認めたくない因果が、目をそらすと何度でも素早く現れくるようになった今日この頃。





私の母は毒親だった、というのも認めたくなかった事のひとつ。

自分のひとつのルーツ、ピースがそこにあります。

そんな、毒親という程のことでは無いさ。と思っていた方が少しは楽でしたが、

モラルハラスメントや毒親関係の本を読むと、自分が毒親育ちなのがよくよくわかってしまいます。



私は娘を授かるのが怖かったのです。

それをきっかけに、自分を見つめ直す事になりそうで。

それに、自分が母のようになってしまわないかと怖かったのですが、いざ授かって見ると本当に何よりの宝で...子ども好きが加速してしまい、また落ち着いたら今度は里親もしたい、養子でも取りたい、一生子供たちを育てられたら嬉しいのにと、逆に突き抜けてしまいました。なんて幸せな脳内でしょうか笑



その一方で、やっぱり自覚してしまいました。自分が母から愛されないで育ってしまったこと。

子供の頃からずっと、胸に穴が空いている気がしていました。空虚でした。



そしてこれ、母親も同じことを言っていました。母親も、自分の母から愛された実感なく育ち、胸に穴が空いていた、穴を埋めてくれたのは夫(私の父)で、フラフラふわふわしていたところに芯を通してくれたのがエホバへの信仰だと言っていました。



一方で私の心の穴は、子供たちが全て埋めてくれました。子育てをする母親としての経験が私の芯であり、核となってくれました。

ですが母の穴は私たち娘では埋められず芯にもなれず、どんなに愛しても疎まれ愛されることはありませんでした。



私は、人の支えを欲しているかのような母の慰めになれという父の意図で作られた子供なので、私が多少賢かろうと愛情深かろうと、父にとっても期待外れの娘となりました。



それでも母は自我が形成される前の赤ん坊は好みましたので、父は意図してかせざるか、上の子が2歳ごろの愛されなくなったタイミングで子どもをポンポン作りました。

それが私の育った家庭です。



母は、自分自身はこうありたい

こういう家庭が良い、娘とはこうあるべきだ、という思い込みによく似た理想を無意識に強く持っていた為、我が子達の多様性を受け入れられず、そしてそれを受け入れられない自分自身さえ理想の母親像ではありませんから当然受け入れることが出来ませんでした。



我が子を憎いと思っているのにそんな事を思う母親なんてダメですからね、結果子供への憎しみを心の中で腐らせました。



でも幼い娘ってのは、母親の心は筒抜けにわかってしまうものなんですけどね。

女同士って共感性が高いから。