ダイダラボッチ(と天目一箇神) | 不思議なことはあったほうがいい

  いつも成田方面にドライブするときは、印旛沼の近くを走り抜ける。

 手賀沼とか・霞ヶ浦とか近くの湖沼とならんで毎年毎年、水質汚染の話題が持ち出され心配されるが、ものの資料によると、この印旛沼は、できたときからキタナイ話があった。
 曰く、印旛沼は「ダイダラボウが立小便したときの穴」なのだそうな。

 このあたりにはそういう土地がやたらあって、安食の龍角寺というお寺にはそのふんばったときの足跡があるとか。大巨人はそのとき土の塊を背負っていた。紐がきれて落っことし、それが同町にある大鷲神社の裏山なんだと。
 巨人が山や沼やくぼ地を作ったンダという話は全国にあって、もっとも壮大なのは甲府からごっそり土を掘り出して(その跡が甲府盆地)、そいつで富士山を作ったとか、いや、掘り出したのはもっと西のほうからで、その跡は琵琶湖になったのだよ、という話もある。で、とにかく富士山が一人勝ちなので悔しがった浅間山が嫉妬して大噴火した。また、筑波山とどっちが重いかと思って天秤で比べようとしたら、紐がブッツリ切れて、筑波が落っこちた。その衝撃で山が二つ(男岳・女岳)に割れちゃった‥。

(→筑波山つながり「滝夜叉姫 」)
 茨城といえば、僕の大好きな奥久慈のほうに「三太」なる巨人の伝説があって、南のほうからやってきたというなぞの巨人・三太が、開墾にこまっていた村人から大飯もらって手伝ってくれたという。その記念(?)の石像が近くの温浴施設にあったのを見たが、とてもじゃないが富士山背負えるほどにはみえない。まあ、お話には尾ひれがつくから、巨人のサイズは伝えによってだいぶことなるんであって、その大きさの数字はあんまり考えてもしょうがないじゃろ。

 茨城の巨人といえば、おなじみ「常陸国風土記」那珂郡に「いにしえ、人あり。かたち極めて大きく、身は丘の上にいながら、手は海浜の蜃をくじりぬ。その食らえる貝、積もりて岡となりき。時の人、大くじりの義をとりて今は「大櫛の岡」という。其の踏みし跡は長さ四十余歩、広さ二十余歩、ユマリの穴の径は二十余歩ばかりなり」とあって、つまり、足の大きさの半分くらいの小便の穴をこさえるという。雪の日に積もった上に立ち小便をするというのは男子小学生が一度はやったことのある軽犯罪であろうが、それを思い浮かべるとそれでも、だいぶ巨人どのはためておったんだな、そこらじゅうにやらかしたら迷惑だもんなあ…などくだらない妄想をするのであった。櫻井  印旛沼をこさえた小便犯もこの人かなあ。


  風土記つながりで「播磨国風土記」託賀郡のところにも大人(おおひと)の話がのっていて、この人は背が高いので、いつもかがんで歩いていた。「南の海より北の海に到り、東より巡り行きし時この土に来到りていえらく、「他の土は卑くして常にまがり伏して行きたけれども、 この土は高くあれば伸びて行く。高きかも」といえり。それでそこをタカの郡というんだって……なんか以前「餅的 」で北九州の地名の由来をツラツラ書いたが、地名ってほんとオヤジギャク的につけられたことになっているんだなあ。ほほえましいかぎりじゃが、で、この播磨の巨人の「踏みし処、所所に沼をなせり」ということで、やっぱり土地にかんする話もあった。

 

山とか沼とかいう土地を作った、というのだから、これ国土創生の神様であり、イコール大山津見神の零落ともとれるが、一方でダイダラボウはタタラ法師の訛りで「タタラ製鉄」業と関係があるという説もある。ちょうど鉱山・金山などの近くにダイダラボウ伝説があったりして、かの那珂川のあたりにも、金がとれた(そいで今では温浴施設があったりする)。

 タタラを踏むときに力をいれるのでその片足が強調される。また、製鉄業者はその精錬具合をみるために片目をいためる。だから製鉄の神は片目・片足であるという。

 さきの「播磨国風土記」の同郡には天目一箇命という神様がでてくる。道主日女命という土地の女神が父なし子を産んだ。酒宴のとき、その子が天目一箇に酒を奉ったので、彼がオヤジだということになった、そしたら土地が荒れてしまった……『日本書紀』天孫降臨の一書に、帰順した大物主(大国主と同一?)を祀ることになったさい、天神・高皇産霊から「作金者(かなだくみ)」に任命された神さま。これすなわち鍛冶の役ということで、『古語拾遺』では天岩戸事件に際して「雑刀、斧及び鉄鐸を造らし」めた(『古事記』では「鍛人・天津麻羅」)。この天目一箇は、名のとおりの一つ目の神様で、また、一本足であるという。「風土記」の地「天目一神社」に祀られるが、また、伊勢の多度大社・一目連(むらじ)神社の神様もこのかたという(伊勢忌部氏の祖先なんだと)。この「一目連(れん)」は聖・水木しげるの本では一つ目の竜形妖怪として紹介されていたりして、こいつは暴風雨をもたらす怖い奴。逆に嵐のときこの一目連に祈ると助かるという話もあったりする。ふいごで空気を送る動作が「風」を造る行為としてイメージされたであろうか…。

 そんなこんなでダイダラボッチ=製鉄というつながりで、宮崎アニメ『もののけ姫』にはデイダラボッチがでてくるんだへえ。あれは森の精だけれど、文明の象徴・製鉄業者に「神殺し」される=土地が荒れる。そういう意味があったんかな。


 しかし、そこで、どうして巨人と一つ目が結びつくのかが謎。

 ダイダラボッチが一つ目だったとは「風土記」にはでてなかったとおもうし。

 ダイダラボッチたちは常に旅をしていたようだから、体内磁石をもった渡り鳥を追いかけながら、製鉄技術者が旅したその道筋に話をおとしていったんだ、もとは製鉄業者たちが持ってわたってきた西洋の伝説がはじまりなんだ…となるとこれは宗像教授の説になってしまう…。これでは説のための説明になってしまうようで。。。

 

 一つ目といえば鎌倉権五郎で、この五郎はもとは「御霊」で、じつは九州の大人・弥五郎の五郎も同じなんだとか、巨人がずっこけて、尻餅ついた、くやしくて手足をジタバタした=ジタンンダ踏んだ=地・踏鞴踏んだ=じだたら坊、その尻あとが池になった……とか、面白い話まだまだあるんだが…巨人と一つ目と製鉄はそれぞれ別々なものが、歴史の流れの中でひっついていったんだと考えたほうが私的にはシックリくるんだが、その筋道は……あと、『古事記』の天麻羅というなまえが天のマラ=男性器という解釈をする話もあるらしいが、それやちとカンケイないじゃろう。むしろ朝鮮半島に多い<○羅>系からきてるんじゃねいかなあ。とか。

 まあ偉い学者さんにもわからんのだから、俺にわかるわけねーや、ヘッキシン!!