がんばり入道 (厠神) | 不思議なことはあったほうがいい

 人がおトイレに入っているとにょほ~と覗き見するいやな奴。……江口寿史のギャグマンガ「すすめ!パイレーツ」では、犬井さんたちが劇画調になると「がんばり入道みたいだ」として、登場する(ナンノコッチャ)

 おなじみ48聖典・鳥山石燕『今昔画図続百鬼』などによると、大晦日の夜に「加波理入道ホトトギス」と呪文をとなえると、一年間トイレで妖怪にあわない云々。中国で厠神を「郭登」、すなわちホトトギスの「郭公」と同じ字をつかうので、こういうのだろ。「郭登」は「遊天飛騎大殺将軍」といって人々に福をもたらすんだと。……ン? てことは「がんばり入道」っていうのはむしろ、おトイレに現れる妖怪を食い止めてくれる神様のことで、悪い奴じゃあないんじゃないか? 石燕の絵では、このにょほ~とした入道がトイレの窓を覗いているが、その口からホトトギス(つまり神様の使い)が飛び出している。ところが、水木サン『日本妖怪大全』の絵では、ホトトギスはいなくなり、にょほ~入道はフッと息をはいているだけ、それで手ぬぐいがふわっとなって、そこで用足ししてたオトメがキャーって絵になっている。つまり厠の守り神が、妖怪に零落しているのだ。これ、水木サンの改変でしょうか? 少なくても江口版がんばり入道……すくなくても同世代の人には妖怪として水木サンキャラが浸透していた……(僕も石燕の絵をみるまでただのエッチ妖怪と思ってました)。じゃあ、がんばり入道の本当の姿はどうだったんだろ?? 


 なんでも、便所神(厠神)のもとは、中国の「紫姑神」であるという。本妻にいじめられた愛人が、トイレに閉じ込められて殺され(自殺とも)、その霊がトイレにとどまって不思議なことをおこすので、ねんごろに供養した。正月15日に彼女をかたどった人形をもちいるのだとか。これが後に神様として各地であがめられることになったんだ……と。

 ところで、日本各地の厠神は、どういうわけか男女のペアになっている……秋田では土製、島根ではとうもろこし製。別名「閉所神」……ってことは、厠神はすくなくとも、日本では孤独な存在ではなく、相手がいるんだ。(道祖神のパロディともいえるが)

 がんばり入道はどうみても男一人だが、同様に、現代のトイレ怪談「トイレの花子さん」「赤いチャンチャンコ」「カシマレイコ(トイレバージョン)」「紫ババア」「赤マント」……これらはみんな孤独な妖怪のようだ。こっちは女性が多い。とにかく、ペアではない。イレにいるモノとトイレに入った者とがペアになっているとみてよいのではないか 孤独な「紫姑神」のためにあえて相手を作ってあげたとも考えられる(昔、未婚のままなくなった人を供養するときは、相手に相当する人形などをつくってなぐさめまつったという話もあるし)。けど、記紀神話好きの僕は以下の可能性も考える。


 神武天皇が見初めたヒメ・タタラ・イスケヨリ姫は本名をホト・タタラ・イスケヨリ姫という。「ホト」っていうのはつまり女性の性器のことで、そんなのカッコワルイので改名したんだと。なぜ、そういう名前なのかというと、彼女のお母さん、「セヤダタラ姫」(三島ミズクイの娘)が、川で用足ししていると(野○○ではなく、おそらくカワヤであろ)、上流から丹塗の矢が流れてきて、彼女の○○○をつっついた。実はその矢は大物主神で(大国主のニギミタマとされる)、やがてそれで生まれたのでホトの字をつけた。で、彼女と神武の間には三人の皇子が生まれ、そのうち末っ子の神沼河耳(別名・健沼河)が2代綏靖天皇。

 大物主はこのほか、イクタマヨリ姫に夜這いして昼間は顔をみせなかった。紐をくっつけて後を追ったら、神様であるとわかった。そのとき紐が三把しか手元にのこらなかったので、山を三輪山とよんで、大物主を祭った。二人の子孫が10代崇神天皇のとき三輪山をマツる初代神主に任命されたオホタネコ。

 『日本書紀』ではその役目は、孝霊天皇か孝元天皇の娘といわれる、ヤマト・トトヒ・モモソ姫がしたのだが、彼女は大物主をマツる巫女であると同時に、大物主の妻でもある。夜しかみせない夫の姿を昼間こっそりみたら蛇だった。夫に恥をかかせたお詫びに、彼女は箸で、性器をつっついて死んでしまう。彼女を葬ったのが箸墓とよばれる……(ちなみにヤマトトトヒモモソ姫は卑弥呼ではないかという説もある)。→モモソヒメつながり……

 この三つの話は三輪山=大物主をマツることになった由来を語るいくつかのバリエーションで基本はいっしょだろ。神武と崇神はじつは同一人物ではないかといわれるが、なるほど、たしかに、神武の皇子・健沼河は神武の腹違いの兄弟の反乱を鎮める。崇神も腹違いの兄弟に反逆される。崇神の孫で、四道将軍の一人に同名の「健沼河」というのがいるし。だから、神に見初められた姫、神をまつる神主・巫女、天皇の側近という性質が散らばっておる……省かれているけれど、イクタマヨリ姫もヤマトトトヒモモ姫も、大物主との出会いは用便中の川=カハヤであったんじゃないのかな? 厠=川屋は川の上にたてられた掘っ立て小屋で、母屋と離れているし、用がなければ人はこない。誰か使っていれば、しょうがないから「野」ですまそう……ってことになるから、あんがい格好のデートスポットではなかったか??

 

 応神天皇の時代、イヅシオトメという美女がいて、秋山シタビと春山カスミという兄弟が、彼女のハートを射止める勝負をする。弟のカスミは魔法の弓矢をオトメのトイレにおいておき、彼女が「?」とおもってもって出たところ、カスミがあとをつけて、「その屋に入る即ちマグワイす」。賭けに負けたのに兄貴は約束の賞品を出し渋ったので、弟の呪いでこらしめられる……という海幸・山幸の変形バージョンのような話。これ、やっぱトイレ。「この屋」というのは母屋と解釈されるけれども、トイレの小屋そのものでもちっともおかしくない。トイレでヤッチャッタ ってことはないかな??

 エロ・ビデオやエロ・マンガでよく、トイレの個室であっはーんうっふーんとやっていて、ほかの利用者にばれないようにするスリルを楽しむ……的モチーフの話があるが、昔はそういうの実際にやっていたんじゃなかいな??

 事情をしらないとくに子供なんかが、通りかかって、トイレからヘンナ声がする! お母さん、あれ、誰か居るの? お母さん困って、「あれはねトイレに神様がいるのよ」、あるいは「あれはねトイレにお化けが居るのよ」……「とにかく近寄らないの、さあいきましょう!」………………。そうしたら純朴なボクちゃんはトイレに一人で夜でかけるの怖いよなあ!!

 それではウンチができなくて困る。そこで考えた。「加波理入道ホトトギス」。これでトイレに怖いものは現れません。

 厠が男女の出会いの場であるとするならば、出産において、箒神・竈神とならんで、厠神が必要なのもナントナクなっとく。

 カハヤにて体内からでたキタナーイものを流すということは、これ、禊・祓に通じる。トイレ掃除をすると運がよくなるというのが最近はやっているが、ウンを流したらダメチャンとおもっていたが、ウンを流すのではなく、汚れを自ら清めるのだ、としたらナットク。トイレは神と人の交信の場=神聖空間だった! ただし、どんなヘンテコでもどんな悪さをしても、マツラれればそれは神様になるし、怖がってやっつけることを考えだしたら妖怪になる。現代トイレは圧倒的に妖怪空間である。

 ちなみに、現代都市伝説のトイレ系妖怪は、これにプラス、学校のトイレでウンチをするとクラスメイトに攻撃されるので、トイレにゆかない口実を考えた……とか考えたが、時間がないのでまた今度。