聖書の学び|毎日ちょっとずつ編

聖書の学び|毎日ちょっとずつ編

聖書の言葉に、毎日少しずつ触れたい人向けの(ほぼ日刊)ブログです。解説というよりは、思ったことを書いてます。スマホなどで気軽にどうぞ。

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■今日の言葉

「神様は必ず答えてくださると確
 信して、願い求めなさい。 

 疑う心は、風に波立つ水面のよ
 うで、少しの落ち着きもありま
 せん。

 そんな状態でなした決心は、猫
 の目のように、くるくる変わる
 不安定なものです。

 必ず与えられるという信仰がな
 ければ、主に何を期待してもむ
 だです。」(ヤコブ1:6-8)

■自分への問いかけ

信じることを勘違いしていないか


・信じることを勘違いしていないか


これまで多くのクリスチャンを見
てきて思ったことは・・・

「本当に神さまを信じている?」
ということ。。。

もしくは

「なんか勘違いしてません?」

と思うこともしばしば^^;

「信じます」と言いながら
その行動が「まぎゃく」の人

「信じます」と言いながら
何度も祈りを求める人

「信じます」と言いながら
かなえられなくても別の恵みを
さがして「感謝です」という人

長年信仰をもっていて、熱心な
クリスチャンに多いです。

前向きなことは大事ですが、な
んでも自分の思い通りにならな
いことをわきまえている反面、
かなえられなかった時の対処法
を知っているというか、最初か
ら期待しないで無意識にショッ
クをやわらげているところに
問題があります。

「信じます」と言って、強引に
そうなるように仕向ける人

例)
教会に多くの人が来ますように
と祈り、半ば強引に家族や友人
を連れてきて、「神は祈りをか
なえてくださった、感謝!」と
言う人。

牧師は人数が増えることは大歓
迎なのでニコニコ。

連れて来られた人は
「二度といかない」と思っている。

などなど・・・

もちろん、信仰には段階があり
福音書にもあるように「信仰の
弱いわたしを憐れんでください」
と祈る必要が常にあります。

でも同時に、信仰は成長してい
けるものだということを忘れて
はいけないと思います。

赤ちゃんが、はいはいして
つかまり立ちして
最後は手ばなしで歩けるように
なるように

信仰も手ばなし(自立)を目指す
べきでしょう。

いつまでも何かに依存していると
いうのは、健全な成長ではないと
いうことですね^^;

信じるということは、ヘブライ人
への手紙にはっきり定義されてい
ます。

「信仰とは、望んでいる事がらを
 確信し、まだ見ていない事実を
 確認することである。」
       (ヘブル11:1口語)

そう、まだ見えていないものを見
ること。

それを見てすでに手に入れている
人と同じ心境になるってことです
ね。

つまり、「信じる」という自覚す
らないということです。

これって実は、世の中の成功哲学
や、引き寄せの法則にも通じるも
のがあります。

何をもって「成功」と言うかは
別にしてですが。

口で「信じます!」という人の多
くは

→自分にそう言い聞かせている

→言い聞かせているということは
まだ信じていないことが多いです^^;

(信じるということを、口にするな
ということではないですよ、
念のため。)

有名な「ノアの方舟」のノアは
すごいと思います。

まだ「雨」というものすら見た
ことのなかった時代に

「大雨」「洪水」を信じて巨大な
方舟を造ったという・・・

おそらく舟も見たことなかった
でしょうね。。。

これ、プラモデルぐらいの大きさ
の舟ならわかるんですが

製作に100年ぐらいかかってて
しかもずっとバカにされ続けてで
すからね。

彼には「見えて」いたんだと思い
ます^^;