NHKさんの取材で、
はじめた頃から
ふり返ってみよう企画で書きます(^-^ゞ
改めて山形時代を振り返り書くのはなかったので、(ちょこちょこあったけど)
知ってる方も知らない方も
ざっくりと長くなりますが
いきまーす\(´▽`)/
山形県米沢市出身
初めて飛んだのは10歳の時、
小学生の大会を見に行き間近でジャンプを見てかっこいいと思って
やりたい!と。
初めは松川小学校の山で自分達で作った2、3メートルのジャンプ台が初飛び。
男の子に混ざってアルペンスキーで誰が一番飛ぶか毎日競って、
冬は毎日放課後が楽しくて仕方なかった\(^-^)/
6年生で、ジャンプスキーを初めてはく。
広幡小学校一郎山のスモールヒルを飛び、感覚の違いにとまどう。。大転倒
アルペンと違ってかかと上がるからね
リベンジしても何度もでんぐり返し。。
泣きながら練習し続ける
飛べるようになるとまた楽しくなる
中学生からスペシャル兼コンバインド選手として開始。
まだ女子の大会はできていなかったので、
全部男子に混ざって参加。
<少年の部>だから女子はダメと言われて断られる大会も多々。
冬シーズンは市の大会しか参加できないし、
冬で30本飛べればいい方だった。
(今じゃ3日~5日くらいの本数。。。)
中3の時は男子に混じって市の大会で優勝!したのだけど
全国中学が女子は出れないから、県大会の権利ももらえず。
女子だから大会に出れない。
悔しかった。
早く戦う場所が欲しかった。
そんな時にFISレディースグランドツアーが出来て、
いずみさんと賀子ちゃんが遠征に行った記事を見る。
女子でも戦う場所がある!
うまくなって絶対世界で戦いたいと目標ができた。
しかし高校生の時もなかなか練習環境がなく。。
お父さんが車を走らせ、行ける週末に秋田の鹿角や、長野の白馬に連れていってくれて練習できるようにしてくれた。
手をふってくれたりビデオとってくれた。
冬は名寄と雪印杯が女子の部でき
それ以外はテストジャンパーとしてやらせてもらえる場所に行き飛ばせてもらった。
お父さんが協力してくれなかったら、
なかなか飛ぶ機会もなかったし、競技から離れて辞めていたかもしれない。
夢を応援してくれて協力してくれて本当に本当に感謝してます
もっともっとジャンプが飛びたい、うまくなりたいと、
ジャンプ台が市内にある札幌に行きたいと決意。
札幌大学スキー部に入部し、
ジャンプが身近で練習できる環境に感動する。
女子の部も徐々に増えてきて
初優勝は大学二年生宮の森市長杯。
札幌来てすぐ練習中に右膝前十字靭帯断裂してしまい
(高1の頃は左膝前十字靭帯断裂)
(社会人1年目で左膝全十字靭帯再断裂
)
約10ヶ月リハビリ後の優勝でした。
また飛べない時期があってもどかしかったけど、乗り越えて
いいジャンプが出来て
すごく気持ちよかったし、初めて一番になり本当に嬉しかった(*^o^)/\(^-^*)!
ラージも今じゃ小中学生が飛んでるけど、
初飛びは二十歳でした。
そして二十歳で初めてレディースグランドツアーをまわりました。
札幌に来てから、
技術面でも沢山吸収できて、
沢山練習する事が出来て、大会も増えてきて
大事な仲間も増えて、
良い変化をしていきました。
先駆者のいずみさん、賀子ちゃんはもちろん、
私に限らず、本州組は金井理恵子さん、鈴木奈美子、かべえりなも同じ経験をしてきた。
いつ辞めてもおかしくない状況で、
みんなが各地で頑張っていたから 自分もがんばれた。
たまに会うのが嬉しくて。いつか戦う場所が沢山出来ると願って。
いまは日本では女子ジャンパーは小さい子も混ぜると50~60人くらいに増えています
大会も男子と同じだけ増えました!
世界選手権、ワールドカップもできて、
オリンピック種目にも決まり!
現状で夢を追いかけていくことに、悩んだこともあるけど
(一人暮らしだから普段の生活もあるし活動費もかかるものだし、バイト増やさねば)
でもやっぱりジャンプが大好きだし
オリンピックへの夢を絶対叶えると信じて進んでいます!
今は前を向いてガンバルのみ!!
中学から振り返ると、これが日常だったので、
辛いとかではなく、
飛べるだけでも嬉しいという感覚でした。
だから今の女子ジャンプは
当時では考えられないほど
すっっごく良い環境になっています!!
ありがたいことです。
慣れてしまうのではなく
改めてちゃんと大事に飛んでいきたい と感じました。
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