茶道体験教室 パート3 から茶道日誌へ 生徒さんとの日々のしおりとして、このブログを使わせていただきたいと思います。

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お堀の桜も落ち葉になり、色鮮やかに散っていた。


今日は一段と寒い。


やはり、12月!


神楽坂の杉の落ち葉も皆さん大変である。


朝から掃いて、昔は4,5時間お掃除したことがある。


私は今は枯れ葉は掃かない。


木の葉も愛おしい。


母もこの頃は掃かなくなった。


だが、町の若い人が枯葉を掃いてくれる。


大助かり。


今日は母は、珍しく烏賊の塩辛を作っていた。


60年以上の年季が入っている。


若いときから、母の塩辛以外は食べなかった。


日本酒で何本も塩辛だけで飲める。


河岸の生きのよい烏賊は最高!


柚子がよい、いつも作り方を覚えようと見ているが覚えられない。


年の暮れ、母の仕事が始まる。


長いお客さんは、杖を突いて通う。


70年以上の常連になると、私も頭が上がらない。


昔総理大臣の官邸から抜け出してきた村山さんは、この塩辛でお湯割りの焼酎が好きだった。


税務大学校の校長さんは、今年100歳車できたいと、塩辛を母に強請る。


私は、本当は明後日あたりが美味しくなるのだが、待ちきれなくて今夜は久しぶりに日本酒を塩辛で母と飲もうと思う。


我が家のお酒は、先日の一件ですべて妻に捨てられた。


だが、私は本当は洋酒より日本酒が好きなのである。


子供のころから、お帳場の祖母のそばで燗をしながら利き酒をしていた。


子供のくせに酔って寝てしまうこともあった。


真夜中に目を覚ますと目の前にコルト45があって驚いた。


ガードの刑事さんがそばに置いて碁をしている。


コルトは大好きな拳銃、触らせてくれと強請ると大目玉。


それでも、つるつるな頭をこすり見るだけは見せてくれた。


刑事さんは好きだったが、そのあとに続く芸者さんのお帰りは苦手だった。


みんな、酔っ払ってクタクタ!


可哀そうで見てられない。


そんな花柳界の時代から母は塩辛は作っていた。


神楽坂は、政府経営の花柳界は昭和33年に終わる。