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おひさしぶりです
約3年ぶりにアメブロに投稿してみました
なぜ、急にアメブロを開いたのかというと、「ブログにコメントがつきました」というメールが届いたからです。
あれ、なんで今頃コメントついたんだろ・・
と思って開いてみると案の定迷惑コメント
というか、その前もまたその前のコメントも全部迷惑コメントでした。
みっともないので、とりあえず全部削除していたら、まあちょっと書いてみようかなという気分になったのでした。
ということで、とりあえず近況報告しますと、結婚して子供が産まれました。
現在9カ月です。
これから、少しずつブログ更新していこうと思います
よかったら、コメントいただけると嬉しいです
昨年の御盆に宮崎の曾祖母が残していた手紙を発見しいくつか解読を行いましたが、今年のお正月にさらに違う場所から同時期の手紙類が発見されました。
今回発見されたのは、僕の高祖父の弥三郎に関係する文書群のようであり、その中に東京に引っ越しした曾祖母いゑから、義父である弥三郎に宛てた手紙があったので解読してみました。
東京で単身赴任をしていた曾祖父元春のもとに引っ越ししたいゑは、大正11年に初めての子供を出産したようですが、手紙の内容から死産してしまったことが分かりました。
今も健在の祖母が大正13年生まれなのでその2年前のことになります。
そういう話は聞いたことがなかったのでびっくりしました。
子供が生きて生まれてこなかったことがとても悲しかったことが文章から伝わってきました。
大正11(1922)年1月24日
いゑ(曾祖母 東京市外高田町雑司ケ谷水)→弥三郎(高祖父 宮崎郡大淀町)
明けまして御芽出度御座います。
大正十年も夢の間に過ぎて早11年度の春を迎へ、また春とは只名のみにて未だ寒気きびしく、東京は毎日のように雪降りで手も足も切れるようで御座います。
おなつかしき御父様は、この耐え難かりし寒さを如何に御暮し遊ばされますか。
次に私事、出産この方至極大元気にて無事に暮して居りますから何卒御安心下さいませ。
私もこんなに早々出産しようとは夢にも思わぬ事ですから、出産する二日前十五日に神田錦町三丁目にある神様に御参りしたのです。
その日は折悪くも電車は満員で、行くも帰るも立ち通しで有ったのです
その電車に乗ったのが障ったのか、十六日から腹がいたくなって十七日にはかくなる事になったので御座います。
だからきっと電車に乗ったのが障ったのだろうと思います。
お互い待ちに待っていた子供が死んで生まれたものですから、ほんとうにがっかり致しました。
昔から七月子は育つとも八月子は育たぬという事をいって居りますから、子供の事はあきらめては居りますけれ共、乳が張って来るとすぐ子供の事を思いだし、嗚呼子供が生きて居ったらこんなにして絞って捨てなくてもよいものにと思って、如何してもあきらめる事が出来ません。
産後は別に変った事は御座いませんでしたが、三日目から顔・手の首から先・腰から下にむくみが来て非常に腫れましたけれども、別に医者にも罹らず中将湯という薬にて日に日に腫もへり、もうすっかりなおりましたから御安心下さいませ。
それから子供を骨にしたのを箱の出来次第御送り致しますから、何卒宜しく御頼み致ます。
聞きたき事山々なれど今はこれにて失礼致します。
先ずは時節柄御身御大切に。
かしこ
1月24日 いゑ
父上様
今年のお盆に父親の実家に帰った時に、家の奥の古い箪笥の中から手紙や日記の束を見付けました。
それは25年前、まだ僕が物心つくまえに亡くなった曾祖母が保存していた思い出の品でした。
そこには、若くして亡くなった曾祖父からの手紙や小学校の教師をしていた時の教え子からの手紙などがありました。すべて明治末~大正にかけて、およそ100年近く前の記録です。
早速、祖母からこれらの資料を借りて持ち帰り解読をしてみました。
下の解読文は大正9年、まだ曾祖父と曾祖母が結婚する前に仕事で東京にいる曾祖父から、婚約して曾祖父の実家で帰りを待つ曾祖母に送られた書簡のものです。
東京に曾祖母を呼び寄せて一緒に暮らすために、曾祖父が苦心している様子が伺えます。
その後、二人は東京で一緒に生活をすることになります。
東京駅で離ればなれになった二人が再開するようすが目に浮かびます。
自分にはこの二人の血が流れているんだとおもうと不思議です。
大正9年(1920)8月19日
曾祖父(東京市麻布区)→曾祖母(宮崎郡大淀町)
謹啓
先日は小包及び御手紙下され有り難く御礼申しあげます。
御手紙によれば相変わらず御健康のよし、小生も安心致しました。
御両親様方には御変わりは御座いませぬか、相変わらず御健勝ですか。
降って小生も無事健康に暮らしていますから御安心下さい。
また田吉の御家内様方には御変りは御座いませぬか、
御前より宜しく申しあげてくれよ。
光陰月兎あわれ流水の如しとかや、実際月日の過つのは速いものであります。
小生が都の空を眺める様になってからはや半年以上にもなります。
その間数度の音信なしたばかりにて、御手紙の御返事も差し上げず誠にすみませんでした。
すまぬすまぬと思いながらもつい心にも無き御無沙汰を致しました。
さりとて、故郷を思わぬのではありませぬ。
すずめのなかぬ日からすのなかぬ日はありても、小生の故郷を思わぬ日とては一日も無いのであります、いや片時も無いのであります。
(中略)
先般、病床よりの手紙を受け取った時、取る手おそろしと開封して一行一行読む内に、持つ手はおののきふるい目は霞みて涙は玉章を汚しました。
嗚呼、すまぬことをした、これも皆小生のなせる業である、早く呼びよせない為心配の余りの病気ならん、すまぬすまぬと思わず西を向いて手を合わしたのであります。
手紙を受け取る前、丁度三日間続けて変な不思議な夢を見たから、何にか変り事でも有るのでは無いか電報でも打って見ようかと心配して居る所に、お前よりの手紙を開いてみると、前に述べたるような次第でありました。
夢によりて昔より家郷の安否を知り、また自己の安否を知った例は数多い事でありますが、実際夢は一種のインスピリエイシヨンであります、現実を表す物だと深く信じました。
夢は五臓の疲れにてあてにならぬものだという者もありますが、僕はたしかに信じ得べきものだと思います。
昨夜も不思議な夢を見ましたが、何にか御変りは御座いませぬか。
早速に手紙を差し上げようと思いましたが、今迄引延したのだから立派な宿を見付けてからよろこびの通知と共に差し上げようと欲を思い、すまぬすまぬと思いながら宿が見つからない為、面目なさときょうふとを以て、すまぬすまぬと思いながらも遂に御失礼致したのであります。何卒悪からず御容赦を願います。
宿が無いというと、如何にもいつわりらしく聞こえるだろうが、実際に絶対に無いということは無く、吾等の身分には不相当な二階建とか門作の物はたまには有りますが、吾等に適当なる貸間のものは、殆ど絶対に無いといってよいくらいであります。
この宿の問題が始終僕の頭をなやめるのであります、またもしあっても自活という事を考えるとき、僕は一種のきょうふの感に打たれるのであります。
故郷においてならばともかくも、生存競争はげしき東京でありますから、敗北者と成らない様に為すには余程の努力を要するのであります。
洋々なる大海に漂うヨットも同然であります、前途の光明を見る迄には幾多の風波と戦い幾多の雲霧と戦わなければならないのでありますから、御前も充分なる決心を以て来てもらいたい。
宿が見付かったならば電報で通知するからその時は東京駅迄来てもらいたい、東京駅で僕が待っているから、又来る時はお前が着く前に手紙がつく様に通知さしてくれよ。
御地は今は御盆だが、お前小生になりかわって墓参を成してくれよ、また御里の田吉にも宜しく言うてくれよたのむ。
次に稲田は如何ですか、今頃は皆穂揃って居るでしょうね、風のさわりなどはありませんでしたか。
勝勇、政宣は相変わらず健康ですか、宜敷く云ってくれよ。
まだ書きたき事山々あれど、あまりに紙を要するので余は後便にて。
先は返事方々御報知迄申しあげます。
敬白
八月十九日夜十一時 下宿にて
文章前後し御読みかねの所はよろしく御判断を以て御読み下されたく御願いたします。
あまり長くなって国に居るのがいやなら、宿が見付かる迄東京に来て下宿生活を成してもよい、それともまた僕が通知する迄待ってくれるか、返事をくれよ。
昨年8月から始めた崩し字を書く練習。
「その1」で紹介したようにノート二冊を用いて続けてきました。
おかげで崩し字のひとつひとつの「文字」についてはかなりかけるようになってきました。
しかしそれだけでは崩し字は書けるようにはなりません。
またまた語学にたとえると、いくら単語をたくさん覚えて発音がとてもよくても、文法を知っていて文章を組み立てることが出来なければ正確に相手に伝わりません。(勝手な推測ですが)
古文書も同じで崩し字で文章を書けなければ意味がないと考えました。
そこで手本となる古文書の上に白紙をおいて、ひたすらなぞって崩し字も文章もまるごと覚えてしまおう!
ということにしました。
手本は仕事で整理している古文書でも良いのですが、だいぶクセがあるものが多いので、図書館から丁度いい本を二冊借りてきました。
柏書房から出版されている「古文書手習い」(左)と「古文書女筆入門」(右)です。
どちらも「生涯学習1級インストラクター(古文書)」という資格をもたれている吉田豊さんの著書です。
初心者向けの分かりやすい本で、掲載されている古文書も当時の寺小屋で使われていた教科書などが中心となっているため、これを手本とすることにしました。
早速無地ノートのしたに手本をコピーした紙を挟みこみ上からなぞってみる・・
やっとのことで完成。
左が手本、右が上から写したものです。
遠目にはうまくかけているようにみえるのですが文字によってまちまちで、
既に筆順を覚えている文字はうまくできたのですが、初めて書いた字はなんだかもじゃもじゃとして、正にミミズ状態になってしまいました・・
なかなか簡単にできることではなさそうです。
しかし、これを100回写せばさすがに丸暗記してスラスラとかけるようになるのではないかと思っています。
まだ崩し字を書き出して半年。
実際の古文書整理の場ではまだ目立った成果を出てきていません・・・が、あきらめません。
昔の人たちが古文書の中に残したメッセージを現代の人たちに伝える橋渡し役になりたいのです!
そのためにも頑張ろうと思います。
おひさしぶりです。
いつからか分からないくらいお久し振りです。
以前、「崩し字」(古文書で使われているミミズ文字)を書く練習をしているという日記を書きました。
それ以来、何とかいままで続けることが出来ています。
僕は今、図書館で古文書を読む(実際は内容から目録を作り整理する)仕事を主にやっているのですが、
そのためには当然ではありますが古文書に使われている崩し字を読める必要があります。
大学時代から古文書は読んでいたのですが、なんとなくは読めるのだけど完璧には読めず・・いや、完璧になんて簡単に読めるものではないのは重々承知なのですが、
ここ数年どうも超えられない壁を感じてスランプに陥っていました。
そこで考えたのですが・・
もし英語などの語学だったら、ただ眺めていても上達しない。実際に留学をして英語圏の世界にどっぷり浸かって「話者」になれば格段に上達するのではないかと。(勝手な解釈かもしれませんが)
古文書の場合は江戸時代に留学することはできないので、崩し字を利用すること=書くことができるようになるのが古文書解読のステップアップなのではないかと考えました。
まずは筆を準備。
本当は習字筆を使うべきなのですが面倒なので筆ペンを購入しました。
ぺんてる筆の「極細」です。500円弱程で少し高いですが、筆と同じように書くことができます。
そしていつも整理している古文書の中からなんとか書けそうな文字を見つけ出して、ノートにひたすら書きなぐって見ました。
白い無地ノートの上にめいいっぱい文字が敷き詰められている様子はちょっと不気味です。
しかし書いているうちにどんどん得意な文字が増えてきました。
文字を覚えるのには問題ないのですが、後々書いた文字を見直すときに面倒臭そうなので、
漢字練習帳に書いてみました。
復習用にはもってこいです。
ということで、最近は「無地ノートに書きなぐって文字の形と筆順を覚える」→「漢字練習帳に清書する」
という流れで崩し字練習を行っています。
大体これまでに100文字以上を覚えることができました。
ノートを見直すと自分の成長が垣間見えてちょっとうれしいです・・
(その2へつづく)
毎年11月に佐賀平野で行われている「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」にいってきました
世界中の国から「バルーニスト」が集まって佐賀を舞台に競い合います
ちなみに「バルーン」とは熱気球のことです
風船のことでもデパートのアドバルーンのことでもありません(笑)
会場は嘉瀬川の河川敷です。
制限時間以内に目標の地点に帰ってきて目印を落とすことで順位を競います。
どんどんバルーンが帰ってきている写真です!
バルーンはたくさん集まると本当に綺麗です。
会場すれすれに飛んでくるので選手に手を振ったりします
いったことがない人はぜひ一度いってみてください
今年のお盆は人吉の実家に帰りました
実家は農家をやっています
帰ったとたんに野菜たちがお出迎えです(笑)
まずは、アオトウガラシ。若干、ピーマンがまざってますw
重さを測ってパックに入れていく作業をやりました
野菜たちはほとんど早朝に収穫されてきます
昼間は暑すぎるので作業場でパックに入れて店に並べにいったりしているようです。
こんな感じで綺麗にぱっくされてお店に並べにいきます
ここにあるのは、春菊、アオトウガラシ、ナスビ、ピーマンなどなど・・です
そして今実家で一番とれるのがオクラです
これがケースにいっぱいになったオクラです
これが一日に何ケース分もあります
大きさがまちまちなので長さを測ってL・M・Sに等級分けしていきます。
もちろんその過程で形が悪いものや傷があるものも除外していきます
お盆のうち一日だけ父の実家の宮崎に帰ったので収穫をしなかったのですが、
その一日だけでオクラが急成長してしまいました
これがそのオクラの写真ですがラインを通り越して規格外の大きさに成長してしまっていますw
やはりあんまり大きすぎてもおいしくないのだそうです。
自然相手の農業というのはなかなか人間都合のいいように休みをとれないんだな~と実感です。
なかなか大変な仕事です
最近、近くのスーパーに夕方になったらお弁当を買いにいきます
その理由はありえないぐらい激安だからです
なんとお値段は125円!!
250円のお弁当が夕方になって半額になってこの値段になるのです
写真をみてもとても125円には見えないとおもいます
他にも中華惣菜も半額になっています
このとき買ったのはお弁当が2つと中華丼が1つと酢豚が1つ
これだけ買って合計金額がなんと575円
食べれない分は冷凍したりしながら食べると結構長持ちします
これで食費を減らして節約するのが目標です
本当に雲ひとつない青空です
あまりにも美しかったので写真を撮ってみました。
佐賀城のお堀です。
お堀と青空がマッチしています
高層ビルもないのがよい(笑)
佐賀城公園から撮影した青空です。
右側に少し写っているのが佐賀県立図書館。
左側のビルは佐賀県庁です。
お堀にかかる楠橋から写した写真。
右の建物が佐賀中央郵便局。
左の建物が佐賀市商工会議所です
これで涼しかったらいうことないのですが・・・・