世界一周と親不孝 | 世界一周ブログ ~世界一周大百科~

世界一周と親不孝

「旅で死んではいけない」
「生きて戻ってくるのが絶対、何よりの前提である」


旅をしていると、宿などでミッシング(行方不明)の張り紙を目にすることがる。インドやパキスタンを旅したことがある人なら、1度は必ず見たことがあるはずだ。

親御さんが、連絡が急に途絶えてしまった子供を探すために、
必死になって作ったものであろう。

残念ながら、行方不明では警察は動かないし、ニュースにもならない。
自分の意思で失踪した可能性があるからだ。

インドで精神世界に魅せられ、自ら現世を捨ててしまった可能性もあるし
ドラッグに溺れて廃人になってしまった可能性もある。

そして、好奇心に負け危険な地域に足を踏み入れてしまった可能性も・・・。

いつも旅先から手紙をくれる息子からの連絡が10月を最後になくなった。
クリスマスになっても、年があけても・・・。

インドから、パキスタン、イラン、トルコを陸路で行くとの便りが最後だった。ユーラシア横断のごく一般的なルートだ。

電話で相談を受けていた沢木耕太郎氏が、
数年後、彼のご両親に直接会ったときのことをこう書いている。(以下引用)

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心が残るのは、息子が出ていく時、心配をしなかったことだ。
いや、心配でならなかったのだが、それを表に出さなかった。
ただ、気をつけてね、と言っただけだった。
それだけではない。妹の結婚式の日取りを知らせる手紙の中でも、
その日までにどうしても帰ってくるようにとは書かなかった。書けなかった。
せっかくの旅を中断させてしまうのが可愛そうに思えたからだ。
「でも、私は間違っていたのかもしれません」
そこで母親は静かに涙を流しはじめた。

私は、その透明な涙を見ながら、奇妙な錯覚にとらわれていた。
この涙は、私の母が、私のために流しているのではないだろうか、と。
それほど彼女の息子と私は似ていた。
ほとんど同じような年頃に、同じような額の金しか持たずに出発し、
同じような土地を同じような期間うろついたあとで、
同じようなルートを辿って同じような目的地に向かおうとしたのだ。
手紙に書きつけられた思いも、私自身が書いたのではないかと
見紛うばかりのものだった。
私がいまここにいて、彼がここにいないというのは、髪の毛一本ほどの差で、
異国における危険を避けえたかどうかの違いにすぎないと思えてならなかった。

本格的な夏の到来とともに、多くの息子や娘たちが異国への旅へ出ていく。
異国は、本来、異国だというただそれだけのことで絶対の危険をはらんでいる。ほとんどの息子や娘たちはその危険に気づかないまま帰ってくるが、
何人かは思いがけないかたちで、しかも悲劇的なかたちで遭遇してしまう。
そして、親たちは不意に子供の姿を見失う。
親は、子供を失うことで未来の一部を、それも重要な一部を失うことになる。

       ※ 沢木耕太郎 「彼らの流儀」 (新潮文庫 1996 ミッシング(行方不明) 49頁~50頁)

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彼は、どうしてしまったのだろう・・・。

無謀にも戦時下のアフガニスタンへ入ってしまったのだろうか?
パキスタンで運悪く強盗に遭って、砂漠に捨てられてしまったのだろうか?

無謀なら避けられただろうが、運ならどうしようもなかったかもしれない。
彼の両親の立場を思うと、やりきれない気持ちになる。

この記事の冒頭で書いた文は、
「冒険で死んではいけない」
「生きて戻ってくるのが絶対、何よりの前提である」
という植村直己さんの言葉から「冒険」の部分を「旅」に置き換えたものだ。

大自然を相手に、常に命の危険と隣り合わせの冒険家がこういっているのだ。
いち旅人である私やあなたなら尚更生きて帰るのは絶対の大前提であろう。

両親への感謝の気持ちがあれば、無茶はできないはずだ。
もしその危険が避けられる危険なら、絶対に避けなければならない。

特に、旅慣れてきた時に考えて欲しい。
その好奇心が命に関わるものなのかどうかということを。

・・・・・

すこし長くなったので、次の記事でさらに詳しく書きます。


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