実家で暮らすようになってから6年目のことである。
兄嫁からこう言われた。
「娘が大阪から帰ってくるから、それまでにこの家から出て行って!」
それからまた、不眠と躁鬱に悩まされる日々が続いた。
僕には3人の子供がいる。
今ではもう立派な社会人になっている。
まんなかの娘が昨年夏、初めてこの紅葉ヶ丘病院に面会に来てくれた。
その時が僕の子供がこの病院に来てくれたのは最初で最後のことである。
面会に来てくれた時、一瞬娘とわかなかった。
まん中の娘と解った途端お互いに抱き合った。
なにも言葉が出なかった。
一通り泣いた後、「お母さんはいまどうしてる?」と聞いた。
「5月22日の夜9時41分、あの世へ逝った。
知らせるのが遅くなってごめんね!
許してね!!」
僕の53年間の人生の中で一番、哀しい日であり、一番嬉しい日でもあった。
僕は今、生きている。
とにもかくにも、生きている。
この命、この僕の命をこれからは大切にしたいと思っている。
いずれ退院することになるであろう。
僕はこの病院をバネにして、できるだけ長生きしたいと思っている。
人生は潮の満ち引き
来たかと思えば、また逃げていく
失くしたかと想えば
いつの間にか戻る
この「さだまさし」の詩を信じてこれからは、力強く生きていこうと思っている。
人生なにが不幸で、なにが幸福かわからないもの。
2001年6月16日