書いてあるだけである。もしくは、「妻夫木クン愛用」「あゆ推薦」「パリスヒルトンプロデュース」などと言った、嘘か本当かわからない手書きポップばかりである。嗚呼、運命の香りを2000円で手に入れようなんざハナから無理な話か…などと諦めかけたその時である。他のボトルに比べ、異常にシンプルなボトルが目に入った。透明な四角い瓶に、よくわからないポケモンのマルマインみたいなマークが一つ、そしてその下にたった一言…







「adult」







そして説明書きの手書きポップにも一言…






「レニークラヴィッツ愛用」




そして値段は…







「1800円」




これは…




買うしかない…



というわけで、わたしはあろうことか匂いを嗅ぎもせず、そのレニクラ愛用の「adult」を購入した。肝心の匂いはと言うと、あまり覚えていない。何せこの「adult」、どんなにつけても、風に吹かれりゃすぐに消えてしまうのだった。


それでもしばらくは、半ば意固地になって毎朝律儀に「adult」の匂いをまとって出かけていたわけだが、誰にも何も言われず、ただ肌が少しかぶれただけであった。なので、やめた。


しばらくしてから、よく考えたらレニークラヴィッツほどのセレブが1800円の香水をつけているわけないことに気づいた。よく考えなくてもわかるし、多分ウケ狙いで店員が書いたんだろう。それにしてもなぜレニクラだったのか。気になったので、ある日その香水を購入した店にもう一度出向いてみたが、その店はもう潰れていた。跡形もなくなって、エスニック雑貨屋に変わっていた。匂いが強い店が伝統的に陣取る場所だったのだろうか、真相は闇の中である。


そうこうしているうちに、電車は目的の駅に到着した。スーツをビシッと決めたサラリーマンや、朝からお化粧をバチッと決めたOLさんが颯爽と歩いて行く。私はといえばボサボサの髪にボロボロのダッフルコートにリュックサックにスニーカーだ。なんだか、よっぽど高校生の頃の方がきちんと背伸びしようとしていたな、と思った。最近、等身大という言葉にめっきり甘えてしまっていた自分がいた。いかんいかん。


いやはや、どうやら「adult」はあとから効いてくるタイプのやつらしい。


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