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紀元前6世紀から5世紀頃にチェイン・メイルをケルト人が作ったと言われています。
紀元前2世紀頃には、ローマでも防具として扱われ、さらに地中海周辺の国の多くが身に着けるようになりました。
ローマ人はチェイン・メイルをロリカ・ハマタ(前回、紹介してます)と呼んでます。
しばらくは、チェイン・メールの形状に変化はありませんでした。
しかし、北方のノルマン人がヨーロッパに侵入してくると裾の長いチェイン・メールが登場しました。
これは、暑苦しく見えますが保温効果があるため北方の民族は好んで身に着けています。
そして、ハウバーグは裾の短いものが登場しました。これは、いままで、裾の長さで下半身を防護してましたが、しかし、ショセと呼ばれる、もも引きみたいなチェイン・メイルが登場したためです。
その後、金属加工技術が発達すると金属板を加工したプレート・アーマーへ移行して、チェイン・メイルは脇などの可動部分の防護として使われました。
最終的には、完全な金属板の鎧によって、チェイン・メイルは使われなくなりました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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ロリカは王政時代のローマで兵士たちが装着してましたが、共和政時代には士官のみが装着できる鎧に変わりました。
材質は革製で、表面は、たくましい筋肉が象嵌されています。
ロリカ・ハマタは、紀元1世紀になるまでローマ軍団兵が主に使ってました。
この鎧は2つのタイプがあります。一つはギリシアのリネン・キュラッサに似ているものと、もう一つは、シャツ状に編み込んで袖も付いてます。
需要としては前者が多く使われ、後者は騎兵隊が装着してました。
ロリカ・セグメンタータが登場するのは紀元前1世紀中頃でローマ正規軍の殆んどは、この鎧を装着してました。
最後まで読んで頂き有難うございました。
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ロリカは王政時代のローマで兵士たちが装着してましたが、共和政時代には士官のみが装着できる鎧に変わりました。
材質は革製で、表面は、たくましい筋肉が象嵌されています。
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この鎧は2つのタイプがあります。一つはギリシアのリネン・キュラッサに似ているものと、もう一つは、シャツ状に編み込んで袖も付いてます。
需要としては前者が多く使われ、後者は騎兵隊が装着してました。
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古代ギリシアは、いつのことを指すのかといっても年代は幅が広いです。
その中でもトロイヤ戦争の時とポリス国家の時代では軍隊の様式や戦い方も大きく違いました。
トロイワ戦争の時は戦車を主体とした軍隊であるのに対しポリス国家時代は、市民民兵が主体で一部の国家を除けば十分な訓練をした軍隊ではありませんでした。
トロイワ戦争時代の鎧は、戦車によって機動し自分が大きく移動したりすることも無いため、完全に体を覆い隠す鎧が使われました。
そして、ポリス国家時代に入ると、せいぜい胴部分を覆い隠す青銅製の鎧に変わり、手甲や脚甲なども付けました。
しかし、これらは、青銅製で重たく自分で歩かないといけない彼らにとっては大変でした。
それで、鎧の軽量化が行われ胴鎧は金属からリネンで作られた布製の物に変わりました。
これをリネン・キュラッサといいます。
最後まで読んで頂きありがとうございました(*^_^*)
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古代ギリシアは、いつのことを指すのかといっても年代は幅が広いです。
その中でもトロイヤ戦争の時とポリス国家の時代では軍隊の様式や戦い方も大きく違いました。
トロイワ戦争の時は戦車を主体とした軍隊であるのに対しポリス国家時代は、市民民兵が主体で一部の国家を除けば十分な訓練をした軍隊ではありませんでした。
トロイワ戦争時代の鎧は、戦車によって機動し自分が大きく移動したりすることも無いため、完全に体を覆い隠す鎧が使われました。
そして、ポリス国家時代に入ると、せいぜい胴部分を覆い隠す青銅製の鎧に変わり、手甲や脚甲なども付けました。
しかし、これらは、青銅製で重たく自分で歩かないといけない彼らにとっては大変でした。
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シシャークは13世紀初めに作られた兜です。
形はイスラム圏特有の水滴型をしていて、可動式のネーザル(鼻当て)が特徴です。
水滴型の兜の原型は、古代アッシリア帝国の時代を書いたレリーフにも見ることが出来ます。
※古代アッシリア帝国とはメソポタミアの北部のティグリス川沿いの地域に起こり、古代オリエント最初の世界帝国を築き上げた帝国。
シシャークは、オスマン・トルコに受け継がれ、その後、ハンガーリ、ポーランド、ロシアにも広まりました。
そして、ジスチャージという名前で呼ばれるようになりました。
その後、改良され、それまで水滴型だったものが丸くなり、更にエビの尻尾のようなネックガードを追加されました。
その形状から、ロブスター・テイル・ポッドと呼ばれるようになりました。
そして、17世紀中頃に勃発するイギリス市民戦争で、さらに改良され イングリシュ・ポット と呼ばれる、兜が登場しました。
特徴は、それまで、可動式だったネザールが、バイザーが三本の骨組みのみとなり簡略化されました。
しかし、この形状は15世紀のサリットと非常に似ていることから、起源はサーリットにあるとも考えれます。
最後まで、読んで頂きありがとうございました!
次回から鎧について書いて行きます。
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形はイスラム圏特有の水滴型をしていて、可動式のネーザル(鼻当て)が特徴です。
水滴型の兜の原型は、古代アッシリア帝国の時代を書いたレリーフにも見ることが出来ます。
※古代アッシリア帝国とはメソポタミアの北部のティグリス川沿いの地域に起こり、古代オリエント最初の世界帝国を築き上げた帝国。
シシャークは、オスマン・トルコに受け継がれ、その後、ハンガーリ、ポーランド、ロシアにも広まりました。
そして、ジスチャージという名前で呼ばれるようになりました。
その後、改良され、それまで水滴型だったものが丸くなり、更にエビの尻尾のようなネックガードを追加されました。
その形状から、ロブスター・テイル・ポッドと呼ばれるようになりました。
そして、17世紀中頃に勃発するイギリス市民戦争で、さらに改良され イングリシュ・ポット と呼ばれる、兜が登場しました。
特徴は、それまで、可動式だったネザールが、バイザーが三本の骨組みのみとなり簡略化されました。
しかし、この形状は15世紀のサリットと非常に似ていることから、起源はサーリットにあるとも考えれます。
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12世紀のヨーロッパを起源とする兜で、麦わら帽子のような形状をしています。
その後、16世紀に入ると戦いも火器や弓を扱う兵士からは、視界を阻害されないので重宝されました。
イタリアで作られて物はスカルの天辺が平らに近い物が多いです。
ドイツで作られたものは天辺が球形になってます。
スペインの物は天辺が鋭くなっていて、水滴型になっています。
スカル部分が渦巻き模様の折り目を入れたものが有りますが、これをシャペル・ド・フェと呼ばれました。
そして、ドイツでは、"ひさし"とスカルの境目にサイトが付いた物もありました。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
ショップの商品入れ替えは、今週中には、ひと段落しそうです。
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その後、16世紀に入ると戦いも火器や弓を扱う兵士からは、視界を阻害されないので重宝されました。
イタリアで作られて物はスカルの天辺が平らに近い物が多いです。
ドイツで作られたものは天辺が球形になってます。
スペインの物は天辺が鋭くなっていて、水滴型になっています。
スカル部分が渦巻き模様の折り目を入れたものが有りますが、これをシャペル・ド・フェと呼ばれました。
そして、ドイツでは、"ひさし"とスカルの境目にサイトが付いた物もありました。
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