夜咄の茶会は、冬のもの。
夜が早い冬に、続き薄茶でする。
今でも蝋燭でする。
昔、知り合いの道具屋さんの奥さんが夜咄の茶会をするというので出かけた。
昼間に夜咄?
なんと昼間に雨戸を閉めて暗くして、蝋燭の灯で始めた。
是には呆れて、興ざめ。
なんと、こういう茶人が先生をしているのかと思うと、嫌になる。
やはり、雪が降ってきて、夜も遅いので続き薄茶にするが、せめて障子を開け雪景色も見て名残を惜しんでもらいながらも、後炭の省略の分ゆっくりお話しをして帰ってほしいというのが本当だろう。
冬は夜は寒いが、その寒さも雪までもご馳走にしてしまう。
季節感と日差しの差し方は、いっそう茶会の面白い流れになるのである。
最初から、そのつもりでするというのは面白くないとこの頃感じる。
だが、それには相当の実力がないと不可能というのも現実である。
朝茶も季節感のある茶会である。
盛夏暑いときには、朝の涼しいうちに茶会をする。
当然、後炭は省略の続き薄茶。
懐石も朝粥か蕎麦懐石が良いと思う。
禅寺では朝粥は常識、一日の初めに食べるのはまずは胃の調子を整えることなのである。
炭は暑さにより控え目に、涼しく感じる道具組が大切。
金沢先生の朝茶のテレビを昔見た。
京都の夏というタイトル。
一か月もカメラが付いて回り、準備と本番に凄い量の映像を撮ったという。
テレビに流されたのは十分の一以下の2時間だった。
3人のお客様に、先生は汗びっしょりで持成しておられた。
本式の茶室にはエアコンはない。
暑いから、涼しさをお点前で、窓の開け閉めで風を起こして出すのである。
真夏の茶花には、露が打たれ。
懐石の碗にも、古い茶筅で宗也先生は露を打たれていた。
簡単なようだが、やってみると難しい。
宗也先生は、名水を汲みに行くのも真夜中、昔の茶人のように小鳥たちの飲みに来る前の丑寅の時刻に汲みに行かれていた。
カメラマンも大変だ。
まさか、真夜中の2時半ごろ先生が出かけるとは思わない。
そう、朝茶は楽しいが、亭主は寝ている暇はない。
朝の6時には準備をあらかた終わらせなくてはならない。
朝の7時には打ち水。
10時ごろには暑さによっては終わっていなければならないのである。
私も朝茶だけは、なかなか生徒さんを誘えない。
着物も何枚も汗でダメにしている。
だが、究極の茶会は朝茶、夜咄といい皆さんは憧れるのである。
現代では贅沢なようだが、除夜釜のように一年に一回ぐらいはやっていきたいものである。
今年は、あるものですべて間に合わせてやってみたら、大成功!