ニューヨーク狂人日記


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$ニューヨーク狂人日記

(なにを今更…、なんて言われそうですが)
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☆amazon.com内でのタイトルは
"My Life on the Street in NYC - a story of homeless Japanese"
(あいにく、日本語表示ができません。
また、Condition=Usedとしか表示されていませんが、正真正銘のNewです)



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2004年11月~2010年3月のブログ記事は
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それどころじゃないだろう


熊本・大分に15万人
東北に17万人

日本の総人口は1億2700万人

0.25%と書くと
大した数字に見えないかもしれないが

日本人の400人に1人が
今、現在避難民として
避難所、仮設住宅に暮らしている





早い方がいい。
まだ間に合うかもしれない
オリンピックいらない

ユ・メ・デ・ア・エ・タ・ラ

http://www.myvi.ru/watch/s0RTIWZfS0yKdToB7xInCw2
(動画の埋め込み方がわからないのです……)

いや~、いい番組でした。

♪みんなゆ めだよ……♪
(18:05あたり)

大瀧さんの
大きなの足跡のひとつ。

♪みんな ゆめ(夢)だよ……♪
じゃないんだよねん。

日本を変えた人ですね。

別にファンとかではないのだけれど
薬師丸さんの透明な歌声に
「ほっ」としたりもします。

井上鑑さんをはじめ贅沢過ぎるスタッフ。
A LONG V-A-C-A-T-I-O-N
♪ジャッジャ ジャジャジャ ジャッジャッ!♪

圧み
厚み
熱み

そんな録音風景を夢想させて頂きました。
ありがとうございます。



桜も終わったポートランド
花粉症の皆さん大変なようです。

そのチラチラが邪魔なんだ

美味い揚げだし豆腐の作り方だとか。
うずくまる猫くんの目に映るものだとか。
車のミラーの死角にある視覚と四角の問題だとか。
どうやったら、早く、的確に酔っぱらえるだろうかとか。
そんなことを考えたりするほうが性にあっている。
とくに文字にするならそっちの方が断然いい。

政治だとか、社会だとか。
考えはしても、文字にするのは面倒。
第一、薄っぺらな知識・情報だから
突っ込みどころ満載で人を喜ばせてしまう。
人のためになることはあまり得意じゃないから。
好きな本のタイトルに『意地悪は死なず』というのがある。

それでも、「これ見逃しちゃだめでしょ」。
そんな気持ちで、本当に久々に前回は投稿をした。



「安部総理は息をするように嘘をつく」
そんなことを言う人がいる。

どうなんだろう?
嘘に聞こえるかもしれないが
嘘なんか言ってないんじゃないんだろうか。
ただの見識の違いで。

人は点を攻めてくるが、
彼は線(あるいは小さな面)で泳ぐ。
その点を攻めると、
剣道ではないが、面で返してくる。



少し前になる。
2013年のことだ。
テレビ番組に出演した彼は明らかな嘘をついた。
(誤まりとも取れる情報を与えた)
自民党の憲法改正草案:9条に関するやり取りで
「9条1項は変えていませんよ」と明言。

一時期ネットで話題になったので
覚えている人もいるだろう。
そして今回。
憲法93条に関する参議院予算委員会でのやりとり。

2回目となれば、
自分への覚書きとして残しておこうと思って。



この人の喋り方。
実に貫禄がない。
論破するには早口しかない。
そんな迷信じみたことでもあるのだろうか?
「ま、頭のいい人ではないね」
そんな喋り方だ。

ポロっと出てしまう
野次であったり、失言であったり。
意外と正直なのかもしれない。
飲み屋で話し、別れるくらいのつきあいなら
「よく喋ってうるさかったけど面白い奴だった」
で終わるのかもしれない。

彼を表現するのに最適な言葉を探すに
辿り着くのはいつも同じ場所。

姑息

言葉本来が持つ辞書的な意味は別なのだけれど、
現在、一般的に認知されている意味で
この言葉しかぼくには浮かばない。



すべてを書き込まれた文章というのは
どこか窮屈で面白味に欠けたりする。
空想の余白、アソビのあるものが個人的には好きだ。
あえて結末が書かれていない読後感に浸っている時。
そんな時間を楽しみたいだけに本を読んだりする

「映画にするなら短編」
ずっと昔、そんな話を聞いたことがある。
制作者が腕をふるえる幅が残されているからだろう。

文章はものによって読み方を変えなければならない。
原発関連の実践的資料にアソビや余白があってはたまらない。
運転免許読本中、赤信号の新解釈が出てきたらどうだろう?
赤信号の新解釈は
信号無視真っ最中の本人の頭の中だけ。

安倍さんは日本国憲法を小説的に読む。
そうして私家版・小説 日本国憲法を出版したくて
うずうずしてたまらない。
行間に無限の可能性を見出すことの出来る一冊を。

絵の方が似合っている。



政治家の仕事のひとつに
「絵を見せる」というものがある。
政策であったり、
国の進んでいくべき道であったり。
様々な絵を描き、人々に見せながら
誰もが理解し納得のできる一枚を描いていく。

様々なやりとの中、
描き足したり
絵の具を削り取ったり
重ね塗りをしたり。
そんなことを繰り返しながら
細部までじっくりと描き込まれた絵でならなければならない。

画才、
それは政治家に求められる資質であり、
使命であると僕は思う。

ある意味、画才はあるのかもしれない。
抽象画とまでは言わない。
だが、彼の描く、提示したい
日本国憲法という一枚は。



雨上がりの朝、
霧に包まれ見通しの悪い林
数十羽の鳥が群がっている
遠くに連なる山々の頂きは雲に隠れ
濁流となった川の流れはまだ少しだけ早く
川底が見えない
川辺に出てきた女達は
体でも洗っているのだろうか。
あちこちにモザイク処理が施されている。
あのチラチラの下はどうなっているんだ!?
見せてくれ!



かといって、
引退後、芸術家デビューするほどの才もなさそうだ。
細川元総理のように。

せいぜい、
古びた茶碗をお友だちに見せながら
「どうだい、この稲妻を思わせるひびの入り方は。
素晴らしいと思わないかい
武蔵野雷椀という銘にしたよ」
その程度のことだろう。

たらのレバー

お久しぶりです。

世界は広い。
ですね。

「たら」&「れば」で語ることを色々という人もいます。
世には「タラのレバーオイル煮」なんていうものがあるとか。

ま、そんなとことです。


ここのところアメリカのGoogleで急上昇の検索ワード。
"How to Move to Canada?"
ま、トランプ氏が大統領になったら
ぼくも「日本に帰国しようかな~」とは思っています。

でも、日本でもね~。

さて、どうしよう。

インターネットのおかげ。
アメリカでも日本のTVを見ることはできます。
もちろん新聞だって。
でも、個人的にはラジオが一番かな。
高●さんの一件があってもラジオは元気だな。

で、ちょっと気になったことを。
今回は事実、
というよりも話されたこと、書かれたことを
ただ、そのままに。



*前半は室井さんの「尻が垂れてる」
とかそんな感じの話題です。
15:10あたりから気になる箇所が始まります。

「面倒だなぁ~」
と、思う方のために一応下にテキスト化してます。
(長いですけど)
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
[出演]
大竹=大竹まこと
小林:小林節(慶応義塾大学名誉教授・憲法学者)
室井:室井佑月(小説家)
大田:太田英明(文化放送アナウンサー)
飛永:飛永翼(お笑いコンビ「ラバーガール」)






大竹:わざわざ番組の方で「自分達じゃちょっと -これ問題解決つかないな-」と思って、小林節さんって方にお電話して「出て頂けますか?」って訊いたら、快く引き受けて下さって。え~、なぜ引き受けてくれたかっ?ねの前に太田さんからそのあらましをちょっと先にお願いします。

大田:はい。今日の天声人語の記事なんですけど、朝日新聞の。
あのー、一昨日の参議院予算委員会で民主党の大塚耕平さんが憲法草案、自民党の憲法草案について取り上げたんですね。で、憲法13条には、今の憲法ですが『すべて国民は、個人として尊重される』。個人として尊重されると書かれているんですが、自民党の憲法草案には『人として尊重される』、人として尊重される、「個人が人に変わってるんですけどもこれはどういう意味ですか?」と総理に正したところ、「さしたる意味はない」という風に答えたんですが、「じゃあどうして変えるのか?」と、これは、その「自民党のその個人主義が、こう、『今まで行き過ぎている』という考え方から憲法を変えたいという思いがこれに反映されているんじゃないか?」という天声人語なんですけども」

大竹:でも国会の答弁ではそれについて答えなかったんで「それはどういうことなのかな~?」と。

室井:人っていうのは結構、みんなってことじゃない?個人っていうのは本当に個人。自分……

大田:はい、そのあたりを慶應義塾大学・名誉教授の小林節さんと今電話がつながっております。

大竹:もしも~し。

小林:はい、どうも。

大竹:あ、どうも。

室井:先生、こんにちは。

小林:こんにちは。

大竹:あ、お忙しいとこどうもありがとうございます。

小林:いいえ。

大竹:えー今話題になっておりますですね。昨日の国会の質問だったんですけども。

大田:(一昨日ですね、はい)

小林:はい

大竹:あのー、この『個人として尊重される」っていうところが、こう、『人として尊重される』という風に。あのー、人として尊重されるが個人に変わってるんですよね。

大田:個人が人に変えようとしてるってことですよね?

大竹:これ、どういった意味があるのかちょっと知りたいんですけども。

小林:はい。あのー、30年間も自民党とつきあいましたけど、それ、すごい議論になってましてね。大日本帝国憲法から日本国憲法に変えたことによって、個人主義が持ち込まれた結果日本という社会がばらばらになって変な犯罪も起きる、というような議論がずっとなされてきたわけですよ。

大竹:はぁ~……。

小林:だから、この個人主義の行き過ぎを治めるために、むしろ、全体主義と言ったら露骨ですけれども。あの、社会を中心に考える、だから、一番大きな社会は国だから愛国心を憲法で義務付けるとか。あるいはそれが駆逐されたら一番小さな社会=家庭を大事にすることを憲法で義務付けるとかね、そういう議論の一環として、あのー、彼らは思いを込めて《個》を外したはずですよ。僕はそれ目撃してますから。

大田:あのー、安倍総理が国会の答弁で「さしたる意味はないと承知している」という風におっしゃいましたが、これはその言葉通りに受け取っていいものでしょうか?

小林:あの、安倍さんの答弁っていつもですね一番肝心なところははぐらかして答えないんですよね。どうしてそれをね、今私が言ったように、賛否は別にして堂々とね「だから個人主義の行き過ぎを自分らは直したいんだ!」と言って議論をすればいいのに、内輪の会合では「個人主義はいけない、いけない、いけない」って言っていながら一番公のところで、「いや、別に意味はありません」。これ、卑怯ですよね。議会人じゃないですよ。

大竹:あ、そう。じゃ、党内ではこれはすごい議論になってたことなんだ。

小林:そう。思いを込めて《個》を削ったんですよ。

大竹:あ、そんなに深い意味があったんだ。

大田:う~ん。

小林:そうですよ。

大田:あと、小林さん。憲法13条で、現在の憲法では『公共の福祉に反しない限り最大の尊重を必要とする』と書いてありますが、これを『公益及び公の秩序に反しない限り』変えようとしているんですけどもこれにはどういう意味合いがあるんでしょうか?

小林:あの、この《公共の福祉》というのは本来もっと広い意味だったんですが、戦後、日本の最高裁の判例で「公共の福祉とは他人の人権とぶつかった時だけ人権が遠慮します』と、狭い意味に限定されているんですね。そうすると、他人の人権にぶつからなくたって、例えば「そんな看板かけたら、表現の自由かも知らんけれど景色悪くなるじゃん」とか要するに個人に還元されないもっと大きな公益にぶつかって遠慮してもらわなければならないことがあるわけですよね。例えば、「デモ隊がギャーギャー言って国会が静かに審議できない」、これ、個人の人権じゃないですよね。

大竹:うん。

小林:という時も規制できるように人権の規制範囲を広げる動機です。こんなの自民党の●●(聞き取り不能)で明確に言われてますよ。隠すことないのに。

室井:えっ!て言うことは、あの~逆に言うと私達個人の権利がすごい少なくされるってことですね。

小林:そうでしょ。だって、彼らは自分たちを言えば(?)世襲貴族と思って、世襲貴族が国家を管理して有象無象の下々が「なんかガタガタやるから管理しなきゃ」、なんかそういう感覚になってるんですよね。

大竹:あの~、憲法っていうのは何か、あの、何か国会をちゃんと縛るためのものですよね?

大田:権力を縛るためのもの。

小林:そうだ、当たり前ですよ。ジョージ・ワシントンが作ったんで、我々不完全な人間ですから民法・刑法に従わなければならないように、不完全な人間が権力を持ったら、だいたい汚職ってあるじゃないですか?だから憲法で縛るというのが元なんですけど、ただ、自民党が「憲法で国民たちを躾ける」という発想があるんですよね~。

室井:えーっ!ひどい。

大竹:だから、これ見ると国会議員じゃなくて国民の方向いて何か縛りがかかってる……。

室井:そうだよね。逆じゃないの?

小林:そう、そう、そう、そう。だって99条の憲法尊重擁護義務が今、政治家以下のだけじゃないですか?それが、あの自民党の102条だったかな?そこでは『全国民が憲法を守る義務がある』となっているんですよ。これ、驚天動地、世界の非常識ですよ。

大竹:うん、でも、あのー(小林)節さんは元々は改憲論者でいらっしゃるわけですよね?

小林:今でも改憲論者ですよ(笑)。

大竹:は、は、はい……。それで、どういう、こういう自民党草案じゃなくて「やっぱしこの国のかたちはちゃんと憲法は新しくしなくちゃならない」っていう風にお考えになっていらっしゃるっていうことですよね。

小林:だって、例えば今回僕らが《戦争法》という法律ね。あの、憲法9条のもとで作られちゃったじゃないですか。

大竹:はい。

小林:はっきりしてないからなんですよ。たとえば〈海外派兵は同盟国からの要望だったら参加〉することになるから国連の安保理決議があれば世界の警察じゃないですか。


大竹:そうですね。

小林:〈そういう時に限り行く〉とか書いてあれば今度の戦争もできなかったわけですよ。

大竹:なるほど。

小林:だから、できること、できないことをもう少しはっきりとね。

大竹:うん。

小林:「良い憲法です、もっとはっきりと書き直しなさい」というのが私の改憲論なんですけども。

大竹:はい。

小林:それで自民党に改憲論者と思われて、呼ばれて意見の違いでずっと闘ってきたんですよね。

大竹:なるほど。

小林:だけど、最近決裂して追い出されちゃった。

大竹:小林さんはこの前の国会前の、あのデモにも参加なさったんですか?

小林:はい。行って(?=聞き取り微妙)ますよ。

大竹:あの、SEALDsの方ともお話なさってる?

小林:はい、親しいですよ。

大竹:あのー、この国の行く先が。ま、政権はねその時々でいろんなことやりますけど、ま、一番基本になるのは憲法ですよね?

小林:そうですよ。憲法が右回転で変わってしまったら大変危ないことになる。でもね、ギャグみたいですけど「憲法に何て書いてあろうが関係ない」と言って勝手なことをする自民党がですね。

大竹:はい。

小林:もっと自分たちの思い通りに憲法を改正しようなんてんだから恐ろしい話ですよ。

大竹:あのー……。「家族仲良く」なんて言われてもね~。

小林:そう、そう、そう、そう。

大竹:夫婦げんかもしますね~。

小林:そんなの勝手でしょうか。

室井:えっ、でも憲法ってさ「その国がどういう国であることか」だよね。

大竹:うん。

小林:そうですよ、夫婦が仲いいなんて憲法の話題……

室井:なんでそんなこと言われなきゃならないのか、ようわからない。

小林:いや、ですから、自分たちは王様と貴族で「下々の人民がどうも行儀悪いから最高法で躾けよう」という。これね基礎的な教養の欠如なんです。

室井:へぇ……。

大竹:え、私、私達にそれがないと?こう、おっしゃる?

小林:いや、権力者達にないんです。また、それを我々一般国民がきちんと反発するだけの常識が最近までなかったんですよね。

室井:う~~ん……。

大竹:なるほど。

小林:僕らが憲法を語ろうとするとメディアが危険視して避けたじゃないですか。

大竹:はい。僕もそう思います。

大田:ま、今日は急にお電話差し上げてしまいまして申し訳ありませんでした。

小林:いいえ。

大田:あの、また是非スタジオの方にもお越し頂ければと思いますので。

小林:はい、楽しかったです。ありがとう。

室井:ありがとうございました。

大竹:(は、は、は……)はい、どうもありがとう。

小林:はい、どうも。

大田:どうもありがとうございました。えー、慶応義塾大学・名誉教授の小林節さんでした。


○○○○○○○○○○○


大竹:た、たぶんね、その前にしてた俺達の下らない話も聞かれてるからな~。

室井:えっ!ほんとーっ!?

大竹:ほんとだよ、もう……。

室井:恥ずかしくなってきたよ~。

大竹:恥ずかしいだろぅ……。どうもすいませんでした、ほんと色々ね……。
はいはい、まあね、これはやっぱし(小林)節さんが言うように自民党の中で《個人》と《人》っていうのはやっぱずいぶん違いがあって明確に目的意識を持って……うーん。

大田:明確に目的意識をもって変えてるはずねんですね。

室井:やっぱり私、何が一番イラっとくるかって言うと、その、こういうこと考える人達の選民意識だよね。

大竹:まあね、まあ、それもあるけどさぁ。これはさぁ、ね、こ、個人と人を変えたわけだからさぁ、訊かれたら国会で「いや、前から党内で議論してました」と。「個人主義がもう強すぎて……」と。「その、アメリカにもうちょっと傾き過ぎてるんで。それ、やめるよう、それ、ちょっと駄目なんかじゃないかと思って」と。

室井:ホントの本音をね。

大竹:そういう風に言って欲しいよね。

室井:うん。

大竹:何かこう、いつも聞いてると最後答弁を何か途中まで質問する方も何かこう、停滞する感じがしちゃうよねー。

室井:でも、こういうところちょっと敏感にならないとね、私達もね。だって、憲法って私達のこと守るためにあるものなのに。どっちかっツーと私達権利が薄くなるかもしれない……。

大竹:あー、いや、そう言うけど室井ね、俺もいつも考えてるけどね。

室井:えっ?

大竹:えー、さっきのねーみかんの話くらい簡単ならね(*番組初頭で室井滋が皆に配ったみかんが、大竹にとって激ウマであった件のこと)いいんんだけどね、結構、日本語ってややこしくできててさここだって《個人》と《個》でしょ、《個人》と《人》でしょ。

室井:ぅん……。

大竹:もうね、ほんとに、ほいとにもうちょっと前のめりにならないとわかんないよ。

室井:でも……、これは、みんな、ちょっと前のめりで見るべきだと思わない?

大竹:うん。

室井:何か、例えば、私達がさぁ家買うとかさぁ。

大竹:うん、うん。

室井:会社都合するとか、学校通ってたら契約書みたいなのがあってぇ……。

大竹:なるほど!

室井:そういうことにはすっごく目を通すじゃない。

大竹:そうだっ。

室井:でも憲法ってさやっぱり、この国がどういうことかでことであるし。

大竹:そうだな。

室井:私達がどういう風に扱われるかっていう、どう守られるかっていうことでもあるからやっぱりそれはすごく大事なことだから前のめりになって見るべきだと思うよ。

大竹:聞いたか!飛永?

飛永:聞いてましたよっ……。

大竹:聞いてたか、おい?

飛永:はい。

大竹:家を買うように、慎重に憲法を読むんだよ。

飛永:いや、難しいですよぉ。

大竹:何で○×▲(聞き取り不能)、何で○×▲なんだよ?

飛永:いや、でも、ほんと。《人》と《個人》の違い○×▲(聞き取り不能)……よくわかんない……。

大竹:結婚するのと同じくらい慎重に憲法を読むんだよ。

飛永:あー、それは相当慎重にならないとですね。

全員:はははははは……。

大竹:そうよ、ねぇ室井先生そういうことですよねぇ?

室井:そうでございます。

大竹:そういうことだよ、だから。

飛永:うん、そうですね。自分たちに、なんか不利な形変えられるとは思ってもないから……。

大竹:うん。

飛永:憲法が。だから、怖いですね今の話聞くと。

大竹:うん、じゃ、だからねあの○×▲(聞き取り不能)、ちゃんと答えてくれればいいんだよね。

飛永、室井:うーん。

大竹:うやむやにしないでね。

室井:そうそう。

大竹:はいはい。まぁ、この話だけで、えーっ結構時間いっぱいになっちゃいましたけど、太田さんまだ次にもう用意しているものがたくさんあります。

(以下、別件になるので割愛します)





このやり取りの元となった2016年3月4日朝日新聞《天声人語》全文。
(リンクを貼ってもいいのですが、アカウントを持っていないと全文を読むことができないので、朝日新聞さんには申し訳ないのですが以下、全文をコピペさせて頂きました)
〓〓〓〓〓〓〓〓〓
 「私の在任中に」憲法改正を成し遂げたいという安倍首相の発言が大きく報道された。そう述べた後に、首相はもう一つ見逃すことのできない答弁をしている。一昨日の参院予算委員会だ▼民主党の大塚耕平氏が自民党の改憲草案を取り上げた。憲法13条は「すべて国民は、個人として尊重される」と定めるが、草案は「個人」を「人」に改めている。このことに何か意味があるのかと大塚氏はただした。首相は「さしたる意味はないという風に承知している」と答えた▼ならばなぜ変えるのかという疑問が浮かぶが、実は意味がないどころではない。草案のこの部分には重大な意味が潜む。今の13条への否定的な評価である▼草案作りに携わった前首相補佐官の礒崎陽輔(いそざきようすけ)氏が、自身のホームページに「私見」を書いている。13条は「個人主義を助長してきた嫌いがある」と。公式見解ではないとしても、自民党に根強い発想だろう▼改憲が必要な理由として随分以前から「行き過ぎた個人主義」が挙げられてきた。安保法制に反対する学生を若手議員が「利己的」と批判した一件は記憶に新しい。草案にうたわれる「公の秩序」や「家族の尊重」とともに、礒崎氏のいう「自民党の思想」を形作っている▼こうした背景からすれば、さして意味はないとの答弁は不可解だ。理解不足なのか。野党は首相の憲法観をさらに問うべきだ。首相は議員同士で議論すればいいと逃げ腰だが、改憲を実現したいと繰り返す以上、答える責任がある。


〓〓〓〓〓〓〓〓〓
では。

Fredio-  Wired Planet/境セイキ・ちるにー(3)


●Wired Planet/境セイキ・ちるにー(3)

今ってラジオスターというのはいるのだろうか?
そういえば高校の頃、「ラジオスターの悲劇」という曲が
ちょっと流行った。

あまりラジオを聞かなくなったのはいつ頃からだろう。
うん、90年台後半からの数年間はかなり聞いた。
世界貿易センター崩壊も
対岸からラジオ放送を聞きながら眺めていた。

ニュースはいつもラジオ、そして新聞だった。
今はネットか。

今もテレビを見ることはあまりない。
ついてたら見る程度。
その程度で十分。

テレビにもスターはいるだろう。
ネットにもいるのだろう。

テレビスター。
ネットスター。

Video killed the radio star......



ぼくは「なぜか埼玉」世代

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-Fredio-  Wired Planet/境セイキ・ちるにー(2)

「帰らない旅に出よう」
考えてみれば、この言葉がいつもポケットに入っていて。
数年が経ち、スーツケースに荷物を詰めた。
今も旅の途中。

雑誌『POPEYE』
30年以上前、ある号のタイトル。

今ぼくはポートランドに住み、
1年ほど前には『POPEYE』で大々的に
この街が取り上げられた。



ぼくの声は下記URLから聴けます。
(音声編集・アップロードにぼくの方が追いついていません)

-Fredio-  Wired Planet/境セイキ・ちるにー(2)
http://fredio2.seesaa.net/article/413410434.html


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星。虹のある町で。

「はあ、そうですか~」
YesともNoともつかぬ言葉を返しながら。
憮然とした顔をしていたのだろう。
言葉は少ないぼくだが、
感情が極めて明らかに表情に出るという。

いつだったのか。
どこだったのか。
相手が誰であったのかすら思い出せない。
いつものことだけれども。

虹の話をしている時だった。



ある程度の進化を遂げ
さして不便を感じなくなってしまうと物事は
上へと行くのをやめてしまう。
よほど危急の必要に迫られない限りは。
結局のところ保守的なのだ、ぼくたちは。

コードが消えてしまったものもある。
今どきスチームや温度調整機能のない新品はないだろう。
アイロンが今の姿になってどれくらいが経つのだろう?

子供の頃、家には霧吹があった。
暗い押入れの片隅、
木箱に収められたアイロンの横に。

半透明のプラスチックボトルに金属製部品が取り付けられている姿は
道具というよりも機械という佇まいに近く、
存在にひとつの世界を垣間見ることができた。
100円ショップに売られているスクイズボトルとは
まったく異次元の世界観がそこにはあった。
アイロンにスチームボタンがなかった頃の話。



よく晴れた日にはタンクに水を満たし
霧吹きを手に庭へ出るのが好きだった。
虹を見るために。
虹を作るために。

背中に太陽を受けボタンを押し込む。
30cmほどの虹が現れ、消える。
現れ、消える。
現れ、消える。

色を数えるために。
順番を覚えるために。
境目にあるものをもっと見たくて。
何度も、何度も金具を押し込む。

秋の虹も、またきれいだった。



「はあ、そうですか~」
相手が
「虹なんてどこででも見れるのに」
吐き出すように言った言葉に応えたもの。
虹にそれほど不自由のない人生を送ってきたらしい。

ぼくはというと、
虹に不自由な人生を歩んできた。
ごく最近までは。
ここオレゴンへ来るまでは。

さすがに小学校も高学年になると
霧吹きを手に庭へ出ることはなくなっていた。
それでも虹を見たかった。
それでも見ることができなかった。
憧れの存在は絵本の中、写真・映画の中にだけ存在していた。

生まれ育ったのが工場の多い町だったからだろうか。
虹を見たことがない。
昔から空は好きだったので
俯いて歩いていたとは思えない。
「虹が出る」というタイミングは自分なりには知っていたはずだ。
どうして虹が見れないんだ。

それほどこだわりのなくなった頃にはニューヨークにいた。
小さな空の街に。
それでも空を見上げていた。
あの街で虹を見たことがあっただろうか?
覚えていない。



記憶に残る初めての虹はフランスだった。
ドイツとの国境の街、ストラスブール。
舟に乗っている時のことだ。
雨が通りすぎた後、折れ曲がる川の上に小さなものがかかっていた。
泳いで行けば掴めそうな距離に。
9年前のこと。

今ではさほど虹に不自由する生活ではなくなっている。
秋からは雨催いの日が多いオレゴンに越してきてからは
時折見かけることができる。
大きな、壮大な虹を。

虹のある町に住んでいる。



空を見上げるのが好きだ。
昼夜を問わず。
雨の日も、雪の舞い降りる昼下がりだって。
外へ出れば空を仰ぐ。

きれいな空を持つ町に生まれていたなら
今頃は宇宙飛行士になっていたかもしれない。
少なくとも一度くらいはそんな夢を見たことだろう。

外でのタバコ。
今ではこのひとときがぼくの白い時間。

空を見上げる。
思うこと。
感じること。
考えること。
思い出すこと。

欠くことのできぬ自分だけの時間。



それほど空が好きなのに。
これまで月食を見たことがなかった。
興味はあったのだが見たことがなかった。
先週のものが初めてだ。

地域的なものもあっただろう。
都会にいたこともあっただろう。
ドアを開ければ空が見える、そんな環境もあるだろう。

「見よう」
今回思い立ったのはネット時代ということもある。
かなり以前から情報が流れ、
「いつ、どこで」
詳細までがわかってしまう。
夢がない、と言われればそれまでだが
天気に恵まれ時間さえやりくりするころができれば
見逃すことはない。



月食を見た。
先週は2日続けての天体ショー。
月食の翌夜は流れ星を見た。





《日記より》
10月9日午前1時47分
「タバコを吸いに外へと出、後ろ手に窓を閉めている時だった。
流れ星を見た
生まれて初めて」





10月10日朝には
西空に2日分欠けた満月が残り、
東空で目のくらみそうな太陽を見上げる。
西と東のことを考えた朝だった。



空が好きだ。
今も5階北側の窓から空を眺めている。



昨日:13日
午後2時過ぎ。
4階西側の窓を右にPCを広げる。
メール来着。6分前に受信している。

久しく連絡を取っていなかった人から。
おまけにメールタイトルがかなり以前のもののままだ。
 RE:XXXXXXXX



題名とはまったく関係のない内容だった。

「今日、小さな骨壷に入って帰ってきました……」
訃報だった。

NYを離れる際、
泣く泣く人に託さざるを得なかったネコくん。
一匹が天に召された。
遺伝性の不治の病だったらしい。



10月9日午前1時47分
「タバコを吸いに外へと出、後ろ手に窓を閉めている時だった。
流れ星を見た
生まれて初めて」



流れ星を見た数時間後、
ゴマP(グレ)の肉体は地球を離れた。

投薬を続けながら
頑張って
頑張って
頑張って

力尽きた。
勝つことができなかった。
人生は勝つことがすべてでも。
勝てばいいものでもない。

立派に頑張ったゴマP。

歩けなくなり。
目も見えていなかったらしい。
最後の力を振り絞って懸命に生きようとしたゴマP。
よく頑張ったよ。
甘えっ子で、わがままだったけど。
個性派だった。
よく頑張ったよ。
懸命に生きようとした。
よくやった。
ありがとう。
ほんとうにありがとう。



救急病院に駆け込んだが
手の施しようがなかった。
その人の腕に抱かれて天に召された。



ありがとうゴマP。
君に会えて本島によかった。
ありがとうね。

愛しているよ今も。
これからも。
今だってそばに感じているよ。



最期はほんとうにつらかっただろう。
それでも君の一生が幸福なものであったことを願う。
ぼくと出会ううことができたことが。
少なくともぼくは幸福にしてくれたよ。
1人の人間を幸福にできるってすごいことなんだよ。
ありがとうゴマP。



朝、最後の力を振り絞って
会いに来てくれたんだね。
ありがとう。



線香を焚き。
1本だけビールを飲んだ。

灯りを落として。
写真を眺めながら。
あの星を思い出しながら。



ありがとう。









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腰痛見聞録9:Like a Hurricane

(ふふん)

少し前のぼくなら
ニヤリとしながら
通り過ぎていったことだろう。
行列の前を。

足早になるでもなく。
しげしげと眺めるでもなく。
NYの一風堂の前を通る時はいつもそうだった。



そうそう、札幌の一夜。
深夜の繁華街外れ、
ホテルへの帰り道だった。
大きな通りの角。
角にそって並ぶ木枠の引き戸をなぞるように行列ができたいた。

少なくともあの頃までは
(ふふん)
だった。



「いやー、3Gの前からですよ。
ええ、オリジナルiPhoneの時からずっと並んでますよ。
……
いえいえ携帯ショップなんかではなく、ここ。
いつもApple Storeで。
……
そう、ここでなきゃいけないんです。
ええ、ここだからこそなんです。
ここであるからこそ並ぶ、
その価値があるわけですね」

Apple Store前でインタビューに答える初老の男。
広げた大きな傘の下、ディレクターチェアに腰を下ろして。
そういえば最近は中国人の姿を列に見かけなくなったな。
いや、行列と言ってもたったこれだけの人なのか……。
《2031年9月某日のテレビインタビューより》



「いや、高くてもいいったい。少しくらい高いほうがよかっちゃん、ウチは。
少々よそより高くったってさ、
この店で買物をしてくれるお客さんを大切に。
お客さんには商品だけじゃなくて
夢も一緒に持って帰ってもらえるようやりよるとよ……」

20年ほど前のこと。
今はもうなくなってしまい、伝説のような存在になった店。
当時の博多でそんなインポートショップをやっていた親友・Mちゃんの言葉。
今もたまに思い出すことがある。



Apple Store前を通り過ぎながら浮かんでいたのは
2週間前に3年ぶりに再開したMちゃんの
四角い笑顔だった。



「そうたい。これでいいったい」



I'm just a dreamer.
But you ae just a dream.



昨夜は満月。、





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腰痛見聞録8:Business As Usual

店はバーチャル界のみの存在となってしまっていた。
(2週間が経過した今、再度HPで確認してみたのだがあちらの世界にはまだ実存している)

引き潮が
少しずつ少しずつ。
足元の砂を持っていっている。

あの砂はどこへ行ってしまうのだろうか?
いつか地球は海となってしまうのだろう。
宇宙から見た真っ青な星。
さぞかし美しいことだろう。



「もしや!?」
危ぶんでいたとおりに店は消えていた。

いや、正確に言えば看板をかけかえただけで
ほとんど以前と変わらぬ姿で営業を続けていた。
Business As Usual
道行く人のどれくらいの人が変化に気づいているのだろうか。

顔こそ違えど
同じような笑みをたたえた従業員たち。

まるで何事もなかったかのように。
ただ物理的存在は回り続けている。
足が絡まってしまい前のめりに倒れてしまったスーツ姿の男が
平然と、何事もなかったかのように横断歩道を渡り終えるように。



「この店がなかったら。
今、この時、ぼくはこの街にはいないかもしれない」

きっと多くに人にとってはそれほどの存在ではなかっただろう。
ぼくにしたところで、そう度々コーヒーを飲みにいっていたわけでもない。
それでも
その位置は大きなアイコンとして占められている。

あるだろう?
そんな店って。
そんなできごと。
そんな物。
そんな人。
ふたつくらい。
誰だって。
誰にだって。



ポートランドといえば
最近、日本では「サードウェーブコーヒー」として
一部では注目を集めているらしい。

別にこ強いこだわりを感じさせる店ではない。
はっきり言って「どこにでもある」そんな店だ。
いや、「どこにでもあった」。
今は「どこにもない」。
少なくともこの近辺では。

個性で売るのではなく。
没個性、個性の一般化を売っていたような店だ。
それでもぼくにとってはやはり大きな存在だった。


亡くなったというニュースを聞いてから気づく、
疎遠だった友人の存在のように。
行こうと思えばいつでもいける。
そんな存在だった。



思い出に残る。
ふとした時に思い出す友人というのは
どうしたわけかいつも遊んでいた友人ではなく、
教室の片隅でいつも校庭を眺めていた
そんな男のことが多い。

長い時間つきあっていた女の子より、
数ヶ月間デートをしただけの女の子と行った
おとなしそうなおやじさんがやっているラーメン屋の
ラー油入れをふと思い出すときのように。

ほぼ毎日と言っていい。
前を通り過ぎていた。
Seattle's Best Coffeeが消えSTRABUCKSになってしまった。


↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓


HPではまだ3店舗がポートランドにあるはずなのだが
2軒はもうすでにない。
足を運んでその消滅を確かめた。
残る1軒に行ってみようとは
思わない。
緑色の看板を揚げているような気がする。



足元の砂が持っていかれる。
少しずつ少しずつ。
あの砂はどこへ行ってしまうんだろう?
海は日毎に浅くなっていっているのだろうか?
ぼくは大地なのだろうか?
ぼくは海なのだろうか?



ステッチが消えてしまったキルティングジャケットはなんと呼べばいいんだろう?
「おい、俺のその、元キルティングジャケットをとってくれないか?」



中学生の頃からあまり身長が伸びていない。
旧い友人は、今も誰もが小さく見える。




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腰痛見聞録7:I Shot the Sheriff

「あれ?」

ついこの間までほんのすこしだったのに。

キルティングジャケットから垂れ下がる糸が
長くなったような気がする。
歳をとっても爪が伸びるように
いつしか糸も成長をしていたのだろうか。

そんなことはない。
ステッチとして定着を強いられた糸は
限られた長さの使い方という場面でしか
自由は与えられていない。

日々目にして入るのだけれど
気にとめていなかったのだろうか?
そもそも、そんなことをぼくは気にしていたのだろうか?

自分の中で時間というユニットが
長くなったり、短くなったりしているのを感じる。
天井から下りてきた蜘蛛が
糸を短くしながらするすると上がっていくように。



そもそもの始まりは違っていた。
別段、iPhoneを求める人の列などどうでもよかった。
それほどぼくに関係があるとは思えない。

気になっていることが別にあった。

「あの店は大丈夫だろうか?」

ホームページで確認をしてみた。
まだ存在はしているようだ。
しかし……。

窓から見えるあの店は。
看板をかけかえた今も
ネットの世界では存在しているではないか。
昔の名前で出ている。

なんだか現実界とバーチャル界の砂浜を歩いている
そんな気分になってくる。

潮が満ち、足首を濡らす。
昆布の根っこをあちこちに打ち上げながら。
潮が引き、足跡の輪郭が丸くなる。
足元の砂を持っていきながら。

海と陸地の境界線ははきとせず。
陸にいるのか?
それとも海にいるのか?
不安になってきた。
飛行場の出国ゲートを出た後の不安感に似ている。



元気な鳴き声とともに生まれてくる赤ん坊。
人知れず消えていく生命。
そんな一生を浮かべながら散歩の帰途についていた。

裁判所のそば、前を歩く男の背中で揺れる"SHERIFF"
黄色く抜いとられた文字を眺めながら。
I Shot the Sheriffを
口ずさんでいる。






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