パネェって言葉は、俺だけの為に使え
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6/21ワンマンは

今までとは、

全く別物に思えるくらい

個人的には手応えのある、ワンマンでした。




MORIYU-BANDに自分を当てはめた

のではなく

自分をMORIYU-BANDに当てはめた

ってイメージ。




サッカーの本田圭佑がよく言う「個」の話

今回は凄く分かった気がする。




自分を、個人を、個性を出すからこそ

組織に貢献できる。




「ほととぎす」の

切り捨て御免とかの「個」は

果たしてどうなのかと思うけど(笑)、




素材の味を引き出すだけが

料理じゃない。



支えるだけが

ベースじゃない。




いま、僕は

自分の事で、手一杯。



そもそも、他人には

そこまで興味を持たない人間です。

(B型だし)

けど性格的に

良くも悪くも、周りに気を使って生きてきました。



そのおかげで、いまの僕がありますが

結局、突き詰めるべきは

自分なんです。



バンドのベーシックを守った上で

自分を出していかなければですね。




改めて

6/21

お越し頂き、ありがとうございました。
次の日少年は

バイト先に、来月からシフトを

今までの半分にしてもらいました。





一日中いろんなCDを聞き

夜になったら、友達と一緒に朝まで練習。

適当にかけたCDの曲を、2人で即興で弾くという練習でしたが

この練習が、
少年の実力を少しずつ底上げしていきました。

 
 
  
 
 



そしてバイトでは、

少年は、3か月かかりましたが

10万円を貯めました。



 
 
 
新しいベースを買うために。

自分が稼いだお金で、

今のよりもいいベースを使いたいという思いで。

 
 
 
昼はバイト

そのあと、夜から朝まで練習。

 
 
 
 
3か月かかってしまいましたが

何とか貯めて

 
 
 
10万円を握りしめた少年は、ギタリストの友達と共に

御茶ノ水に、向かうのでした。
ファーストフード店で、人生初のバイトを始めた少年は

思っていた以上に雰囲気が良い、この職場で

バイトライフを、楽しく過ごすことになります。



夏休みに入ったこともあり、
1日のほとんどをバイトで過ごし

夜は疲れて寝てしまう。

そんな毎日の繰り返し。

高校時代にはなかった、新しい楽しみと、コミュニティ。

少年は、夢中になりました。

 
 
 
そんな、夏休みも折り返しを過ぎたある日

学生寮で仲良くなった、ギタリストの友達と部屋で過ごしていると

いつもはゲームに付き合ってくれたり
たわいも無い話で盛り上がってくれる友達は

この日ばかりは、真面目な顔で

少年に、語りかけました。

 
 
 
 
 
「お前、最近ベース弾いてるか?」
 
 
 

「バイトと、深夜俺と遊ぶので

一日が終わってるみたいだが

それでプロになれると思うか?」



「俺は別でお前よりもバイトしてるが

こうやって遊んで自分の部屋に帰った後、朝までギター練習してるぞ」




「俺はプロになりたいからね。

お前は、何しに東京に来たんだ?」








少年は

何も言えませんでした。





「ちょっとコンビニ行ってくる」

とだけ言い残し、

深夜の街を歩きに行きました。






情けない
 
最後にベースを弾いたのは、何日前だろう?





高い金を出して専門学校に行かせてくれた親に

申し訳がたたない。




あんなに固く

頑張るって決めたのに…
 




涙が

ポロポロと、とめどなくこぼれました。

 




1年前の文化祭の直前

練習し過ぎで

辛くて勝手に流れたあの涙。





少年は

あの時とは全く違う種類の涙を
 
流し続けました。







部屋に帰ると

友達の姿はありませんでした。

けど、ケータイや財布は置きっ放し。

友達の部屋に行っても、留守の様子。



 
1時間程すると、友達は帰ってきました。

息を切らしながら。




「お前が帰ってこないから心配して、

そこら中探したんだぞ!」

 
少年は「ごめん!」と何度も謝りながら

もう一度やり直そうと

決意しました。

専門学校に入学して最初の夏を迎えようかという頃

少年は、人生初のアルバイトにチャレンジしようと思い立ちました。

 
 
 
理由は

新しいベースを買いたいから。

 

 
 
実家から仕送りをもらってるけど

いくら、父親が高給取りとはいえ

自分の新しい楽器の費用くらいは

少年は、自分で稼いで買いたかったのでした。

 
 
 
とはいえ

元々小心者な上に

人生初のアルバイト。

やりたい所を決め

履歴書はすぐ書いたものの

電話して面接の約束をするまでが

怖くて出来ない…。

 
 
 
毎日その店の前を通りかかり

まだ「アルバイト募集!」の張り紙があるか確認をして

今日こそは…と電話をしようとして
 
気がつけば1週間が経過。

 
 
 

結局少年は

直接お店に出向きました。
 
 
 
 
 

運がいいことに、その場で面接をしてもらい

見事、即採用!

家から近い、某ファーストフード店で働く事になりました。

 
 
 
 
しかし

ここで働くことによって

数ヶ月後

とんでもないベースを買うことになるとは

少年は

まだ、この時点で知る由もなかったのです。
音楽専門学校の

他のベース科のクラスメートより

少年は全く弾けませんでしたが

それはともかくとして

 
 
 
 
少年は、何一つ知らなかった

ベースの基礎を

専門学校で、1から学び始めました。

 
 
 
色んなベースの先生がいて

その先生の数だけ

お手本がありましたが

 
 
 
その中から少年は、

1人のベースの先生の

ベースを弾く時の美しいフォームを気に入り

ピック弾きしか出来ませんでしたが

これを機に、指弾きに転向しました。

 
 
 
 
その先生は

元プリンセスプリンセスのベーシスト兼リーダー

渡辺敦子さん。

 
 
 
副校長先生だった為、あまり学校に居なく

直接指導してもらうことは少なかったものの

見よう見まねから始まり、指弾きを覚えた少年は

ロック以外のジャンルに

どんどんハマって行きました。
 
 
 

JAZZ、フュージョン、ファンク…

色んなジャンルを開拓していくのに比例して

ロックは、次第にやらなくなっていきました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここから10年間

ほとんどロックはやらなくなりますが
 
 
 

10年後

カリスマボーカルと出会い

ロックンロールなバンドを組み

ワンマンライブをバンバンするようになりますが 
 
 
 
  
それは、まだ

ずっと、ずっとずっと先のお話。
そして数日が経ち

初めてのベースの授業の日

少年は、驚愕しました。

 
 
 
20人程でのベース科全員で行われた、基礎的な演奏の授業。

 
   
 
少年は、

全く授業についていけませんでした。

しかし、それよりもショックだったのは

 
 
 
 
20人程いる、他のベース科のほとんどの生徒の腕前が

少年を、明らかに上回ってました。

 
 
 
 
地元じゃ負け知らずというか

茨城では、そもそも

他にベーシストを見たことが無かったわけですが

 
 
 
「(これが、プロを目指す人間達なんだ…)」

「(ていうか、みんなこんなに上手いのにプロじゃないのか!)」

「(それと授業の内容が、何を話してるのかも分からない…)」

 
   
 
 
 
やり続ければ、プロになれる

 
 
 
 
その言葉とは裏腹に

少年は、授業1日目にして

早くも折れそうになるのでした。
「どうやったら、プロミュージシャンになれますか!?」

 
 
 
どんな、カッコいい言葉が返ってくるんだろう。

もしくは、めちゃくちゃ実用的で

「なるほどー!」

ってなるような言葉が返ってくるに違いない。

 
 
 
そんな少年の期待を他所に

先生は笑いながら

「なんだ~そんな事か!簡単!!簡単!!」

と言いました。

 
 
 
少年は

「(え、簡単!?プロミュージシャンって、どうなってるんだ…!?)」

と身構えました。

 
  
 
 

この後、先生の口から発せられた言葉は 
 
一生

宝物として

少年の心に残り続ける言葉でした。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「やり続ければ、プロになれるよ」
 
 



 
 
 
 
 
「(…はぁ?)」

「(…それだけ!?)」

少年は、硬直してしまいました。

 
 
もっと、

「こういう練習をするんだ!」

とか

「ロックスターになれ!」

とかを想像してた中

 
 
 
 
「やり続ければ、なれる…?」

「(そんなの、当たり前っちゃ当たり前じゃないか…)」

 完全に、予想外でした。
 
 
 
明らかに困惑の表情を出していた少年を見て、

先生は笑って言いました。
 
 
 

「まあそのうち分かるよ!」

 
 
 
そう言うと先生は立ち上がり

「もうテラス閉めるから帰れ、

次は授業で会おうな。」

と言い、エレベーターに乗って

消えて行きました。

 
 
 
 
 
 
 
 
 


「やり続ければ、なれる」

 
 
 
18歳の少年には、

まだピンと来る言葉ではありませんでしたが

 
 
 
しかし何故か、印象に残るこの言葉を

少年は、いつまでも

頭の片隅に

大切に、閉まっておくのでした。

休み期間中の専門学校は

当然授業はやっていませんが

生徒に、スタジオ貸し出しなどは行っており

何人かの生徒とスタッフが校内にいました。

 
 
 
その中に忍び込んだ、新入生の少年。

しかし、施設の勝手も分からず

誰かと接触したらバレてしまうと思い

自然と人気のない場所へと歩き

 
 
 
気がつけば、誰もいない屋上のテラスへ。

 
 
しょうがないか、と思い

ジュースを買い

イスに座り

景色が良い事もあり

しばし外を見ながら黄昏ていました。

 
 
 
すると

40歳くらいの男性が入ってきました。

スーツは着てるけど

軽い茶髪のリーゼント。

「(さすが音楽専門学校…先生かな?)」

 
 
 
少年は、緊張しながら様子を見てましたが

その男性は、

少年を見つけると

真っ直ぐ、こちらへ向かってきました。

 
 
 
「(やべ…忍び込んだ事、ばれたかな…)」


少年の目の前で止まった男は

ニカっと笑顔になり

少年に話しかけました。

 
 
 「君、2年生だろ!?」

「…新1年です」

「分かった!ドラム科だ!」

「…ベース科です」

「なんで新1年がここにいるんだよ!!(笑)」

「…いやその…(あたふた)」

 
 
 
「(テンション高いな~何なんだこの人…)」

 
 
少年は、困惑しながらも

隣に座った、この男性と

少しずつ、話をしはじめました。

  
 

話を聞いてみると
 
実は、この男性は今年度から赴任したベースの先生であり

まだ誰も顔と名前が一致しないんだと

男性は話しながら笑っていました。

 
 
 
「ベースの先生ってことは…プロミュージシャンなんですか?」

「そうだよ!」

 
 
少年は、勇気を振り絞って

とてもシンプルだけど

一番知りたかった事を聞きました。

音楽専門学校への進学の為上京した少年は

東京の端っこ、

一駅下れば千葉県になる

ギリギリ東京、という街で

一人暮らしを始めました。



初めての一人暮らし。

家事もしなければいけない。

ご飯を食べたくても、勝手には出てこない。



しかし、自由!



引っ越したものの

入学式までは、半月ある。




少年は

それまでの期間

実家ではプレイ時間を制限されていたTVゲームに没頭し

街の散策

初めての牛丼屋

「ドンキホーテって何…??」

「イトーヨーカドーでけえええええええええ!!!」

「電車の来る間隔短い…!」

全てが新鮮で

全てが面白い。

まるで、漫画に出てくるような冒険が

現実に起こってるかのようでした。



そんな中、茨城から遊びに来た

ギターの春原。

ご飯どこか食べに行こうということで

自転車に、二人乗りをして出発。



ほどなくして、二人は

警察に止められました。



しかし、少年は

何故止められたのか、

本気で理解出来ませんでした。

茨城では、

二人乗りをしていても

全く注意された事は無かったし

そもそも警官がパトロールをする所すら、見たことない。

しかし、警察は

いたって真面目に、

二人乗りはダメだと、説いてくる。



二人乗りは、ダメなんだ…



少年が東京に来て

一番驚いた事は

二人乗りは、警察に止められる

と言うことでした。




そんなこんなで、あっという間に半月が過ぎ

入学式を終え

あと数日で、ベースを背負って学校初登校、という頃




少年は

一足先に、学校に

「偵察」という名目で

忍び込んでみたのでした。
三年生の六月の文化祭を終えた少年は
燃え尽き症候群に陥っていました。

人生の中で
あれだけ短期間で頑張ったのは
初めて。
専門学校に、次に両親と行くのも
8月か9月とあって

過去、中高と部活に明け暮れた少年は
小学生以来初めての
ダラダラと過ごす夏を体験しました。
学校が終わっても
何となく、学校に残り
休日は
昼に起きて、
古本屋かCD屋に通う日々。

友達は、受験勉強で
誰も、かまってくれない。
新鮮でしたが
満足感は、一つも得られない。

そんな夏休みはあっという間に終わり、2学期に。
専門学校の合否が、間も無く出ようかというこの時期
早く卒業して、東京に行きたい。
その想いがますます強くなる
この時期
世界中が、驚く事件がおきました。



2001年9月11日
アメリカ同時多発テロ事件




世界中が
天地がひっくり返ったような
大騒ぎで
日が経てども経てども
全くこの話題は終わらない。
戦争…?

少年は、ただただ、
テレビを見ては、胸を痛めてました。

その年の年末のある日の夜
友人と長電話の後
2階の自分の部屋から
水を飲みに、1階のリビングへ。

少年が1階に下りると
母親がテレビを見ていました。
番組の内容は
中東で、餓えや病気に苦しむ
難民のドキュメンタリー番組。

少年は、
この手の番組が苦手でした。
昔、この手の少し生々しい映像を見て
夢に出てきてしまい
以来、身体が拒否反応を示すようになっていたのですが

この日は、何故か自然と
テレビの前に座り
夜遅く、次の日も学校なのに
テレビを見続けました。

湾岸戦争は10年近く前の話なのに
未だ、その傷跡は残っている。
経済的だったり、病気が蔓延するとか
理由は様々でしたが
少年が理解出来たのは

戦争の被害者は
いつも弱い人達なんだということ。

その番組の中で、少年が
2年前に聞いた、寺内タケシの言葉と同じくらい
生涯忘れられない言葉を
テレビの中の、難民の子供の口から聞くのでした。




「すごく豊かじゃなくていい。」
「家族みんなで、元気に生きていければいいんだ。」
「でも、それは難しい事なんだ。」





自分の、半分くらいの歳の子供が
日本に住んでいる少年からすれば
ごくごく当たり前過ぎる事を
難民の子供は
心から、願っていました。

少年は、ショックでした。

自分にとっては、
当たり前の事だ。
家族が仲が良くて
ちょっと病気になっても
すぐに病院にいけるし
1日3回、必ずご飯を食べられる。

でもこの番組に出てる人達は
死ぬ事が、身近にある。

番組が終わって、母親がテレビを消しても
少年は、呆然として
その場から動けませんでした。

その姿を見た母親が、
ゆっくりと、少年に話しました。

「あなたは、夢である音楽で生きていくことを目指すわけだけど
夢を叶えたくても
さっきみたいに
生きる事で精一杯な人が
世の中には、沢山いる。」

「どうせ、プロを目指すなら
売れて、売れて
とても豊かになって
そのお金で、貧しい人たちを救いなさい。」

心の芯に
母親の言葉が響き
この瞬間少年の目標は、
完全に決まりました。

一つは
めちゃくちゃ稼げるミュージシャンになる。

一つは
誰もやった事のない、音楽のジャンルを
創り出す。

一つは
かつての自分のような、夢を持たない人間達に
いい影響を与え、夢を与えられるような
そんな人間になりたい。

最後の一つは

売れたお金で
貧困をなくす。

多分、一生かかるだろう。
少年は、何となく思いました。

けど、
やるからには、大きく。
右へ習えは
嫌だ。

とにかく、
まずは、音楽で売れたい。
そして、貧困を無くすなんてのは
ちょっとやそっとの金持ちじゃ
出来ない事だろう。

なんにしろ、


豊かになりたい。



かくして
壮大な目標を胸に
少年は、進学先がある
「大都会 東京」に
数ヶ月後、単身旅立つのでした。

~第一部 完~